2015年12月31日木曜日

大晦日

大晦日、あと10数時間で新しい年となります。

このblogも2011年からまるっと5年が経過しました。国内外の方々には愚稿をお読みいただき、ありがとうございます。
みなさまには、どうぞ良いお年をお迎えくださいますよう。

愚生のほうは風邪の為に初日の出セリーグは無理ですが、僚艇のルナは6時過ぎには出港することでしょう。
ロングクルージング航海日誌投稿のルナ艇長ともども、2016年もよろしくお願い申し上げます。

kurenai and Luna





2015年12月30日水曜日

風邪をひいた

風邪をひき微熱がでた。丁度、病院も休みに入ったところだから、常備薬で治すしかない。1年の集大成って感じだ。

この分だと、初日の出セリーグは無理のようなきがする。
以前、何かの理由で初日の出にいきそびれたときに松の内に出港してご来光を拝んだ。その帳面消しにルナ艇長は笑われてたような。

それから若しも元旦の初日の出セリーグができないことを考えて、来月からスタートするマイレージレースの記入表と修正公示をルナ艇長に郵送した。

ルナ艇長から、休日に風邪でダウンなんて、仕事人間だとメールがあった。
風邪、久々にひいたが結構辛い。




2015年12月28日月曜日

寒い朝だ

今朝は寒い。風が無いからまだましかな。今年も余すところ、あと数日となった。

艇の掃除はやらないのかと土曜日にルナ艇長に促されたので、昨日、掃除に必要な物を揃えた。特にセイルカバーの汚れが目立つので、そこを集中的にやるつもりでいる。であるが、年内にできるかどうかだ。準備は年内、施工は来年早々ってとこか。

マイレージレースの公示表と記入表の修正を行ったので、これを掲示板に貼る必要がある。1月から本番、これは元旦の初日の出セリーグの時にでも貼ればいい。

こうしてblogを記していると徐々にではあるが気温も少しあがってきた。然し、寒い朝だ。
そういえば、前稿も寒いというタイトルだった。歳かな。

2015年12月27日日曜日

昼から寒くなった

昨日はTYCへ出掛けた。
到着したらSチャンが全艇の舫ロープの貝取りをやってくれてた。レース前にはこれも全艇のスクリューの点検までやってくれる。
いつも本当にありがたいことだ。その後、自艇のバッテリーのボックスの木工作業を始めた。

午後からは冷たい風が吹き天候一変。
ルナ艇長から、今日はマストに登らないのかと言われたが、工具の準備もできていないし、天気もよくないので日にちを変えてからやりましょうと話した。このマスト登りは、マストの中間にある作業灯の電球交換の為のもので急ぐものでもないから。

そのあと、ルナ艇長自作のスプレー防止シートを見せて貰った。ビニールをうまく使っての実用性の高いものだ。永年ロングクルージングをやっているので、その経験からくるもの。なんでも、先ずはやってみることだと改めて思う。

暫くして、艇長はデッキのスチーム洗浄を始められた。スチームを出しながら先端ブラシで擦りながら汚れを浮き出させる考えだが、ブラシに着いた汚れが、綺麗なデッキに拡散してしまう。
そこまでをみて、愚生は早めに切り上げた。その後、どうなったか、また聞いてみよう。




2015年12月25日金曜日

寿司と醤油

昨日は別の場所での仕事だったので、そこで昼食となる。特にMさんが居合わせると寿司屋に行く確率が高い。大盛りの握り寿司定食が目当てだ。昨日のメンバーは男性6人と女性1人。男性4人は大盛り、残りの人は普通。

O女史は一度大盛り体験して以降、普通に変更された。大盛りを食べたあの日は夕食にも影響したと。それからは普通を注文される。愚生も同じくである。

寿司、最近は回転寿しの利用度が高く、そこに置いてある味付け醤油に慣れて、普通の醤油だと、何か違う感じがする。そんな話を食べながらするも、皆さんの反応はいまひとつだった。

テレビ番組の高級鮨紹介などでは醤油を刷毛でさっと塗って出しているが、厳選した醤油なんだろうか。寿司と醤油の関係、これは侮ることができないようにおもう。

この季節、コンベヤーの皿にのせられてくる寒ブリ2貫とちゅッと押出す味付け醤油、バランスがいいなどと、これ以上、醤油話を続けても、皆さんの反応はいまひとつであろう。
そろそろ、こちらはネタぎれ。



2015年12月24日木曜日

順番が逆かな

冬至の日、夕陽がしずむタイミングを車窓からみた。この日は太陽が南に最大移動する。灘におちる夕日も最大限、南寄りだろう。であると、南半球は夏至ということか。そんなことより前稿と順番が逆かな。

北米大陸の東西を逆往復したスピーカーをFさんに今夕お渡しする。このマリンスピーカー、どのような防水構造になっているのだろうか。

今日は逆のblog稿だ。


2015年12月23日水曜日

冬至が過ぎ

冬至が過ぎた。昨夜はゆず湯と南瓜を楽しんだ。
東には明るいうちから月が見える。
偶然に幼な子の月に語りかける話を聞き、へーっと感心した。著作はその子にあるから書けないが、最近好きなった傘について雲に見え隠れする月へ語ったそうだ。
子どもの感性には降参、降参。


2015年12月22日火曜日

コメントのコメント

blogにコメントをいただくことがある。直近ならば、金麦カップマッチレースのこと、活動海域の女性レーサー達のこと、海外で活躍されてることなど。
blogの機能にはそれへの返信も可能だけれど、そこはスキップしている。

そこで、この稿はコメントのコメント。
金麦カップマッチレース、これは年内は時間はなさそう。女性レーサー達は季節柄、冬眠中、然し、ムクムク起き出し、242にセイル展開するかもしれない。それから海外での生活、タフでないと、とおもう一面、彼の地でないと経験できないことは山ほどあるでしょう、楽しむことです。

その彼の地、愚生もチョクちょく仕事で行く機会があって、
リバーサイドの小さなインド料理屋の2階での夕食したり、昼食で立ち寄ったヨットハーバーで紺と赤のクラブキャップを買って、赤色キャップをルナ艇長へ還暦過ぎプレゼントした、そんなことを想い出す。



2015年12月21日月曜日

スピーカーは北米大陸を反対方向に

Fさんの交換スピーカーの輸送状況を貨物番号からトレースしてみる。
ウエストマリンはサンフランシスコのフリーモントにあり、そこから集荷されたスピーカーはサンフランシスコの空港へ移送される。そこから、なんとシンシナティへと運ばれる。要は西海岸から東へとスピーカーは運ばれた。

航空貨物のハブ機能というのは、この様に時折、貨物の宛先と逆行することがある。物流的には正しけど、北米大陸をほぼ縦断、それも往復するのだから・・・。

これらの状況が細かくわかる貨物のトレースはいつもながら感心する。顧客満足度と内部管理機能の両方を満たすシステム、当然、米国発のシステムであろう。

スピーカーは日本に予定通り到着しているので通関後には届く。あとは、Fさんへお渡しすると今回のウエストマリンバーゲンショッピングは終了する。Fさんにはお待たせして申し訳なかったが、もうあと少しだ。





2015年12月18日金曜日

昨日のいろいろ

週末の打合せ、ルナ艇長からの案内メールに議題は書いてあった。
たまたま昨日のblogに議題不明と記したので、ルナ艇長から議題はメールに記されての通りと再連絡、海域沿線にあるヨットクラブ連絡協議会の開催についてのことであった。お手を煩わせてしました。ましてや、出席できない愚生に。申し訳ない。

今日は冬晴れで、とても冷える。
昨日、Y女史より、海外在住のお嬢さんの写真掲載の記事をみせて貰った。数ヶ月前、たまたまそのお嬢さんが仕事に就く際、2社択一の中、何処がいいと思うかとの参考意見を求められた。その1社で執務している写真だった。

とても優秀なお嬢さんであるも、親からすると子どもは幾つになろうと子ども、気になる存在、ましてや異国で生活しているわけだから。女史に遊びに行けばと言うと、元気と勇気が無いと言われるので、元気と勇気は捨てるほど持っているじゃないのと笑って返しておいた。

昨夜は久しぶりにミシンを使った。何をどうしたか、それはまたどこかの稿でご紹介しましょう。



2015年12月17日木曜日

通販の事情今昔

寒さ戻る。然しこれが当たり前の気温だ。少しの風が体感温度を下げている。一昨々日が懐かしい。

Fさんのウエストマリンの不具合スピーカー、交換品を直ぐに送ったとメールがあったので、ひと安心した。
前回はルナ艇長分のアンテナ取付金具のネジ部に不具合があり交換してくれた。
通販の取り扱い世界一のお国柄だけにそのケアは迅速。最近は中国の扱いが一番と報道されていたな。

このところ通販利用が多くなった。無料配送の所為もある、それに必要なもの殆どが揃うからだ。
このビジネススキームが長く続くとなると、配送の機能、つまりラストワンマイルを担う人やその仕組みなどがポイントとなる。

オムニチャネルとか多様な仕掛けが日本にもやってきている。それやこれやが幅広い年齢層に便利で優しい仕組みを提供してくれればいい。

いまどきの通販は様々な情報が絡むハード・ソフトなどの難しいテクノロジーのバックアップがいる。

そういえば昔、シアーズローバックのカタログを初めて手にした時は、トラディショナルなイラストなどが凄く印象的だった。当時であっても品揃えもハンパないものだったと記憶する。確か幌馬車時代の通販カタログじゃなかったかな、手にしたものは。米国の通販の歴史はとても古く深い。

カタログ利用のアナログ式通販は今でもある。紙の消費量は文化度と比例すると言われるが、その種の通販も好きだ。
今のそれは、当時のシアーズのカタログの紙質感触とはだいぶ異なるも、ペラペラと好きにページを捲れる利便性はとてもデジタルでは味わえない。
そう言えば、ウエストマリンのカタログも分厚く1年に1回送られくるのが楽しみだったが、残念ながら今年からはデジタルだけになってしました。

そう言いながらも今もその米国が通販の最先端の仕組みを牽引している。最近お騒がせのドローンを使う1マイル宅配機能もそのひとつ。

通販の事情今昔。

年末清掃

ルナ艇長から週末に打合せ会の案内がきたが、生憎、前からの予定があるので、欠席の連絡をした。議題は不明。日曜も所用で艇には行けない。

よって年末の掃除、片付けは次の週末になりそうだ。特に、コックピットのロッカーの中の整理、トイレ・シャワーの床と壁も洗剤清掃、あとは、全体的な雑巾掛け。勿論、デッキなども。集中してやらないと、あと2週間もすれば、年が変わる。


2015年12月15日火曜日

今朝の外気

今朝はなんとも気温が高い。しかし冬の外気ではある。12月は気温が高いとの予報が今朝は当たっているようだ。雨も降るようだが、然し・・・。

冬の艇泊ではバースに横になるギリギリまでファンヒーターでキャビンを暖める。それでも深夜は冷えてくるので布団を重ね、それに包まる。

寝具、以前はずっとシュラフだったが、あるセーラーの本を読むとパジャマに着替えて布団で寝るとあった。確かにそれがいちばんリラックスできるのだろうと、そのようにしてみると、すこぶる寝心地がよくなった。

ロングクルージングに出かけるルナ艇長にも勧めたら、泊地で試され、なかなかいいと言っておられた。もうだいぶ前のこと。

冬の艇泊は好きだ。とても静かだし、特に雪の降る夜など外気を吸うと、冬のあの独特の匂いがする。

先週末メディリアン艇長の奥様お手製のおでんをご馳走になり、仲間うちとキャビン夜話に更けたあと、愚艇に戻り好きなマイルスを少しボリュームをあげて聴いた。
愚生にとっての至福の時間であったことは申すまでもない。ルナ艇長はモーツァルトだろう。

ヨットライフ、スポーツはもとより、道楽とか遊びと或いは趣味などと、それぞれの楽しみ方があると思う。

キャビン夜話などで諸先輩、皆さんの経験談をうかがうと、愚生の楽しみ方に、更になにかが相乗される。


2015年12月14日月曜日

スピーカー破損と日曜

Fさんが注文されたウエストマリンの防水スピーカーが破損していた。
今回はFedXではなく、DHLでおくられてきたルナ艇長の注文分、Fさん分とを土曜にお渡しする。Fさんはこの引取りにわざわざセーリングで6時間かけて来られた。

じゃ、夕食前に取り替えるかと、Fさんが箱を開けると、割れてると、ひとこと。見るとスピーカーの外フレームが欠落ちてるではないか。要はメーカーの不良品である。

先方は時差の関係で夜遅い時間帯だが、兎に角、その場で直ぐに留守電をいれた。そのあと、これも直ぐに写真付きでメールした。交換して貰わなといけないが、こんな時が困る。ただし、WSはきっちりケアしてくれるから大丈夫。

日曜は逆潮であるも10時半頃に出航された。舫を解き見送りながら、折角、スピーカーを引取りに来られたのに、申し訳なかったなーと思いながら艇が見えなくなるまで見送る。

そのあと愚生は、TVアンテナ部品の購入とその取り付けやら、キャビン内の片付けやらでバタバタした。コックピットのロッカーの中が未整理なので、来週はそれをやらねばならない。やることは山ほどある。
それとFさんに頼まれていた愚艇のアンカーチェーンの長さの計測もだ。これは随分遅れているので一番にやらねば。

ルナ艇長は町づくり協議会のお祭りで一日中そちら対応していた。その祭りに海老団子の販売で協力していたMさんが帰りに愚艇に立ち寄られた。コーヒーでもと誘うと、今から家に戻ってサンセットセーリングして来ると。まあ元気のいいことだ。曰く、皆さんに活き海老の素揚げなど振舞ったと。まあ、ひとのいい方だ。

祭りの片付けを終えて戻ってきたルナ艇長が、Mさんの海老団子、町協メンバーからも大変美味いとの評判だったと言っていた。店開き前に、挨拶に行ったFさんも活き海老の踊りと揚げたて海老団子を試食、美味いなーといっておられた。

日も暮れ始めたので帰ろうとしていたら、漁師のHチャンが来られ、貝を茹でといたので、佃煮風にしたら美味から持って帰りと、わざわざ持ってきてくだった。ルナ艇長とでいただいた。
Hチャンは、いろいろな魚介類をくださる。時々、野菜もおすそ分けやといただくこともある。








2015年12月13日日曜日

1週間前の抽選会とこの土曜

先週末のパーティでは恒例の抽選会があった。今年も色々な賞品があった。ヨットのギヤ類をはじめ、甘海老交換券、ワインや日本酒、クルージングマップなどなど。

愚生は日本酒を当てた。といっても名札の番号を引き当ててくれる仕組みで、其々のスポンサーの方々がひいておられたようだ。

ルナ艇長はなんと1万円のヨットギヤを扱うお店の交換券を当てた。スポンサーとなったそのお店に丁度ウインチの部品を注文しており、それに充当出来ると喜んでいた。その部品、薄っぺらいスペーサーが意外と高価と先日もKさんと言ってたところだ。パーティ代も交通費もロハになったと喜びひとしお。
Fさんにはデカイバックが当たり、これどうしようと悩んでおられた。

そのあと番号1番と呼ぶも誰も気づかない。ひょっとしてSさんではと声を掛けたら、やはりそうだった。開会式の挨拶をする人だから1番。
賞品は「かけると酔わないメガネ」だった。Sさんの賞品のメガネをみようと人だかりができた。このメガネ、先日のレースの時にKさんに掛けて貰ったら効果のほどがわかっただろう。

そんなこんなで1週間が過ぎた。今日、ウエストマリンに注文されていたスピーカーを受け取りに、Fさんがセーリングで来られたので、愚生も艇泊と決め込んだ。ルナ艇長、Sさんご夫婦とで、Fさんのお手製おでんに舌鼓をうった。

ルナ艇長の奥さんから、オードブルの差し入れがあり、S夫人からは果物サラダと、美味しいものばかりがテーブルに並んだ。遅くまでキャビン夜話となる。
深夜までわいがやと、楽しい週末を過ごした。

2015年12月11日金曜日

師走の嵐も過ぎ去り

12月の嵐は珍しいと天気予報ニュースで言っていた。
朝方に凄い風が吹いた。そう長くは吹かなかったから、突風だったんだろう。

湾にはうねりがある。そのうねりが防波堤にあたっては砕けを繰り返している。周期不規則なうねりを陸から観ている分にはいいが、これがヨットに乗っているときだったら嫌だなとおもう。
海峡のほうの状況はたまたまみそこねたが、多分、あそこはウサギが飛んでいたんだろう。沖の航路を行き交う船は今は少ないが、濃灰色の雲は散りはじめ、青空も見えて来たので、そろそろアンカーや舫を解いた本船が活動し始めるのだろう。

昨日、海上保安庁に出向いた。勿論、本庁ではない。
Sさんの旧知の専門官と若い保安官のお二人のお話をうかがいながらの面談ではなく面接だったような。
その専門官曰く、巡視艇での海上保安活動ではどのようなことでもやり遂げるけど、ヨットに乗って海に出る機会はないんですよね、と淡々ともうされていた。

帰りがけ、彼が昔、8管にいたとき作成されたという、冊子を貸してくださった。もうこれ1冊しかないので、読んだら返却してとのことだった。
階級章のついた制服姿のお二人とお話していると、国民の共有財産である海と人命を守るプロのシーマンだと、強く感じた。ヨット乗りとして、ためになるいい時間だった。


2015年12月10日木曜日

冬晴れは何処へやら

昨日迄の冬晴れは何処へやら、という感の朝だ。
どんよりとした曇が、冬晴れの青い空を覆ってしまった。また夕方からは雨模様とのことで、気温も高め。
よってコートは要らないくらいだ。然し、コートは一度着てしまうと惰性になるも、唯一、襟巻きだけは外気温に合わせて使い分ける。
午後から用事で出かけるが、気温は更にあがるだろう。今のところ、その時間帯の雨は大丈夫のようだ。


2015年12月9日水曜日

夕陽がずれて

この期になると、夕陽が南へずれて灘の水平線に沈む。車窓からも海峡からも、それをみることができる。
昨日、今日と冬の晴天で、西に沈む夕陽は、澄んだ空気に遮断されるものもなく、とても綺麗で、周辺の空と海は橙色から朱色に染まっていく。

サンセットセーリングを意図的にする機会はなかなかないが、クルージングの帰りなどにとても綺麗な夕暮れに出くわすことがある。

だいぶ前になるが、牡蠣を食べに室津に行った帰り、美しい夕陽に遭遇したことがある。ルナが後方にいたので、朱色から紅色にかわる空を背景したセーリング風景を撮ったことを思い出す。
雲が水平線にあるから、スクリーン代わりに夕焼けのグラデーションが映しだされる。
そして、つるべ落とし、みるみるうちに航海薄明となる。航海灯を点け、ニューペック、つまり電子海図のモニターも夜間用の黒色に切り替えると針路がオレンジの線で示される。非日常のなかのハイテクだが、不思議と雰囲気に馴染む。

キャビンのスピーカーからは好きな曲が流れ、バウの波切りの音のなかでのセーリングは誰にも邪魔されない至福の時。

意図的にサンセットセーリングすれば再現できる。
天気のいい週末に、金麦カップを15時スタート、16時過ぎくらいのリミットでやれば、初冬の美しい夕暮れに遭遇できるかな。夕暮れの車窓でそんなことを思った。


2015年12月8日火曜日

土曜の追伸

いつもの通りの大変元気な、242のセーラー女史にお会いしたこと、土曜パーティの追伸。

S夫人を筆頭にあちら此方でレース参戦している。全員がサングラスを掛けてのレース姿はなんともカッコいい。夫人達にそのことを率直に申すと、いや、もう歳でと謙遜するが、そんなことはない。勿論、パーティ会場でも一際、目立っていた。スポーツをするひとはどのような場面でも引き立つ。その皆さんのご令嬢、ご子息達もセーラー、242を知り尽くしたレーサーでもある。
レースの前はメンバーで練習するとのこと、その際はSさんの厳しいアドバイスが飛び交うと夫人がいっていた。242のセーラー女史の追伸版。

パーティ会場には、多くの女性がいらしたが、殆んど皆さんセーラー、でしょう。そいえば三重奏の音楽女史達もパーティを盛り上げていた。

それと今日は寸評女史とblog話を少しした。週末はヨットで遊んだのかと聞かれたのでblogの通りと応えた。そちらはと返すと、あちこちで目一杯遊んだと。女史は同世代、元気そのもの。

昼食は大食漢、といったらちょっと失礼か、であるもスタイルのいい女史を誘いオフィス近くのうどん屋でカレー丼と今日は蕎麦を食べた。ここのカレー丼、和風出汁に所謂カリー香辛料が色々入っているようで、愚生などは額に汗して食べる。勿論、女史は昔からの馴染みの店であり、曰く、ここのカレー丼は無性に食べたくなる、癖になる味だと

ご高齢の男女三人方がめまぐるしく働く昔ながらの狭いうどん屋で、愚生は大好きな店。
カレー丼の後は道路を隔てたファミマの100円ドリップをいただく。カレーのあとのコーヒー、これもなかなかいい。



2015年12月7日月曜日

ヨットマンの集い

土曜日の夜はヨットマンの集いにルナ艇長とFさんとで参加した。
パーティには100人くらいはいてたでしょうか。会場はYさんの会社に関係するレストランで、料理もお酒も大変美味しく、皆さんも満足されたことと思う。

このYさんはSさんの紹介で知り合い、その後、色々な場面で大変お世話になっている。超多忙な人だから、なかなかお会い出来ない。何か用事あれば、いつでもメールをくれればいいとおっしゃってくれる。ある公的会議で議長をやられた時の印象がいつも過る、偉ぶらない、気さくで、飄々としている。そういうところが好きだ。

彼もボランティアをやっているので、NPO理事長としてのルナ艇長を紹介した。地域活動の話なども交えながら、我々の活動海域にも遊びに来るよう誘う。勿論、セーリングで。
忙中閑で釜山と博多のレースに参戦したとの話題には、ルナも以前参戦したなど、ルナ艇長とでセーラー話を楽しんだ。
そうそう、デスマストをやった(マストを折った)とのことで、そのあとのマストは自身で設計して作ったといっていた。彼もレーサーである。

それともうひとかた、日本、いや世界のヨット界の重鎮のYさんも東京からお見えになり、ユーモアあるスピーチをされ会場を沸かせた。タモリさんと安げな居酒屋で一杯やりながらタモリカップをやろうと決めたエピソードや東京オリンピックの話題では、セーリング競技でのボランティアが500名くらい必要とも。

Yさんは、日本がアメリカズカップに参戦した際の中心人物でもあり、Sさんとは40年来のお付き合いであると。彼のエピソード、若い時から真面目一辺倒で、今もそのままであるなど紹介していた。パーティ会場にはS夫人もいたが、そのことなど知る由もない紹介話であった。

スピーチの後、Sさんに連れられルナ艇長とでYさんにご挨拶する。SさんがNPO活動の紹介などされたので、今年度の半期で約400名の人たちがNPOのヨット関連行事に参加、内、130名が小学生と高校であるなど説明すると、びっくりされていた。

このパーティ、Sさんに誘われてルナ艇長とで参加するようになった。顔見知りの方々もおられるが、昨今のNPOイベントやレースのお世話をする中で知り合ったセーラーもおり、再開を楽しむこともできるいい交流の場だ。来年の3月にKYCでイベントをやるのでポスターを送るなどの話もあった。セーラーの輪がこんなことから広がればいいとおもう。

帰りに3人で、Fさんの馴染みのバーに行き、Fさんご指定のバーボンのソーダ割りを飲みながら、よもや話。このバーも昔はセーラー達がたむろする処であったと。超ロングクルージングセーラーでもあり冒険家のHさんもよく来ていたとか。土曜はキャビン夜話の陸版だった。
午前中のレースで節々が痛いが、かえって爽快な痛みだ。それも金麦カップで勝ったからでもある。パーティ会場で、午前中のレースの話し過ぎと、ルナ艇長にたしなめられた。


2015年12月5日土曜日

ダブルのヨットレース

今日はTYCの第7回のじょうとんばレースが開催された。8艇が参加しMさんとSチャンの艇が優勝した。操船の腕に加えてこの艇は船形状と船体重量の重さから、強風に向きである。航跡を見せて貰ったが、陸側のコースを無駄なく走ったようだ。Oさんの艇はそれより軽量だが、フルセイルで頑張られ、いい順位に付けた。

じょうとんばレースの優勝艇には5%のハンディが付加される。
その中、ルナは2回の優勝を果たしている。流石、レース好きで操船技術も高いルナ艇長だ。愚艇は2年前に1回優勝した。

今日の愚艇のスタートポジションはあまりよくなく、Kさんとでショートタック戦略を試みる。西風で少々難儀しつつ、途中で2ポイントリーフにするも他艇はフルセイルのままレース展開している。

いろいろ凌いでいると、2位艇に追いつくまでの距離までになった。ただ障害物があり、それをギリギリかわるか、どうかのところだが、安全を期してタックした。事故と怪我だけは御免こうむりたいので安全第一。ここでOさんの艇にも追い越された。

このレースに併せて金麦カップもやった。ルナがリーフしている最中に追い越した。これで金麦カップはほぼ我チームの手中にある。

実はその金麦カップの楯を今朝持参するのを忘れてしまった。ルナ艇長に朝方すぐにその旨を伝えると、はあーって言われた。ビールはあるのと問われたので、それはありますと申し上げたら、じゃいいか、と。楯を忘れてからには負けるわけにはいかないレースでもあった。

レースを終えルナのキャビンで昼食のカップヌードルをすすりながら、レース振返り会なるものをやる。
ルナの風速計は27ノット位あったとSさんが言っていた。また、リーフ時はゼノアのシバーからシートが絡みそれを解くのに手間どったようだ。

こちらは、ショートタックを繰り返したが、艇の重さから加速が付きづらいとKさんが言っていた。またゼノアシートをウインチで巻き取る力が半端ないと。やっぱり歳かなーとのひと言に、みんなうなずいた。
また、2ポイントのクウォタリーでは8ノット近くのスピードだったとKさんが言っていた。
楽しいレースであった。

このあと、もうひとつの楽しみであるヨットマン の集いに参加する。早々に片付けを終え、そちらへ向かう準備をする。

2015年12月4日金曜日

女性の話題

blogを読んで下さった女性が、ヨット用語が意味不明だと寸評。確かに脚注がないから、わかりずらいだろう、気を付けないと。もうひとつ、いい歳してよく遊んでるとの評も頂く。

先日、出先での昼食に鮨を食べに行った。ここは大盛りで有名な店で、同行の女性一人は初めてということで、その大盛りにチャレンジ。注文を受けた店の人と、テーブルに鮨を持ってくる人は違うから、男二人に大盛りを並べようとした。まさか女性が大盛りと思わない自然の行動。

そのスレンダーな彼女曰く、私、大食漢。大盛りなどの配膳では、よく間違われますといいながら、難なく大盛り鮨を食して、ひと言、美味いと。勘定の時、普通も大盛りも同じ値段と知って、びっくりポンしてた。普通、それは愚生。

blogを評した人、大食漢の人、お二人共、アウトドアを好み、山登りを楽しんでいる女史達。所謂、山女だ。友人のMさんの山の会のメンバーでもある。

さて明日はSさん率いるセーラー女史達とヨットマンの集いのパーティで会う。山女はやまじょと読むも、海女はうみじょではなく、あまと読んでしまうな。このうみじょ達は、242を乗りこなすレースのツワモノ揃い、会えるのが楽しみだ。
ヨットマンの集い?、いやyachtwomenか。

昨今、アウトドアスポーツを楽しむ女性の割合が高い。そういや愚生も山岳競技でインターハイ予選に出たことがあるが、歌にもなった山男なんて、とんと耳にしなくなった。ふた昔前の単語か。

今や、女性活躍の時代、とてもいいことだ。
まあ神代の昔とまではいかなくとも、山の神の代名詞の如く、女性は時代の中心にずっとおいでだ。


2015年12月3日木曜日

デッキの塩分

先日のクルージングで波を被ったので真水洗浄が必要だった。翌日の雨を期待するも好天となった。昨夜やっと雨が降ってくれたので、デッキの塩分は少しは落ちたと思う。このような時は、少し強めに降って欲しいのだが・・・。いずれにしても、年内にデッキなどを水洗してワックスなどもかけておこうと思っている。

それから、色々いらないものがキャビンなどに溜まってきているので、必要ないものは降ろすなり、廃棄するなりせねばと。金麦カップに勝つには、艇のウエイトを減らすダイエットが必要だ。

今朝の気温は高め、午後から晴れるようだが併せて寒くなるとの予報。そのまま寒くなるようだから、土曜のレースは防寒の準備がいるだろう。万全を期して臨む、金麦カップの盾をルナに渡すわけにはいかないから。

レースを終えたら直ぐに戻り、JSAFのヨットマンの集いのパーティに出向く。ルナ艇長といつも出で立ちでいくか。Fさんもお見えになるだろう。Sさん率いる242のメンバーとも会える、楽しみだ。今年の会場は某製薬会社の関連するレストラン、薬膳が中心のようだ。此処も楽しみである。




2015年12月2日水曜日

海王丸と寒霞渓

海王丸と寒霞渓で会ったのは、今回で2度目だ。前回は沖に錨泊中で、訓練生はカッターを漕いで草壁の桟橋から上陸する。そこから、寒霞渓を目指す。勿論、海抜ゼロからの登山だ。今回も同じ行動だろう。

ルナ艇長に日本丸が出航中と無線でいうと、すかさず、そんなわけない、海王丸だと返してきた。ルナ艇長は以前、この前の海王丸I世で訓練体験しているから思い入れもある。そうそうスクーナー型の旧あこがれで小笠原などにも訓練航海されている。またアメリカズカップ観戦にも何度か出掛けるなど、根っからのヨット好き、セーラーであることは以前の稿にも記した。

草壁桟橋食堂のおばちゃんから、海王丸の乗組員も訓練生も食堂に立ち寄るよと聞く。他の練習船も来航すると言っていた。ルナ艇長曰く、草壁港はアンカーリングに向いていると。奥行きも深く山影となることや、海底の状態もいいのだろう。

前回は丁度、海王丸の訓練登山に出くわした。教官に寒霞渓の登山道で声を掛けたらルナと同じガーミンGPS78ポータブルを持っていたが印象的だった。若い訓練生は海に関わる仕事に就くのが理想だろうが、陸の勤務者も多い。

前職では日本丸I世で太平洋域を訓練航海をやった先輩や知人が多くいた。その中のちかしい知人はハワイまでずっと船酔いしてたと言っていたのを思い出した。ヨットを操る先輩もいたな。

自然の力のみで動く世界一デカイ乗り物は何と、こちらは小学生のセーリング訓練生に質問をする。答えは・・・。

では、次にその世界一デカイ乗り物に出会った時は、UW旗を掲揚しよう。

2015年12月1日火曜日

復路の金麦カップ

小豆島セーリングの往路は2ポイントリーフだったが、復路は時折ブローが吹く程度の順風でフルメインにフルゼノアだ。
前日のような風速なら、小豆島スタートのミドルレンジのレースになるが、そのような風ではない。はじめから金麦カップは母港近くの海域でやろうと、これは帰港時間の関係もある。母港に近くになると夕凪の時刻となり、海面も殆ど波の無い状態となった。

コースは海苔網のコーナーを基点にスタートラインを引き、港口の灯浮標のラインまでとの優勝艇からの提案があるも、この風では航海薄明となるだろうから、この時点で行き足を停めて、ヨーイドン、その時刻から30分で勝敗を決める。ゴール目標は母港灯台にバウを向ける。で、どうかと代案を提案した。

ところがここで、ルナ艇長の無線の電池切れ、まあ、いつもことだ。携帯電話で連絡するから、電源を入れようと途切れ途切れの無線。おかしいな、携帯電話は電源いつも入っているが、と思いつつ、胸のポケットの電話を確認すると、ベルも何もならないが、ルナ艇長からの着信跡がある。それへ返信しようとしても、携帯のそもそもの着信記録画面には記録がなく、何か変な状態だったので、確認してたら、再度、電話が掛かってきた。

この電池切れでは、新規購入したパソコンの充電もキーボードの充電器は持参したがモニターの充電器を忘れたようで、セーリングの途中でニューペックが使えないようになった由。まあルナには第二第三の手立てである。ポータブルガーミンやレイマリンの電子海図にレーダーとパパは何でも持っているから何の問題もない。しかし、いつもながらの電池切れは・・、恒例化している。高齢とは違う、恒例だ。

代替え案の30分レースについのコミニュケーションは、艇を接近させ大声での会話で難なく用を足せた。優勝艇のルナの合図でスタートすることになる。
ルナが1回転して行き足を停める。こちらは既にギアニュートラルでメインセイル帆走の状態だった。で、暫く伴走してお互いのスタートスピードを整えてから、合図があると思ってたら、いきなりスタートフォーンを鳴らされた。慌てて、Kさんがゼノアを出して、バウに向かい微風を捉える。

ルナ艇長のフォーンタイミングのお陰か、多少の残留イナーシャから差を付けスタート出来た。その後、Kさんのいつもの細かいトリムで更に差を付けたが、時間が半分経過する頃にはルナがグッと接近して来た。残り10分位では接戦となる。

ルナより約1.4倍排水量の大きい当艇の弱みだ。ルナは自転車も降ろして軽量化していると昨日ルナ艇長が言っていた。レースに関してはルナ艇長はシビアだから等、Kさんと雑談しながらなんとか堪えた。ルナのSさんを見ると、団扇のようなものでセイルに風を起こしているので、セイルに向かってホラでも吹いた方が効果あるのではと大声で伝達すると大笑いしてた。よく見るとルナはエンジン排水がスターンの真後ろから飛び出るので、それも推進力になってるような・・・。

このblogを書きながら想像をかき立てられたことが二つ。ひとつは清水タンクの水までも排水して軽量しているのではと、もうひとつは、昨夜の2次会で2リットルの黒霧島をチビりとやった後、キープしとくと、置いていったそれも軽量化の一端かなと。まあ、そんなことの出来るルナ艇長ではないか、いや、それは甘いか(笑)

結果は2、3メートルの僅差で愚艇の勝ち。勿論、ジャッジ権は前回優勝のルナ側にある。これで2勝2敗の5分に持ち込んだ。舫の後、多くの?セーラーの前で、Sチャン制作の金麦カップの盾と賞味期限切れ金麦がルナ艇長から愚生に手渡された。次回は今週末の土曜日、これもダブルハンドだ。


2015年11月30日月曜日

小豆島クルージング続編

舫を取ると、後からルナも着岸した。ルナ艇長もSさんも完全防寒のいでたちだ。愚艇のポートサイドのライフラインのポールやドッグハウスの側面に潮がべっとりと付着している。ドジャーもスプレーで雲っているので戻ったら水洗いをせねば。予報では月曜は雨といってたので、草壁での水洗は止めたが、なんと今日は快晴、あてが外れた。

着岸手続きに桟橋食堂のおばちゃんのところへ行き寒霞渓の紅葉状態を聞くと、開口一番、もう時期は過ぎた、チョット汚いね、と。
Kさんは走って、紅葉亭前まで行くと、はじめからその準備をしていた。ルナ艇長は靴も新しく、行く気満々。Sさんは、少々迷っているような。愚生は、入港時の寒霞渓を見た印象と桟橋食堂のおばちゃんの意見が合致したので、どうも行く気が失せてきた感。

いずれにしても、バスの時間まで休憩となる。ルナ艇長とSさんはビールで乾杯。後から、艇長がビールを持ってくれた。で、時間だから、そろそろ行くかということになる。愚生も一応準備はしていたものの、なかなかその気になれない。バス停迄、グズグズ言いながら行った。

停車場でバスを待つもなかなか来ない。ルナ艇長がバス停の時刻案内を見て、なんや時間、間違ってやん、バスは15分前に出てるよ、と。なんと、愚生の勘違い。
前もって、みなさんには メールで時間を知らせていたにも関わらず、愚生の直前の勘違いに、みなさんもそれにつられてしまったのだ。そういえば、ルナ艇長も自ら時間を調べて愚生にメモをくれてたな。
ルナ艇長、折角早起きして来たのにと愕然としつつ暫く考えた末に諦めた。艇に戻り4時まで自由時間とし、それ以降、温泉に徒歩で行くことになった。この際、昼寝と決め込み、頂いたビールを飲み、バースで横になり1時間ほど昼寝した。その間、Kさんはランニングをされたようだ。

夕暮れのじゃらんジャラン、4人揃って海岸線に沿った遊歩道を漫ろ歩き。途中道の駅に寄ったりして、丘のうえのオリーブ温泉に辿り着く。ホッとして湯に浸かるもルナ艇長の残念そうな雰囲気に申し訳なく思う。帰りはタクシーを利用、桟橋迄戻る。
JSAFのSさんの推薦もあり夕食は桟橋食堂で食べることにした。予めお刺身を買ってきて貰ってたら、その中に、オリーブ鰤があり、皆でいただくが、これは大変美味かった。ここにしかない鰤だ。

お酒全く駄目のKさんが地元の麦焼酎を差入れしてくださる。桟橋食堂のおばちゃんに持ち込みをお願いする。おでんやらに合う美味しい焼酎だった。
翌日の朝食を8時にお願いして、愚艇で2次会をはじめる。今度はルナ艇長が芋焼酎を持ち込んでこられた。そこで、わいがや言いながら芋の湯割りをいただく。

キャビン夜話は音楽やらなんやら、思いおもいの話題が交差する。そのなか懐かしいルナの名物3k料理の復活話もでる。食材は牡蠣、蟹、鴨、何れも丁度今からのシーズンだ。おひらきになると愚艇は酒場の如く麦と芋焼酎がストックされた、所謂、ご両人のキープだ。

翌朝目覚めると、係留桟橋でルナ艇長が8時からの朝食は遅いと思ってたが、なんとギリギリまで寝てしまったといいつつ慌てて洗面に行かれてた。キャビンのバースはよほど寝心地がいいのだろう。桟橋食堂に遅れて来られるほどだった。

朝食を摂りながら、おばちゃんからオリーブの話を聞く。今度は、計り売りのオリーブオイル買出しセーリングに相成った。花より団子、紅葉よりオリーブ。大きめの瓶を持参せねばなるまいな。牡蠣をオリーブオイルで食す、これもいい。


2015年11月29日日曜日

小豆島クルージング

恒例の小豆島クルージングに出かけた。寒霞渓の紅葉を目指す。
登山の時間等も考えて、土曜の朝5時過ぎに出港するので、前夜の金曜も艇泊にした。Kさんは自転車で来られた。時間が迫ったので、スピードをあげて来たと。それも、登山用のでかいキスリングを背負っての登場。

準備を整え、予定通り、5時30分過ぎに出港する。天気はまずまず、しかし、夜は明けてないので航海灯を点けて機帆走する。夜明けと共に風も吹いてくる。

朝食は海上に出てから摂ることにした。Kさんは家で済ませてきたとのことで、愚生はコンビニで買ったおにぎりとカップ味噌汁を食べる。コーヒーを沸かしたりしながら、草壁港を目指す。

風も波も騒がしくなる。小豆島に近づくと風は更に強さを増してくる。愚艇の風速計は廻りが悪いが、それでも13mを指している。艇速もあるので一概に風速計の数値はあてにならないが、しかしまあ、結構吹いている。波もたってきて、バウから崩れ波が流れてくるし、スプレーがドジャーにあたってくる。

二人でそのドジャーに隠れてスプレーを避けながら、リモコン操作でステアリングを操る。然し、オートヘルムも風が強すぎるとギアがスリップするのでステアリングを握る。スプレーを何度か浴びるが、何かしら気持ちいい。ルナもヒールしながらセーリングを楽しんでいる。

草壁に回り込むと静かな海になる。丁度、海王丸が出港中だった。訓練生の寒霞渓への海抜ゼロからの登山訓練をやったんだろう。3年前も会ったな。
Kさんと、こんなときUW旗がいるねと。KさんはVHFで海王丸を呼んでみたらと言ってたが、流石に躊躇した。
それから間もなくポンツーンに舫を取る。このあと、またドラマの展開があるが、それは次稿に。

2015年11月27日金曜日

国際信号旗

今朝も寒い。コートを羽織ろうか思ったが、マフラーのみにしたら、やはり寒い。

今日はウエストマリンのバーゲン日だ。時差の関係もあるので、少々ややこしいが、昨日依頼をかけた。ルナ艇長分、Fさん分も間違いのないよう確認メールした。愚生はいろいろあって結局購入するものが少なくなった。ただ国際信号旗のセットは外さなかった。

少なくなった補填として、注文整理の終盤に日本では手に入らない小物を探していたら、ウエストマリン製の国際信号旗セットに目が留まった。
こちらの方は当初リストアップしたものの半分以下の価格。1サイズアップだが大は小を兼ねるで安い方にした。お二人にも勧めたら、先ずルナ艇長より、買うとのメールがあり追加で注文。夜、Fさんから電話があり買うとのことで、再び追加注文した。

国際信号旗については、以前blogにも書いたが、帆船時代に通信手段としてある将官によってつくられたもので、今では国際基準として使っている。国によっては意味合いの使い分けがあるようだ。然し、旗の組合せなど国際基準なるものは万国共通。

以前、MさんとJSAFのパーティで飲んでる時の話に、出港する自衛艦に対してUW旗を自艇のマストに掲揚したら、答礼のUW旗に数字1旗が艦橋に掲揚されたと。セーラーの大先輩Mさん、シーマンシップの一面を教えてくださった。その時の彼のブレザーの襟には小さなUW旗のピンがあった。

今回購入の国際信号旗は18"×24"だったかな、デスクに実寸を書いてみたが結構大きい。どのように使うか、先ずはUW旗と答礼用の数字の1旗だろう。そうそう金麦カップレースでは、それこそ意味合いの違うZ旗を使うか。信号旗を揃えておくとレース本部艇利用の時にも何かの時に役にたつ。

ウエストマリンのMさんから、米国感謝祭のバーゲン突入から注文殺到で見積書が遅くなるとの返事があった。そのMさんにはいろいろお世話になっている。ウエストマリンでの久しぶりの買い物、送られてくるのが楽しみだ。然しFedexの貨物運賃高過ぎ。

今朝の海峡は2mくらいの波が立っている。湾はさほどでもないが、雲の合間から斜めにさす光を受けた海は寒ざむと輝いている。コート着るべきだったかな。



2015年11月26日木曜日

暖冬らしい

暖冬との今冬季の予報。しかし、冬は寒い。
週末はkurenai and Lunaで小豆島の寒霞渓紅葉狩りクルージングだ。行きは少々強行軍で、朝早くの出港。天気は良いようだが、寒いとの予報。多分、西風に向かうことになるだろう。暖かい格好を準備しておかないと。

昨夜のニュースでは札幌は60数年振りの大雪に見舞われたとの報道。一方、本州の著名なスキー場では雪が降らず、スキーヤーのキャンセルが相次いでいるとか。となると暖冬なのか・・・。愚生は寒がりだから、今朝からマフラー着用。

2015年11月24日火曜日

粉もんやでビール

21日のblog
先週、友人が訪ねてきた。午後は若いS君で、夕方は同世代のOさんのダブルヘッド。

S君は彼の親父さんから紹介された未だ30代だ。コーヒーを飲みながら、色々な話をして、彼の質問に応えたりするが、それが求めているものかどうかは解らない。まあ年の功を背景におしてしまう。大したアドバイスも出来ないが、相談してくれると、こちらもいろいろな考えに及ぶので、楽しめる時間となる。

夕方のOさんとは食事をすることにした。ホテルのロビーで待っていると、娘さんの誕生日プレゼントをさげてやってきた。
何処に行こうかと聞くと、粉もんがいいと言うのでお好み焼き屋へ行くことになる。ビールを飲みながら、メニューから適当なものを注文して粉もんを楽しむ。
彼は海外の仕事が長く、知り合ってもう20年弱になるかな。彼もそこそこの年齢に達したので、先般、還暦ブラザーズなる会を発足した。

この日は出張の帰りでの途中下車。明日は東へ移動して更に途中下車してゴルフとのこと。いいゴルフ場なのでなんとしても行かねばと言っていた。そう言えばS君も土曜はゴルフと言っていたな。

食事をしながら、少し昔のことを思い出し、あの頃の話には未来があったな、など会話を楽しむ。その未来のひとつは、今は現実のものとなっているから面白い。

そんなことから、次は何をするか、そんな話題になると、彼曰く、それが還暦ブラザーズだと。ブラザーズには彼の知人がもう一人いる。ルナ艇長やS君の親父さんもその話はした。なぜなら資格があるからだ。

いずれにしても彼の仕事には海外が付いて廻る。この日も、その話が中心だった。
それから、粉もん、なかなか美味くビールに合う。それもオーソドックスな具材が一番かな。

社協の行事

22日のblog
社会福祉協議会の行事は無事に終えた。
OPディンギーを会場に持ち込むと、インパクトがあるだろうとの想定だった。一応の役割はできたかなとおもう。ロープワークの講習がメインであるから、それの添え物だ。
前日のディンギーの搬入はよかったのだが、セッティングでは、場所の問題などが出てしまい、やりかえなどに手間取った。

当日の行事ではメインである、ロープワーク講習に大人も子ども参加され楽しんでいた。
この行事参加も、もう何年もなる。連休の2日間、準備や講習する側のみんなは時間を割いての対応だ。日頃は地元の海域で遊ばせて貰っているので、少しでもお役に立つことがあればとの気持ち。NPOも設立して8年目になるのかな、地元に定着した感じだ。


2015年11月20日金曜日

週末行事やらいろいろ

この土曜と日曜は市の社会福祉協議会のイベントがあり、OPディンギーを会場に持ち込み、来訪者にディンギーという小型ヨットの実物をお見せする。

毎年この行事にNPOとして参画して、ロープワークなどを子供から大人まで実体験して貰っていたが、肝心のヨット本体がないので、リアルさに欠けていた。今年は、実物の艇を会場に持ち込むことになった。
会場に来る子供たちの目をひくのは間違いないとおもう。今年のディンギー教室の写真をパネルにして掲示するのもいいかも知れない。とまあ、こんな調子で直近にならないと思い浮かばない。
然し、これでいい。ちょっとボランティア、ちょボラ連とでもいいますか、力を抜いた、程よい対応がいいと思う。

日曜はこのイベントがすんだら、NPOの理事会がある。今年度予定のNPO主催の行事が終わるので、会計報告などが行われる。

昨日投稿したまちづくり協議会の提言資料を作成する中で集計したが、この6ヶ月、NPOで仕掛けた行事、イベントへの来艇数は110艇、延べ人数は390名で、この内小学生から高校生までは150名だった。週末の社協イベントのヨットブースに来られる方が、この人数に加わることになる。

行事、イベントに参加頂いた400名を超えるみなさん全員が主役だった。
多くの艇や人達で賑わう運河には、遊んだり、学んだりする機能があることを地域の方々や行政も少しづつ気づきはじめた。
運河の持つポテンシャルを多くの人達が実感することはとてもいいこととおもう。

昨夜のルナ艇長のメールで、土曜のまちづくり協議会にオブザーバー参加するようになった。オブは発言しないのがエチケット。沈黙は金。そうだ金で思い出した、月末は小豆島の復路での金麦カップダブルハンドレースだ。

小豆島をロングとすると、ロング缶か、それもダブルハンドってことは2缶だ。なんて、なんでも遊びに置き換える、これまた楽し。そして寒霞渓の紅葉にもお目にかかる、といっても実はこちらが本命だ。
ということで、週末行事やらいろいろ。

2015年11月19日木曜日

肌寒い

今朝は肌寒いが、これが平年並みなんだろう。
昨日は早目に戻って、ルナ艇長からの宿題の古民家と運河の連携利用についての資料を纏めた。この週末に議員さんに説明するとのことで、締め切りが迫っていた。一応作成が済んだので、なんとなくホッとするも、多分、修正はある。
ルナ艇長が理事で参画しているまちづくり協議会からの提言、うまく進めばいい。

それから今日はボジョレーヌーボーの解禁日だ。今年は気候などのかげんもあり出来がいいらしい。ニュースでは50年振りの出来の良さだと言っていた。愚生は比較など出来ないから、飲んだとしても美味いとひと言うだけ。

そういえば、昨年のこの時期、解禁当日ではなかったが、ルナ艇長、Fご夫妻とで艇で一杯やった。一年は早いなど、なんとか・・染みた、野暮な表現はしないが、やっと肌寒い季節とボジョレー解禁の日がやってきた感である。

雲は灰色グラデーション、それもぶ厚いやつが覆っている。
それをみるだけでも肌寒いと感じるのは・・・、いやこれも歳のせいではなく、誰も肌寒いのでは。


2015年11月18日水曜日

セーリングデイにヒント

先日のセーリングデイについて、TYCの方々に、今後は恒例となるようだなど説明した。
その場では、年1回、合同でセーリングとか釣り大会でもやろうとの話がでて、前者は若い方から順番に計画するような流れになった。

先日のセーリングデイに金麦カップをやったことは投稿済みだが、遊びはちょっとしたきっかけでできる。童心にかえると、なんでも遊びにした経験が頭を過る。

ルナ艇長からみなさんにJSAFのヨットマンの集いのパンフが配られた。メンバーによる1年間のレースをラリーのような形式にして、取得ポイントを年間集計して、そのヨットマンの集いで表彰する仕組みであることを話題にしたら、昔、セーリングの時間とか距離を累計していたなどの話もでてきた。

TYCでもマイレージポイントレースとして競ってはと提言。いくつかのポイント例を話すと結構盛り上がった。また、Fさんのフリートがやっている釣果を年間で競ってはとも提案した。優勝艇には2千円程度の記念品とSチャンが持ち回り賞を準備してくれるとの話になる。釣り全く駄目人間の愚生はマイレージポイントの方を担当する。

マイレージポイントレース運営案をメールすると早速意見が出てきた。それらを網羅して項目等の月次累計表もやり易い方法で途中まで作った。それもこれも、セーリングデイにヒントを得たものだ。

2015年11月17日火曜日

ウエストマリン

日曜にバッテリーチャージャーの状態チェックをルナ艇長にお願いしたら、どうも、チャージャーの作動は問題無いようだ。電流計の4アンペアの電流値がゼロになっていると、メールをいただく。然し、ランプの色は変わらない。ランプには何かしら、問題は残っている。
電流数値の変化からすると、問題ないので、一応、機能しているという結論になる。ウエストマリンでバッテリーチャージャーを購入するか否、迷うところだ。

それからKさんからメールがあり、スポットライトのシールドビームがあるよとのこと。サイズさえ合えば使える。そうなるとスポットライトの購入も必要なくなる。ありがたいことだ。

Fさんから防水型のスピーカー、ルナ艇長からも依頼リストを預かっているで、購入品整理をして来週はじめには注文する。為替は円安に振れているので、メリット幅は少なくなるも同品を日本で買うとなると安い。それにウエストマリンは感謝祭のバーゲンだから。



2015年11月15日日曜日

やはり・・・

昨日はやはりあやしかった。
雨はあがるような素振りの天気だったが、やはり降ってきた。海上は風警報が出ているとのことで、レースは延期となった。よって金麦カップも中止だ。Oさんとルナ艇長のご配慮おごりの弁当を食べて解散した。

キャビンに戻り、バッテリーチャージャーとディープサイクルバッテリーの増設についてKさんと回路図などを見ながら話し合う。
やはり、ルナ艇長のアドバイスが必要となり、お出ましいただく。曰く、こんなでかい バッテリーを2台も積んでいて、まだ、増設するのか、ロングに出掛ける訳でもなかろうにと。一蹴、いや、一笑された。

その後、ルナ艇長とKさんのアドバイスを受けつつ、現状のチャージャーの作動状況をアンメーターで再チェックする。一方、陸電ケーブルの接続部分も抵抗を計測する。両方とも、数値的には問題ない。
なら、バッテリーチャージャーも購入しなくて良いのではとの結論に至る。

スポットライトのbulbも切れたので、新たなものにせねばならないが、あったら便利は取り敢えず不要かとも思い始めた。
既存のバッテリーチャージャーも充電状態の様子を見ることとなり、そのチェックをルナ艇長にお願いした。これも、購入見直しか、な。

ルナ艇長とKさんとコーヒーを飲みながら、もっとヨット遊びを工夫しようとか、スバルの安全性を強めた車の話題やら、町づくり協議会の話など、キャビンで多岐に亘る雑談を楽しんだ。
外はかなり強い雨が降りだしたが、ルナ艇長はレースやる気満々だった。折角、デッキカバーを外して準備してたのにと。レースは来月だ。



2015年11月13日金曜日

あやしい週末

あやしいと言っても天気のことだ。
気象庁関連予報では、明日は雨のようだ。クラブレースをやろうと計画されているが、どうなるか。金麦カップも2艇で競う予定だが、これもどうかな。愚艇からすると、前回とその前のリベンジ戦だ。

どのみち艇に出向きエンジン燃料の軽油を積まねばならない。雨だと給油出来ないので、スターンロッカーに保管する。
冬に向けヒーター用の燃料もいるが、未だ昨年の物がある。このヒーターは軽油で動くのだが、以前から灯油で動かしている。

このエンジン燃料の軽油、ルナ流でいくと、いつも満タンが望ましい。
理由はタンクに空気層があると、寒暖差でタンク内に水滴が発生して燃料に影響を与えるからだ。またルナには油水分離器が2本付いている。Yさんのアドバイスでそうされたようだ。

愚艇は1本。フィルターの予備を月末のウエストマリンバーゲンで購入する予定。為替換算しても日本で買う半分の価格。ただし航空貨物運賃がかかるので、単品で買う訳にはいかない。懸案のバッテリーチャージャーなどと一緒に購入する。久々の購入だが航空運賃の値上がりには閉口する。キャリアを選べないから、仕方がない。

この週末の天気、どうもあやしい。

2015年11月12日木曜日

ウイスカーポール

先日のセーリングデイでウイスカーポールのマスト側のエンド金具が折れた。脆性破壊というやつだろう。マスト使用のときはステンレスとの接触はあるも殆ど使っていないし、スタートボードのデッキに置いている時はロープ固縛なので電食ではないとおもう。

以降、スペアパーツを捜がしているが、使えそうだとおもうものはあるも、それが確実に使えるかどうかが解らない。また、結構高価であるから、うまく合わなかったら無駄になる。ましてや、使い込んだポールなので、キンピカのリペアではバランスしなくなる。

Kさんから、ディンギー用1インチのエンドが家にあったと、連絡頂いたが、こちらは2インチなので合わない。昔なら直ぐにアルミ溶接もできたが、今はそれもちょっと無理。

使用頻度は低いものの、昨今の金麦カップレースでは必需品となっている。恒久対策にはならないにしても何らかの対策がいる。
ポールエンドには加工穴が2ヶ所あるので、暫くはそれにロープ付けてマストリングと結べばなんとかなるかな、とおもっている。
また、ホームセンターの部品などを組合せるのもありかと。まあ、ああや、こうやと考えるのも楽しい。



2015年11月11日水曜日

テレビ

昨日のクルーズ紀行、今夜が放映の日だったので録画する。
また、もうひとつ、ヨットのドラマがある。実はルナ艇長はレンタルビデオでとっくの昔に観ているものでヨットレースの映画だ。この録画も忘れないようにせねばとおもう。

最近はAppleTVとかgoogleTVとか、新たなハードが市場に出てくる。使うと便利なんだろうが、今のところ試してはない。
TYCの数艇にはTVを積んでいるも、どれも電波の状態が悪くよく映らない。Fさんはマストトップに小型アンテナを付けているが、それは効果があるようだ。

テレビ、情報をリアルタイムで見聞きするにはいいのだが、電波が届かないことには、どうにもこうにもならない。
非日常といいつつも、文明の利器はいたるところに搭載されている。テレビもそのひとつ。






2015年11月10日火曜日

録り忘れた番組

録り忘れたと云っても、テレビ番組の録画だ。
それが、いつだったかも、忘れる位だから・・・。BS放送のなかでクルーズ紀行とかいう番組がある。一度も 狙って観たことはない。チャラチャラとコントローラーのチャンネルボタンをいじっていると、その番組に当たることがある。

先週だったか、その前だったか、そこも忘れたが、要は100年位経ったヨットをリストアして、モナコヨットクラブのレースに参戦する模様が紹介されていた。それも途中から観ただけだが、なかなか見応えがあった。

レースはモナコ王室が昔から支援しているようだ。次週の予告編映像は、セーラー達のネイビーブレザーに白のパンツ姿、胸にはモナコヨットクラブのエンブレルと、なんとも、かっこいい前夜祭だった。

さて、その放映はいつだったか。

2015年11月9日月曜日

セーリングデイでチョット金麦カップ

一昨日はHYAのセーリングデイに参加した。
初めての試みで、参加艇は少なかったが、それでも、恒例行事としてスタートをきったことになる。

海上でマーチとミートして、ルナと3艇で漁協の経営する食堂で昼食を摂った。S夫人も車で来られた。Sさんのお仲間のデンマーク人のセーラーも参加していた。
食事をしながら、今回の開催担当の協会事務局のKさんとSさんの話などをうかがう。
セーラーや一般の人たちが、休日、気楽に自由に楽しく参加出来るような行事になるだろう。

帰りはルナと金麦カップをやる。ダブルハンド、1ポイントの縮帆でのマッチレースとした。こちらのKさん、トリムは完璧。スタートはこちらがトップだが、前回と同様に軽快な走りで追いついてくる。はじめのタックで風上にまわったルナに差をつけられる。双方の艇のレスポンスなどがよくわかる。またスキッパーの戦術や腕も・・・。

後半はレース大好きSさんがポイント参戦、ルナ艇長から、マーチといい勝負をやってると、なんともご満悦な無線の声。少々悔しいが仕方ない。

セーリングデイ、ちょっとレースでもやろうぜって楽しみ方も。工夫次第で遊びはいくらでも作れる。

ルナからゴールしたとの無線の後も、着時間差をチェックするためにKさんとで暫くレースの体型を崩さずにセーリングした。よって航海灯を点けての帰港となる。
港には、TYCのみなさんもおられたので、1勝2敗を宣言。早速、今週末のクラブレースに金麦カップマッチレースの組み込み挑戦をルナ艇長に申し出た。

次回も同じメンバーでのダブルハンドだ。週末はぐずつく天気のようだが、少々吹いてもフルセイルでのチャレンジ、Kさんの繊細なトリムで何としても五分五分に持込みたい。

週末の夕食に金麦を飲むことはなかった。

さて、今朝の海上空港はアプローチの方向が違うようで進入灯が車窓からよく見える。ぐずつく天気、灰色の雲が立ち込めているなか、進入灯は鮮やかな動きあるフラッシュである。この航空管制の進入灯火には標準式とか、簡易式とかあるようだ。港にも進入灯火信号がある。虹色のようなものが電子海図に表れる。空も海も同じような管制がある。

次回の金麦カップ、それにセーリングデイも楽しみである。

2015年11月6日金曜日

ひかり輝く

今朝の湾は穏やか、波も無く海面はひかり輝いている。
海苔網の敷設は大方済んだようだ。ずーっと遠くには漁船群がみえる。どんな漁をやっているのか。同じような場所にみえるから、多分協働漁なんだろう。

残念ながら、往きかうヨットはない。先日、あるセーラーが、時間の無い時は無性にヨットで遠くに行きたくなることがあったと。然し、いざ時間が出来ると、その気が失せると言っていた。
そうすると、ルナ艇長は毎年ロングクルージングに出掛けるセーラーだから、忙中閑あり派か。横でみていると確かに各種ボランティア活動に忙しい。

明日はHYAのセーリングデイ。Sさんからの電話で、このような日を定めて、多くの人たちにセーリングを楽しんで貰う。また市民の人たちにヨットへの関心を拡げたいとも。
kurenai and Luna、勿論参加する。これを読まれたセーラーの方々、ひかり輝く晩秋の海でミートしませんか。

そういえば、ルナ艇長から、第3回金麦カップをやるか、とメールがあった。 なら、と受けてたつのは云うまでもない。となるとダブルハンドレースか、これは面白いぞ。




2015年11月5日木曜日

資料作りとチャージャー

ルナ艇長は、恒例の同窓ゴルフに出掛けておられるので、戻られた時にドラフトでもお渡し出来ればとおもい、今日、大方を作っておこうと思う。また、ボールをいつまでも握っておくのはルール違反だから。

昨日、Kさんにメールして、バッテリーチャージャーについての意見をうかがった。現有のチャージャーはどうも故障したようだが、厄介なのは、チャージャーはできるが、充電完了のランプの色がかわらないこと、まあ中途半端、このうえない。

先日、ルナ艇長保有の発電機で艇内に電源を送り込むと、発電機のヒューズが飛ぶので、チャージャーが邪魔してるのではとの疑いが強まった。陸電からの電力供給では問題ないのが、これまた悩ましい。

以前からディープサイクルバッテリーの導入を思っていた。鉛バッテリーは2台、内1台を予備として使う場合は3ポートのチャージャーが必要となる。そう考えて換えるなら、3ポートのそれだ。Kさんに新しい物に交換する際の回路やオルタネーターからの分配などをうかがう。

この週末はHYAのセーリングデイの行事でルナクルーのKさんも参加されるので、既存チャージャーの結線なども再確認しようと思っているところ。

2015年11月4日水曜日

なんとなく冬彩

昨日は、ルナ艇長とそのお仲間より依頼のたたき台資料の作成づくりに手を付ける。ルナ艇長にその旨を連絡すると早速、関係写真がメールされてきた。

数枚の、しかもたたき台資料だが、各論になるとなかなか・・・。この数日で仕上げてお渡しせねばならない。物語作りは創造力の欠如から、どうも上手くいかない。

そんなことを考えつつ、なにげなく湾に目をやると海苔棚に網が敷設されている。そういえば、先週の金麦カップの海域では海苔網ブイの位置調整をやっていた。

敷設中の網は海苔が付着していないので海面すれすれに見え、海が茶色に染まっている。
潮の干満や海流とこれからの海水温の調和で海苔が育つんだろう。この海域の海苔は全国区ブランド。
海苔網の敷設は冬の到来を表わす季節の風物詩のひとつ。朝日に輝く湾も、なんとなく冬彩。


2015年11月2日月曜日

雨で少々肌寒い

昨夜の天気予報では雨だったが、ズバリあたり、少々肌寒い。もう11月だから、当たり前だ。

一昨日の金麦カップに負けて戻ると、HYAからセーリングデイの案内が郵送されていたので、ルナ艇長に問い合わせたら、対応の必要があるのか、ないのかを確認するとのことだった。この月はT市社会福祉協議会のボランティアもある。
ヨットで遊ばせて貰ったり、いろいろお世話になっている地元、海域に、微力だけれどお手伝いできることをNPOやら、なんやらで・・・。

そうそう、もうひとつ、T市のまちづくり協議会の資料づくりもあった。これは、以前にルナ艇長とで、国交省の地方局にも相談にいった事案。
なにごとも旬の時期があるが、あの時はその期ではなかった。今回も、どうなるかは判らないが、少なくとも、それをやろうという仲間が増えたことは間違いない。

ルナ艇長も理事を務めるまちづくり協議会のみなさんとの観月食事会で話し合ったことを纏めねばならない。このことは前稿にも書いたが、地元のみなさんが議論を始める為のたたき台を先ずつくる。これはセーラーのみなさんにも少し役に立つことかも知れない。

数枚のペーパーにそのおもいも記してみたい。外は雨で少々肌寒いが、内は情熱満々。




2015年10月31日土曜日

金麦カップはルナの勝ち

今日は金麦カップマッチレースをやった。
11時頃のスタートで、時計は愚生のを使うことにした。スタートラインは白と赤のこの目印として、5分前に愚艇よりホーンを1発、3分前以降は声かけ、スタートはホーン1発合図とした。愚生はディフェンダーだから、その役目をする。そのようなことを艇長会議と艇上で話し合う。無線機を忘れたので、お互いのコックピットで大声で確認する。

風はホームを出港する時は北風で瞬間7mくらい吹いていた。お互いリーフしてのスタートとした。スタート時は風は弱くなる。愚生はモタモタしてしまい、ルナにかなりの差つけられた。
その後、風に乗って、なんとか追いつき、#1マークブイをかわせる位置にきたので、タッキング。同じタイミングのタックに今度はルナがモタモタした。
その後、直ぐに南風が吹き出したので、クローズホールドでスピードを上げて距離を稼いだ。
これで勝負ありとおもったら、今度はルナがいい風をつかみ、かなりのスピードで追い上げてくる。そうこうしてると、追いつかれて横並びになる。あとはフリーの勝負だが、ルートブイを見間違えて、モタモタしてたら、ルナに先を許してしまう。で、ルナにそのままゴールされてしまった。今日はルナの勝ち、よって金麦はルナの手に渡る。

ホームに戻るとSちゃん達が焼き肉会をやっていた。勝敗は既に伝わっていたようで、ひやかされた。年末迄にもう1回はやれるだろうから、今度はこちらの手中に、と考えているところだ。


2015年10月30日金曜日

音楽のことやら

観月会の時のblogにキースジャレットのことを投稿したら、それを読んでくださったYさんが、まさか、キースジャレットの音楽のことがこのblogに書かれているとは思わなかったと云ってこられた。この辺を語ると歳が知れると思いつつも、まあ、JAZZファンは年齢も様々だから。

今日は、肌寒い。今夜は若い人達との会食がある、どんな話題になるか楽しみだ。その 前に研修をやらねばならない。アジェンダもどきを整理したが、年寄り臭く如何なものかと思いつつも、そこは脱線しながらやればいいかと。

昨日、友人が訪ねてきた。愚生よりずっと若い彼とはもう20年を超える付き合いで、その経歴も興味深く面白い。何人かの方々を紹介したら、次は食事でもと誘いがかかっていた。彼の人柄の所以であろう。
最終の新幹線時刻まで食事をした。彼の話には未来があるから好きだ。


2015年10月29日木曜日

部品等の調達

先日の観月宴会のあと、艇を移動中にスポットライトの電球が切れたようだ。照度の高いものなので、交換する電球も特殊なものだ。 ルナ艇長も同じような物を持っているので、うかがうと釜山レースの際に補助電球も同時購入したと。流石、用意万端のルナ艇長だ。今日、それを聞いて調べてみるとその電球だけで6千円以上もする。

びっくりポンや。

昨今の円安もありご無沙汰のWEST MARINEのカタログを見ると電球代でLEDの高照度のそれが買える。ただし、Fedexのfreightがかかる。
来月辺りは米国のバーゲン期、バッテリーチャージャーや他にも欲しいモノがあるので、併せて購入しよう。ルナ艇長やFさんにも声をかけておこう。US thanks given dayに期待かな。



2015年10月28日水曜日

お山は雲隠れ

昨日は会議があり、午後から夕方までそれに加わった、といっても後からの懇親会の席で、若手の出席者から、今日は辛口コメントがありませんでしたね、と言われてしまった。

内容を聴くと大方、上手くいっている。幾つか矛盾はあるも、重箱の隅をつつくようなことを言っても仕方ない。また、高邁なことを云うのも如何なものかと口を噤んだ。
若手の彼は愚生の発言を期待していたのだろうか。であるなら、サービス精神に欠けたことを少々反省せねばならない。

懇親会は和気あいあいと、いつもいい雰囲気であった。帰りに何処かのバーで一杯と思ったが、そのまま宿舎へ向かった。ロビーでコーヒーを飲んで新聞を読んで、一日を終えた。然し、どこのホテルも混んでいる。それに外国人が多い。

この宿舎は仏教宗派の事務所と併設、多分、経営もこの宗派ではないかな。よってお坊さんも多く昔から朝粥が有名。それこそ何十年ぶりかに投宿した。

朝食のスタイルを期待していたのだが昔とはガラリと変わりバイキング方式となっていた。少々残念な気持ちになったが、昔ながらの粥、野菜の煮物などを美味くことが出来た。宗派の戒律であろう髪を剃った黒袈裟のお坊さんと、西洋のご婦人達が食堂にいる風景がまたいい。

帰りの車窓からも、富士のお山は雲隠れ、裾野までもが雲だらけ。

2015年10月27日火曜日

金麦カップ、やりますか

この週末、久々、kurenai and Luna のマッチレースをやりましょうかと、ルナ艇長に連絡したら、やろうということになった。このレース、賞味期限切れの350mlの金麦を奪い合うもので、金麦カップと称し月例としているも、少し時間があいてしまった。

これから風が吹く季節なので年内に何度か出来る。ルナクルーのKさんやSさんを誘い、コースを長くしてのダブルハンドレースもいいとおもう。

レースといえば、ルナは先日の市民レースではスピンネーカーを使わなかった。Kさんとの事前練習で、クウォタリの走りではもう1艇いないと、スピードの正しさが測れないと言っていたので、今回はそれが出来るかもしれない。その場合は僅差の勝敗となるだろう。

そうそう、市民レースではスピンネーカーを使わない場合、Bクラスでのハンディがないことがわかり、ルナは成績がふるわなかった。スピンを使っていたら上位入賞の可能性はあっただろう。

金麦カップ、そろそろ、手ごろなカップを準備しようと言ってるが、いいものが見つからない。また、3ハーバーに出向いてルナ艇長キープのHYCタグスコッチをいただきながらマダムに相談しないとならない。

所用で東へ移動中、今日の富士のお山は中腹から厚い雲に覆われている。さて、金麦カップ、どこにしまったか、探さねばならない。勿論、飲んで ないことは確かだ。

2015年10月26日月曜日

野球は第二のシーズン

この期はプロ野球には様々なイベントが目白押しで、ドラフト然りだ。勿論、日本シリーズも真っ最中でもあり、アメリカではMLBワールドシリーズもそろそろ開幕するのでは。
さながら第二のシーズンである。

野球を特別好むわけでもないが、監督人事などがいろいろと伝えられるので、そちらに目や耳がいく。そのなか高橋由伸さんが、ジャイアンツの監督を受けたとの報道。いろいろと問題を抱えるジャイアンツの監督をこの期に受けるのは大変だろう。

候補者選びにはいろいろあったようだが、人事はどの時代も、どの業界も同じ、いつも、ひとごと。特に巨人は、唯一、軍と名がつく球団なので、監督になる人も大変だろう。球界一若い高橋新監督の活躍に期待したい。

パリーグ覇者のソフトバンクは、次のアメリカズカップの日本代表のスポンサーとなる。それをJSAFとKYCが支援する。関東ではない、関西きっての名門ヨットクラブがアメリカズカップに関わるところが興味深い。専門雑誌では特集記事があるも、一般の新聞等々で報道を目にすることはない。
どうあれ、こうあれ、媒体での露出度は高まるだろうから、ヨット乗りの端くれとして、期待したい。
野球からヨットに話が流れてしまった。そうそう、スポンサーは球団ではない。

2015年10月25日日曜日

十三夜の観月セーリング

昨日は十三夜、神社では観月能が行われた。
我々はルナ艇長のお仲間とでサンセットセーリングを楽しみ、その後、kurenai and Lunaを繋ぎ、お仲間が準備されたおでん、紅茶煮豚、フライなど様々なご馳走にビールや日本酒をいただく。

21時過ぎまでわいわいガヤガヤとやった。地域活性の話も多くあり、港やお祭りの活性化等についての考え方などをたたき台書類に作成するよう仰せつかる。みなさん、エネルギッシュで、それに推された。

食事会のあと、愚生の翌日スケジュールの関係からルナ艇長にお手伝いいただき、艇を所定係留場へ回航した。アンカーラインが風で流れており、何度かアプローチをやり直した。

舫を取り、ふたりで日本酒を少しだけいただきながらの雑談。開口一番、少し疲れたなと言いつつも、みなさん喜んでくださったのでよかったと。

キースジャレットの一曲、マイソングのソプラノサックスが十三夜の泊地に心地よく響く。金麦マッチレースをいつにするかなど話ながら、この日を終えた。心地よい疲れであった。









2015年10月23日金曜日

よい天気と旬のもの

よい天気が続く。
ニュースでは東北地方などの山々の紅葉風景が映されている。
海は色など変化はないので、車窓から眺めても季節を感じることはないが、海苔網漁であるとか、漁船の船団漁などが、季節を感じさせてくれる。

秋は旬の食べ物が豊富だ。もどり鰹もそのひとつではと思う。脂がのって美味しくなる。食べ方、それは水揚げされるところの山の物などと合わせるのが一番ではと思う。旬のものはその期に多く出回り、食の季節文化を感じさせながら、其々を楽しませてくれる。

先ずは、旬の美味しものは地産地消。で次が、大都会の順番か。然し、その大都会とて、ちょっと前までは江戸前とか浅草海苔など豊富な海産物があった。練馬大根、谷中の生姜などなど。

ルナ艇長のロングクルージングの楽しみに、1レグ毎の港で、居酒屋の暖簾をくぐり、その地の美味しい食べ物とお酒をいただくこともひとつと聞く。愚生はキャビンで地産地消、ひと手間かけて作ればとわざと反論するが、ルナ艇長が正しい。なぜならルナには調理器具類は揃ってはいるものの、艇長は料理がからっきしダメなひとであるから。

通勤途上の銀杏並木の色づきもまだまだだから、深い秋はもう少し先なんだろう。然し、市場には、魚、野菜、果物など、秋の旬のものが多く並び楽しませてくれる。昨夜、ルナ艇長から明日の観月食事会は10名、メニューは、おでんとメールがあった。なら、季節に合わせ、運河の夜は熱燗がいいのかも知れない。そうか、男女5名づつの合コンだ。

2015年10月22日木曜日

こんぴら参りヨットセーリング

昨日、恒例のこんぴら参りヨットセーリングの案内が郵送されてきた。毎年11月に赤穂ヨットクラブが主催されるものだ。

早速、申し込もうと、ルナ艇長に相談メールしたら、その時は社会福祉協議会のボランティアと重なっていると。先般はルナ艇長がこの社協行事日程を失念していたが、今回は愚生のほうだ。何れにしても社協のほうを優先せねばならない。
ルナ艇長も残念とメールしてこられた。

去年はルナにSさんが乗船、愚艇にはKさんが乗り参加した。多度津港迄の距離と集合時間の関係から朝方4時頃に出港した。
各地からの参加艇が多度津に集り、多度津ヨットクラブの方々と交流する。また現地でいろいろと対応してくださり、金比羅本宮参りでは、普段は通ることのできない道を使ったりもする。
今年の案内に晩餐会とあったが、夜はみなさんとでお酒を酌み交わしながら食事を共にします。去年はニュージーランドのセーラーも参加していた。

帰りの備讃瀬戸は荒れた。金毘羅の階段登りの疲れからかコックピットで横になり、うたた寝してたら、Kさんのなんやこれ、の声で目が覚める。豊島と小豊島と小豆島の間からの複雑なブローと波のいたずで、艇の向きが変わったのだ。

この風向きでは池田港での停泊は無理やということで、草壁港へ進路を変えた。しかし、その草壁でも吹かれた。桟橋には既にレース艇が着岸していた。話はそれるが、このレース艇とは、その後のレースで何度か出逢うことになる。

日没時刻と風と波で桟橋着岸は結構大変だった。レース艇の艇長と桟橋食堂のおばちゃんも出てきて手伝ってくれた。その後、更に暗くなりルナも着岸、総出で対応するも何度かやり直した。ルナ艇長は諦めて別の場所での係留を考えたと言ってたほどだった。あとで知ったのだが、吉田港あたりでは、小台風なみの風だったようだ。

翌日の帰港時も、時折、風速計が10m以上を差していた。おかげでスイスイ帰れた。このように昨年のこんぴら参りヨットセーリングを思い出す。

2015年10月21日水曜日

タモリカップに出ようぜ

Sさんは役目柄か、タモリカップに関わっている。このblogでも紹介したが、今年のタモリカップ福岡には家族と仲間達で自艇参戦した。
前夜祭もさることながら、レースもとてもよかったといっていた。先日、Sさんから記念のキャップを貰ったが、後で聞くとそれは、第1回の横浜タモリカップの記念キャップだそうだ。

そのタモリカップにレーサーのKさんが出ようぜ、と誘ってくる。
愚生の艇はクルージング仕様なので、レースには不向きだが、クラスをDくらいにすると可能かな。Dなんてないと思う、いやあるかも(笑)

彼はair supplyというレーサー艇を保有する 根っからのレース好き。あちこちのレースに参戦して常に上位に入賞している。実は彼とは妙な縁がある。彼の奥方Mちゃんとはもう40年以上からの知り合いだ。
ある時、元町の古い喫茶店で偶然に彼と会った。その横に愚生の知るMちゃんがいるではないか。そこから、親しみが更に深まったという訳だ。

先日の市民レースの時にも、来年はタモリカップに出ようぜと声をかけられた。会う度にタモリカップに出ようぜ、と。
レースならair supplyじゃないかと勧め、それに愚生も乗せてくれと頼んだら彼曰く、エンジンが不安だと。そうか、レース専門艇だから、それもわからんでもないなーと妙に納得した。

このタモリカップにはルナ艇長も興味があるようだが、来年は別のチャレンジを考えている。本来はkurenai and Lunaで九州を一緒にクルージングをと話し合っていて、それにはFさんも自艇で参加するといっていた。然し、ルナ艇長としては成し遂げたいプログラム がどうしてもある。

タモリカップをよくよく考えて見ると、先ずは発祥は横浜。そうか、ルナは横浜で参戦という手もあるな。いや、今年は嵐のコンサートで中止となった東北でも考えらえる。それに富山だって。勿論、福岡もだ。
ルナ艇長もレース好きのセーラー、それに、KさんとSさんとが乗ると、ひょっとしてBクラスの優勝も視野に。Fさんも、ルナクルーも乗り込むだろう。愚生、勿論参加だ。そうか、ルナ艇長のプログラムで、こんな参戦の仕方もあるなと勝手に空想。

今朝のblog、全くストーリー無しだったが、結論、空想であっても、なかなかではないか。
みんなでタモリカップに出ようぜ。



2015年10月20日火曜日

潜水艦の本

「潜水艦の戦う技術」という本が新聞で紹介されていたので購入した。作者は潜水艦の元艦長だから踏み込んだ内容だろうとの期待から、衝動買いした。それを昨日から読み始めている。

港に入港した潜水艦は当然舫をとるが、そのクリートはどのような構造なのかとか、アンカーはどんな形状で、どこにあるかなど。今は、そこいらのページを読んでいる。
全ページカラー刷りだからわかりやすい。カラー刷り分、少々お高い。

2015年10月19日月曜日

昨夜のblogの修正など

昨夜のblog、居眠りしながらの投稿で、今朝読むと、脱字や脈絡のない文、いやこれはいつものことだが、いずれにしても、おかしなところを先ほど修正した。然し、直したものの、稚拙さはそのままゆえ、恥じるところだ。

それと昨夕、表彰式で、レースを支えてくだったみなさんのご紹介を忘れてしまったこと、大きな反省点だ。そのみなさんの中には、このblogのことをご存知の方もいらっしゃる。お詫びせねばならない。

またMさんはレース関連アップのために、姫路ヨット協会のホームページを数日後に更新されるとのこと。レースでの撮影や、HPのメンテナンスと、まだボランタリィな仕事は続いている。

昨夜戻ると、通販で買った諸々の物の中に、潜水艦の艦長の書いた本も届いていた。興味深いもの、通勤車中での楽しみが増えた。また、ミニビートルも届いていた。ミニとはいえ、子どもが乗る仕様。充電していつでも作動するようにせねばと思いつつも、我が家のサイズではチョット・・・。

今日も清々しい天気なので、朝から気持ちいい。こんな日は、ぼんやりとヨットで揺られておきたいものだ。





2015年10月18日日曜日

色々な方々と出会う

今日のレースで、また、色々な方々と出会う。
9時30分、アウターマーク付近では、セーラー達が大声を張り上げているのが聞こえる。

スタートラインを決めるのはなかなか難しい。特に風が安定しない時のアウターマーク打ち、位置決めは容易でない。

結果、今日のアウターマークの位置が位置なので、少しトリッキーなスタートとなってしました。
然し、それは百戦錬磨のレーサー達だからスタートを難なくこなす。全艇が無事スタートを切るとホッとする。一部リコールがあるもキチンと戻り再スタートしていた。

午前中出港する巨大船が、レース海域を通過するとき、島を回ってフィニッシュラインを目指すトップ集団が見える。レースは海上衝突予防法を適用させるもので、艇長、クルーのみなさんは神経を使ったことだろう。

レース支援チームも大変な仕事だ。準備から、安全にレースが行えるような配慮など、本当に大変だとおもう。お疲れ様です。

また今日も色々な方々と交流させていただいた。これからご挨拶できるセーラーが増えたのは事実。みなさんのお陰で無事に終えることが出来た。いい経験をさせていただいた。

2015年10月17日土曜日

絵画教室に通った頃

20年以上も前になるか、絵画教室に通い、油絵を習ってたことがある。習うきっかけは、当時、母が絵でもやったらどうかとのひと言。
この教室で、はじめて描いた絵、コリャなんじゃのレベル。自信喪失のなにものでもなかった。

土曜の手習いが終わると先生を囲んで何人かの方々がコーヒーを飲む習慣があった。ある時から愚生もそのお仲間に入れていただいた。
コーヒーを飲みながら先生から美術談義をうかがったり、みなさんからいろいろなアドバイスを貰ったりした。H先生は有名な方である。

コーヒー飲み仲間の女性2人に誘われ、休日、佐伯祐三展にも出かけたりした。はじめて目にした佐伯祐三画伯の迫力にはなんとも驚き、その美術館で画集を買ったりした。
しかし、そのような楽しいことも、震災で一変してしまった。

油絵の楽しさには、描くことは勿論のことだが、絵具を買うときがいい。あれやこれやと思いを巡らし色を選ぶ。発色のいいものは高価で扱い方も難しい。混色の相性の良し悪しなどもある。ビギナーはヒューという擬き絵具を選んだり、ビギナーながらに大きな缶入りの絵具を買う時などはワクワクして、とても嬉しかった。あとは頭の中では、おもうような絵が描けることもひとつの楽しさ。
一方、嫌になるのは、キャンバスに向い、頭にあるイメージをいざ描こうとしても、手がそのように動かないこと。然し、そのギャップも楽しかった。

当時はヨットのキャビンで絵を描くのが夢で、それをルナ艇長に話すと、そんなのルナのキャビンに絵具を置いて、好きなときに描けばいいじゃないか、といってくれたのを思い出す。

先日、ホテルのロビーにヨットハーバーを描いた油絵があった。50号はあったかな、それをみて、またやってみたいなーとおもった。所謂、頭で描ける、のそれが、どこかを過ぎったわけだ。
絵画教室に通った頃が懐かしい。



2015年10月16日金曜日

薪能、観月会

来週末は高砂神社の能舞台で薪能、観月の会が催される。
今の能舞台は古いそれを数年前に建て替えた。秋雨の降る日のこけら落としには、県知事もお越しになった。謡曲高砂の発祥、能を舞うに相応しいところである。

ルナ艇長も以前、謡の倶楽部に参加していたが、譜面の難しさには手こずったようだ。謡は腹式呼吸の最たるもので、且つ、文化度も高い。艇長のお謡は二度きいたことがある。一度目は明石ヨットクラブの創立何十周年かのパーティの席で、挨拶代わりに披露。次は、先日の万灯祭の挨拶の後、壇上で急に謡ったそれだ。
クラッシック音楽を愉しむので、日本の古典にも難なく入り込むことができるのだろう。
愚生の義父も昔々、謡曲を趣味にしていた。昔ながらの譜面台を前に稽古している最中にくわしたことなど思い出す。

その来週の観月会の折に、ルナ艇長が理事を務める町づくり協議会の方々とで、一杯やろうということになった。
運河の奥にkureni and Luna をスターン付けに舫っての一杯飲み会だ。

それぞれ自分が好きな飲み物と食べ物をひと皿持参して、海辺で食事を楽しむという嗜好だ。鴨鍋をやろうとか、ふたりでいろいろ考えたが、まあ、今回はBYO方式というか、其々が好きな飲み物、食べ物を持ち込むことでやってみようということになった。

秋の夜長、月夜の晩、イタリア語名のルナで、艇長のお仲間と軽音楽でも聴きながら、お酒と好きな食べ物に大人の会話を添えて、少しの非日常を皆んなで愉しむ。

そんな場にkurenI and Lunaが役に立つなら、おやすいご用。折角だから、食卓には自然な灯りを準備しておこうか。

2015年10月15日木曜日

姫路市民体育大会ヨットレース

今度の日曜日に姫路市民体育大会ヨットレースが催される。この月曜日に開会式のあった姫路市スポーツ祭の一環行事だ。
姫路ヨット協会から郵送されたプログラムをみると、第68回とあったので、凄いなーとおもっていた。

先日、姫路ヨット協会より、そのレース運営などを話し合う為の理事会招集があった。
用事で出席できずにいたら、会議の最中に、ダブルSさんから電話をいただく。内容はレース委員長をやるようとの御沙汰。曰く、欠席裁判とのこと。

愚生は会議出席率も低く、いつも心苦しく思うところもあり、断わるわけにもいかず、だった。その場での即答はしなかったものの、後からルナ艇長にその模様をうかがうと、決まったも同然の雰囲気だったよと。

レースは播磨灘にある島を回ってくる13マイルのコースで行われる。レース出艇参加者もベテラン揃いだから、何の問題も無いとのこと。役割は挨拶をすればよいとのこと。

この役目、はじめはルナ艇長へ依頼されたようだ。愚生も電話でルナ艇長を推したのだが、Sさんの話では、一杯飲みの用事あるようよ、と。何の用事だろうとその時は思った。
用事は何であったか、それは別として、結果、都合を付けレースに参戦される。この度はスピンネーカーは使わないハンディキャップの適用で、Kさんと二人参戦のようだ。

ルナ艇長と市長とは学友同士で、特に仲がいい。愚生も紹介して貰ったことがある。よって、この際、市長杯を取ってはと背中を押した。

当日は7時が出艇申告とのことなので朝早くから木場ヨットハーバーに陸路で向かう。それこそ、TYCに立ち寄り、ルナに同乗する手もあるが、その場合はもっと早くに起床せねばならない。早起きは三文の得、そのままクルーで参戦、それもありかと・・・。


2015年10月14日水曜日

ギネスビールの注ぎ方と拘り

ギネスビールの注ぎ方を再度試みる。
グラスを垂直にして僅かに注ぐ。その後、グラスを少しづつ傾けながら、45度程度から垂直に戻し残りを注ぎ入れる。
グラスの中を観察すると茶色だが、徐々に黒色に変化してくる。2分くらいで、グラスの中は黒と白にくっきり線引きされた。サージングを終えた泡の寸法も程よくなる。

メーカー指南の「ギネスビールの注ぎ方」通りだった。
缶の中にあるボールの機能だが、缶の注ぎ口で乱流を発生させるのか、材質が粗めの陶器で、泡を発生させるのか、などなど空想。

ビールの泡で言うなら、先月の万灯祭播磨灘ヨットレースで缶ビールの泡立機を賞品に選んだ。電池で超振動を発生させてビールの泡を肌目細く発生させるものだ。貰った人の評判はなかなかとの印象。

ビールは中味も大事だが、泡もその中身だから大事。それにグラスも。
1パイントのグラスをおまけで手にしたせいか、いろいろ拘った。いや、この拘りは歳のせいかも知れない。



2015年10月13日火曜日

ついつい手が出てしまう

スーパーの棚にあったギネスのハッピーハロウィンボックスについつい手が出てしまう。パッケージが面白いのとおまけも付いているから。いい歳しておまけなんてと云われるけど、それはそれで楽しいものだ。

このパッケージは缶ギネス。缶にはクリーミィな泡を立てるボールが入っているのでカラカラと音がする。昔は入ってなかったが、いつの頃からか、カラカラ音の缶ギネスになった。

箱の側面にギネスビールの注ぎ方なるものがわざわざ描かれている。つまり45度にグラスを傾けて注ぐとある。メーカーの注釈だから、一応その通りにやってみたが、どうも泡の層は薄く、グラスの中での特有の肌目細かな発泡がない。これをサージングと言うらしい。

市販では缶と瓶のギネスがある。缶にはボールが入っているが、瓶にはそんなものはない。注ぎ方、それとこれとが同じ理屈ではないような気がしてきた。缶にはなぜ玉が入っているのか。

余談だが、日本古来のラムネには、らんちんと云うガラス玉が装着されている。機能は少々異なるも、唯一、世界でこれくらいじゃないかな、瓶に玉が入るのは。らんちんは一部の地域ではビー玉ともいう。

ギネスの瓶には玉はいれられない。
話はそれたが、この45度にグラスを傾けて注ぐのは、どうも、瓶とか本格的サーバーとかの場合ではないのかなーと。少々懐疑的な・・・。

缶と瓶の注ぎ口形状が違うとか、色々理屈があるのだろうが、先ずは今夕、グラスを垂直から少しづつ傾けながら注いでみて、泡たち状態を試してみることに。で、注がれたギネス、そりゃ飲まずばなるまいて。

そうそう、おまけはギネス用グラス。これ、持ったときの手触りがなかなかいいので、翌々日、グラス狙いでもう1パッケージ買い求めた。

おとなのハロウィンの楽しみ方はここにもあった。


2015年10月12日月曜日

メンテナンスはスイッチ交換

祭りの日、つまり日曜メンテはスターティングスイッチの交換。
上の写真に同じ形のボタンスイッチが2個あるが、右が新品、左が旧品。真ん中の写真のパネルの下に孔があいているところに、このボタンスイッチが取付られる。

ルナ艇長が買物から戻って来られたので手伝って貰う。スイッチのケーブル延長等ではブルースカイ艇長にもお世話になった。Sチャンものぞきにやってきた、電子専攻だから電気には強い。
メンテ道具もプロフェッショナルなものが要る。正確な仕事をやっておくことが大切だ。

コンソールボックスのパネルも開閉可能なよう本来機能に戻した。ガッチリ着いてた防水用のシリコンを取り除いたので、今後、何か防水策を施す必要がある。
後で聞くと、ルナのコンソールボックスでも同じようなメンテが必要で、その防水シールを買いにいってたそうだ。

スターティングスイッチのほうは、試運転をやると一発でエンジンはかかったが、防水も含め、未だ少し不安なところもあるので完全とはいえない。しかし一応、問題点のひとつは解決された。




2015年10月11日日曜日

よーぃやさ、さあ、よーぃやさ。

高砂神社秋祭りの模様。
日曜、TYCにいると、「よーいゃさ」の掛け声が聞えはじめたので、神社へいってみたら、丁度、宮入り真っ只中だった。今晩も遅くまでみんなで祭りを楽しむのだろう。

町はいたるところ交通規制だったが、TYCのみなさん、自転車、車等で各々の艇にこられた。今日は結構強い南風だったから、海上は波があっただろうとルナ艇長。
みなさんいつものようにメンテナンス。愚生もメンテに勤しんだ。明日のblogで、その模様を投稿しよう。

観客も「よーいゃさ」、「さあ、よーいゃさ」と大きな声を掛け合う。
締込みに夫々の町の色を羽織った法被姿の男衆に注目が集まる。愚生の羽織った法被は緑だった。ああ、よーいゃさ・・・、祭りはいい。







2015年10月10日土曜日

同僚たちのアウトドアライフ

みじかなところに、小型船舶1級保有者がいる。そのひとりが、今は山彦のMさんだ。彼の部屋でコーヒーを飲み飲み話してると、この連休を仲間達とでカヌーを楽しむとのこと。

彼の仲間うちのY女史に、その旨を話すと、当然、女史も参加とのこと。
夫々が車でロッジに集合して、二泊を和気藹々と過ごすらしい。OBのHさんもビートルで駆け参じるらしい。

愚生らのそれで云えば、アンカレッジランデブー。こちらはカー&カヌーランデブーというところかな。
暫くするとYさんが手招きするので行ってみると、なんとローストビーフ用の霜降り肉があるではないか。

みんなアウトドア派だからBBQはつきもので、そのメニューのひとつがローストビーフとのこと。Yさんが昼休みに調達した食材。
ダッチオーブンででも作るのか?と聞くと、Mさんの移動キッチンにあるダッチオーブンでローストするとのこと。楽しさが想像できた。

それと昨夜は遠来客人との宴があり、それに参加して杯を傾けた。
そうこうしているとMさんが仕事を終え駆けつけてきた。いつものM節はその場をおおいに盛り上げる。ジョークを交えた面白い話をしつつ、更にもう一軒と、ハシゴを決めつけ歩き始めた。

カヌーもあるので、今日は早く戻るがいいのではとお節介をやくと、彼曰く、土曜は16時過ぎに現地に入ればいいですと。カヌー乗りは明後日だと仰るので、無理に帰宅を促さなかった。もう一軒のところで、得意のサザンを歌ったんだろう、多分。

2015年10月9日金曜日

播州高砂の秋祭り

寒露が過ぎると、播州は秋祭りの期になる。10月初旬から始まるところもあるが、大体が今から本番を迎える。

高砂神社のお祭りは、往時は大阪天神祭と並ぶもので、また1000年もの歴史があると刻まれている。神様が海でお遊びになる舟渡御は壮大なもので、港町ならでは風景だ。今は3年に1度の行事になっている。

御旅所で御休憩の神様を楽しませるひとつは、町まちの屋台の拵えや、練り合わせながらのぶつかり合いなどの披露だ。
それは、それは、迫力あるもので、締込み姿の地元の男たちの力と技の為すところ。古式豊かなお祭りは神事であり、また伝統文化でもある。

前回の舟渡御の折に、漁師さんのご厚意で地元の法被を着せて貰い、祭りに参加させて貰ったことがある。ふさの付いた警棒を持つ役で、地元のルナ艇長の横に立った。とても貴重な体験をさせていただいた。

法被姿をみた顔馴染みの女性から、へー、引越して来たの、とからかわれたりした。
この町から引っ越した愚生の過去からすると、戻って来たの、ということになるのだろうが、然しそれはもう古い話。今は、時々週末のキャビン暮しといったところか。

祭りが過ぎると、播州の秋は深まり、平野も灘も、とてもいい季節になる。勿論、ヨットライフにとってもだ。




2015年10月8日木曜日

寒露

二十四節気の寒露、今日はタイトルがある。季節暦としてこの二十四節気は解り易い。ましてや漢字から、想像というか想いを巡らせることが出来る。

昨夜の講演のあと中国の人と懇談する機会があり、立ち話をした。流暢な日本語を喋るので、話しの内容についても、仔細まで聴くことが出来る。
中国では仲秋節と国慶節の連休から、旅行者の消費活動も盛んである。昔昔、何処かの国も一億総中流など評していた頃があったようだが、いまや中国では、その数倍が中流層とか。まあ、驚きである。

さて寒露、朝夕はめっきり涼しく、と云うより寒く感じる時もある。この時候の市民薄明、航海薄明の時刻も早くなる。日没まで自然に併せて何段階かに分けた表現をされるのが面白く、そして好きだ。
然し、数字表現は二十四節気を含めて規則的にまとわりつく。
まあそれはそれとして、市民薄明時刻が早くなる頃の夕暮れの播磨灘が美しい。

沈み際の夕日はとても大きく、周辺にある全てを幻想的な色で染めながら、水平線に消え、つぎの何処かの見せ場へといってしまう。

晴れの日、航海薄明刻までの空、海、雲の彩りのなんと美しいことか。


2015年10月7日水曜日

タイトルがみつからない

タイトルがみつからない、そんなこともある。
今夕は知人の代理仕事がある。と云っても、ホテルへ出向いて、講演というか、武漢市のポートセールスを受けることと、市長も来日するので、その方々と名刺交換をするよう頼まれた訳だ。

依頼人は昔からの知人女性で、今は中国の現地法人総経理を兼務している。本来は英語圏で働く人なんだが、いまのところ中国語圏で仕事をやっている。まあ、なんでもこなす人だ。東京から彼女の部下の人も来るというので、こちらも何人かに声をかけて参加するようにした。

以前は足繁く海外へ出向いた。中国には1ヶ月で4往復したこともあった。
上海の街角で信号待ちしてると、中国人のお婆ちゃんが道を尋ねてくる。そういうことが何度もあった。要は外国でシンガポーリアンやチャイニーズによく間違われるようだ。鏡を覗くと確かに、南方系アジア人顔だ。

職を替えてからは、海外へ出向く機会は少なくなった。然し、日本の街角でもよく道を聞かれる。勿論、流暢な日本語で応じる。

2015年10月6日火曜日

ルナの3K鍋

これも昔昔の話になるが、ルナには有名な3K鍋があった。いや、今もある。
一つは蟹、次が牡蠣、そして鴨だ。キャビンやコックピットで皆集まり鍋小宴をやった。もうひとつ食材にはクエもあったな。

先日の万灯祭の夜、もやし、豆腐、豚肉で蒸し鍋擬きをやった。前菜には、漁師のHチャンが差し入れてくれた鱧の湯びきを鍋におとして少し煮立たせて、皆でひとすくいしてポン酢で味わう。

この鱧出汁で、豚しゃぶしゃぶをいただく。そのあと、豆腐を鍋底に並べ、もやしを山盛りしたうえに薄切り豚をのせて蒸し鍋となる。あと底の豆腐をポン酢と大根おろしで湯豆腐調にて食す。ポン酢はスポンサーのキッコーマンを使ったのは申すまでもない。

先日、タイ産の合鴨があった。台湾産がいいのだが輸入されないので、鴨鍋も休業中だが、タイ産を一度試してみるかなーとおもった。誰か試食するひとをみつけて。




2015年10月5日月曜日

少し肌寒く感じる

今朝の外気は少し肌寒い。日に日に秋は深まり気温もそれに沿う。

結局、土日共にヨットには行けなかった。お誘いがあり日曜は海峡に架かる橋を渡って対岸の島に出向くことになった。橋の上から、横目で湾側をみると島影でセーリングをしているヨットがみえる。
ルナ艇長は土曜セーリングをやったメールがきていたが、いい風だったのだろう。これから初冬にかけて播磨灘にはいい風が吹く、まさにセーリングシーズンだ。

海峡の橋を渡りながら、昔昔、サンフランシスコの坂の多い市街地を通り抜け金門橋を渡ってモデスト迄移動した時のことを思い出した。
橋の通行料は有料だが、帰りの通行料は無料だったような、合理的だなーとおもった記憶がある。モデストは桃の産地、途中の丘には無数の風力発電用の小型風車が設置されていた。ルート66をドライブすることはなかったが、そこは車社会、自身で運転せざるを得なかった。

そんなことを思い出しながら渡る。
島には大型風力発電風車が多く備わっている。それも島の西、播磨灘側に多くあり、その内の北の端の数基がみえる。その山頂には大阪マーチスがあり、そこへと繫がる道もあった。保安庁の職員はこの道を利用して信号所を往復するのだろう。そうなら風力発電所にも繫がる道なのかな。

この播磨灘にはヨットの姿をみることはなかった。この日も日陰は長袖を羽織るような外気温だった。


2015年10月3日土曜日

ハガキlog

Weblogではなく、ハガキlog.
友人のMさんから、ハガキをいただく。月例登山の写真をハガキに印刷して、メンバーに郵送されている。その写真をお送り頂いているわけだ。所謂、マンスリーログ。

彼は会社の山の会のリーダーで、このblogにも利尻富士登頂記念の昆布焼酎とか、世阿弥の風姿花伝のことなどで登場して貰っている。
昨日彼の部屋でいろいろ雑談した。デスクには部下宛のハガキが数枚あった。彼は手紙文化振興にも力を注いでいる。

logといえば、元パイロットのMさんはヨットに乗ると必ずlogを書くとうかがい、そのフォーマットを頂いた。航空機のと同じよう英語の項目で、シンプルだ。勿論、紙に手書きで記録するようになっている。

そういえばこのblogも以前に、ルナ艇長からロングクルージングの部分を本に出来ないかと相談を受けた。bookにしてみるのもいいなと思う。
紙の消費量はその国なりの文化度を示すというが、やはり紙に落とすことかな。

本来、日本は木と紙の国。木造建築に、内装は障子に襖、昔なら行燈などなど。
ハガキlogはいろいろなことを巡らす。





2015年10月2日金曜日

嵐は去った

深夜、雨音と風の音で目が覚めた。
夕方の湾、海峡、灘は朝のザワザワから更に波が立っていた。当然、風速はあがっていたので、予報通りだなーと。このエリアの嵐は去ったが、北日本は大荒れ模様だ。

先ほど、ルナ艇長に携帯メールで泊地の状況をうかがったら、目につくようなことはないが、再度、艇は確認しておこうとのことだった。ありがたい。

以前にも書いたが、デッキのオーニングがボロボロで、補習縫いをしても繊維そのものが弱くなっていて、裂けてしまう。その一時期の様をみて、ルナ艇長が難破船のようだと言っていたが、その通り。
そこから少しは補修したが、50歩100歩だ。大きく裂けて、他の艇に迷惑をかけてはならないので、一応の対策は講じているものの不安である。そのサポートをルナ艇長にいつもお願いしている。

車窓からみる今朝の波は穏やかそのもの。天は青空のなかに、白い雲と灰色の雲、それに雨雲と多彩だ。海と空のあいだに太陽の光が加わるコントラストがいい。

2015年10月1日木曜日

波ザワザワ

今朝、車窓からみる波は、普段とはチョット違う。
気圧を測る術がないので、数値は解らないが、多分、低くなっているのだろう。

台風崩れの低気圧が列島を通過するような予報がされている。
そうなると、この鉄道、先般来の経験を少しは活かしての対応をするのかな。いやその前に、嵐は来ないで貰いたい、勿論、列島全体にだ。実りの秋の果実に、影響ないことを願う。


2015年9月30日水曜日

エンジンスイッチ

ディーゼルエンジンのスターティングスイッチをいよいよ交換せねばならない。

ディーゼル、今話題のそれだが、こちらはヨットのエンジンの話し。ヨットに搭載のディーゼルエンジンは全くシンプルで、圧縮と爆発燃焼を機械的に規則性運動を繰り返す。人の勘ピュータはあってもコンピュータなどは一切介在しない。

前にスターティングモーターを取り替えたことを投稿したが、そのモーターを回すスイッチの接点がどうもいけない。
スイッチは既にYさんより購入済みで、いつやるか、の状態。コンソールボックスに少々改造が施されているので、それを開けるのに手間を要す。よって後々になってきた。この日曜でもやろうかと。

然し、灘に風が吹くと、また後日になる。




2015年9月29日火曜日

十六夜の満月

十六夜の満月は大昔からある、特に大き目の月も、普通の大きさの満月も。
この大き目の満月をスーパームーンというのをここ何年か前に知った。カタカナ表現になると、ちょっとお洒落な感覚になるのか、マスコミが挙って報道する。
然し、それはいざよい。だけど、そうとはあまり表現していないような感じを受ける。

日本は、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字とあり、文字表現がとても豊かで多様性があるので、その為せる業かな。

先日、知人の女性からタイガービールを頂いた。
シンガポールに住むお嬢さんの里帰りのお土産と聞いたので、多分、貴重な1本だったとおもう。懐かしさもあり早速に戴いたが、やはり美味い。

さて、そのシンガポールの言語をシングリシュと表現される。つまり英語が変形して使われている。言葉や文字って、排他的であるようで、多様性のそれでもあるような、何とも不思議だ。まあ、そのあたりは学者にお任せするとして。

然し、十六夜をいざよいと読んだ古人は、なんとロマンチックなことか。
ためらう文化と、スーパーと表現する文化。
満月の表現ひとつにも、洋の東西の違いを感じる。そうして月をみてみると、十六夜の満月は美しくもあり面白い。
そうそう、今朝の須磨の浦の潮、観察するのをすっかり忘れてた。

2015年9月28日月曜日

小学生達のセーリング体験

日曜日はNPOの親子ヨット体験セーリング教室だった。
100名の応募があり、先着60名の参加で行われた。当日のキャンセルで多少の出入りはあったものの、多くの親子が体験セーリング教室を楽しんだ。
協力艇は12艇、艇長、クルー24名の皆さまには休日にもかかわらずご協力頂いた。

天候もよく8mくらいの風が吹き続けたので、参加された親子の方々はヨットを充分楽しまれたのではないだろうか。

kurenaiに乗った11歳の女の子は、16歳になったら、小型船舶の免許を取るといっていた。本人より寧ろ、お父さんの方がその気になっていたようで、下船の時もとらせます、と。
もうひと組のアウトドア好きの家族はヨットは欲しいが、購入価格も高いので手が届かないと言っていたから、買い方によるが、自動車の価格と変わらないなど、話した。

海洋スポーツの普及を目指すNPOとしては、この瞬間でもヨットに興味を持って貰えると、嬉しい限りだ。
その反面、理事長は行事の前日までいろんな対応、準備で大変だったようだ。教育委員会まで出向いたと聞くと、理事長が推進しないと出来ない行事と改めて感じる。

今朝の湾、やっぱり潮は高い。今夜はスーパームーンでもあるから、朝な夕なに、月が潮を引っ張る力も強いのだろうか。
10時過ぎには、Fさんが3週間ぶりにホームポートへ帰港されるので、この湾には13時頃には入るのだろう。今日はNさんも同行とのこと、いいセーリング日和だ。〈UW旗〉

下記の写真掲載は承諾済み。NPO法人高砂海文化21Cのホームページにも掲載しないといけない。






2015年9月26日土曜日

一昨日のblogはおおきな間違い

一昨日のblog、新月とはおおきな間違いだ。
万灯祭のときは上弦というか、そのような位置での月形だったので、潮も高いし、てっきり新月と。更に、潮汐表をみると、新月だったので、なお、そう思い込んだ。

今朝、新聞のコラムに中秋の名月が旧暦8月15日云々、それが明日と書かれていたので、いや、こりゃ大間違いだと気づく。
ではあの潮汐表はとiPadのファイルを再確認すると、なんと2014年10月となっているではないか。
上弦の月からの月齢がどうなるか、いやはや、早とちりの一昨日のblog。
iPadの潮汐表、勿論直ぐに1年進ませた。満月、これも潮は高いか。

2015年9月25日金曜日

初秋の新月の頃

新月の頃か、湾の潮が高く、岸壁すれすれまで海面が上がっている。この自然現象は規則だが、blogといえば不規則極まりない。

日曜は親子セーリング体験教室。
この行事、子供会連合協議会との協働だが、この度は応募者が多くて、キャンセル待ちが何組もあると理事長から聞く。

Fさんはこの対応もあって、レース、イルミネーションと、ずっと堀川運河に停泊中。艇の不足から応援をお願いすると海峡を越え、いつも快く対応くださる。ありがたいことだ。

体験教室参加の小学生のなかに明日の土曜、運動会が予定されているところがあるらしく若し雨天なら、それが日曜に順延になると。艇の段取りもあるので、気をもむところだ。
おんな心と秋空。こんな言い回し、今は使っていいのかどうかは知らないが、
この秋の天気、間違いなく理事長 を悩ませていたようだ。だが然し、今朝の予報では土曜の雨マークは消え失せたので大丈夫だろう。

今日は午後から会議でそのあとは懇親会、帰りの時間はいつもより遅くなる。

新月の大潮から、月の形が変わり潮も変わる、この周期は規則的。
blog、これはどうも・・・。


2015年9月24日木曜日

イルミネーション翌朝、バタバタと。

イルミネーションが終わった朝、艇を定位置に戻し直ぐさま所用で上京した。
シルバーウイークだから旅行者が多いので遠出は避けたいところだが、数ヶ月前よりの大事な予定だから。車を空港駐車場へ入れ、いつもと違うエアラインにチェックインし、搭乗した。

この日は西風、飛行ルートの関係もあるのか、かなり西に向かい、その後、東に針路をとった。
先日、元パイロットのMさんに、クラブ何とかと言う蟹の名前のついた離着陸の操縦の仕方を教えてとお願いしたら、随分専門的な質問をするが、ゲームでもやっているのか?と。今度、お会いした時に教えて貰うことになった。

人間は移動距離にも疲労が比例するのか、疲れに疲れを呼ぶようだった。然し、パイロットや乗務員の人達は1日の移動距離は半端ではないから、そんなことはないか。
ホテルへ向かうと、明日の行事の可愛い主役の出迎えを受け、疲れもふっ飛んだ。チェックインすると、ひと息つけた。

このホテル、フロントデスクは狭いが空間は多く取っている。自由に手にすることが出来る書籍と壁一面の植物もそのひとつ。書棚にはこのエリアに相応しい物理などのカテゴリー本が目立つ。
その中の一冊になぜかヨーロッパ退屈日記があった。伊丹十三氏著で10代の頃に買って読んだ面白い本。

ゆっくりと朝食を摂り散歩のあと、何の気なしに面白そうな表題の一冊を手に取る。ソファに座りパラパラとページをめくると、昼間の太陽エネルギーは夜のうちにゼロになるが、昨今の温暖化によるエネルギーが少し地球に残ると、宇宙にあるエネルギーのバランスを記したページがあった。著者はイギリスの物理学者、面白そうな本だった。

然し、なかなかいい、空間だ。



2015年9月22日火曜日

たかさご万灯祭イルミネーション

たかさご万灯祭堀川イルミネーションイベントがスタート、
司会のOさんのカウントダウンと理事長の点灯宣言。フォグフォーンとスイッチオンはMさんSさん協働。点灯の瞬間は大勢の皆さんの歓声をあがる。
続いてレース入賞艇には、市長、商工会議所、観光協会会長、NPO理事長から表彰状が贈られ、セーラー達が祝福する、堀川運河にいる観客もだ。

堀川運河に舫をとるセーラー、その沖でレガッタを楽しむセーラー達、夫々思いおもいに愉しむ風景が、初秋の風物詩になって来た。
この万灯祭関連で、延べ50艇を越えるヨットと240名のセーラー達が集ったことを市長に話すと、ことのほか喜んでおられた。

日が暮れはじめると、イルミネーションで着飾る艇のキャビンやコックピットからセーラー達の寛ぎの声が聞こえる。

我々も南西方位にあがった三日月をイルミネーションに加え、ルナ亭支店である、kurenaiのコックピットで、提督の差入れ料理に舌鼓をうち秋の夜長を愉しむ。

この夜のkurenai and Lunaは見学者もあり、旧知が訪ねて来たりで、大勢の人達で賑わう。
コックピットでは、ワインの力もあってか、皆、饒舌になり、おとなの会話が弾む。ヨットライフのひとときを、心ゆくまで愉しんだ週末の夜だった。

                                         


2015年9月21日月曜日

ヨットレースのひとコマ写真

写真は本部艇からのと、Mさんよりハガキ用に送って頂いたそれらだ。
Mさんは撮影担当で、これまでもアクティブなシーンを写されている。今年のものは編集中とのこと、公開を楽しみにしている。

スタートラインは、コミティのIさんの専権。
スタートマークブイと本部艇との間隔を狭めたので、一気にスタートを切らなかったかわりに、リコールもなく、上品なスタートであった。

レースのスタート、なかなかの感動するシーンだ。
取り急ぎの5、6枚を掲載する。Mさん撮影。

僚艇ルナとウエイトの高校生訓練クルー
オーバーヒール気味だが仕方ない
スタート5分前くらいだったか
これも戦略行動
これはまだ、20分くら前
スタート1分か2分後だっただろうか

2015年9月18日金曜日

シドニーでの記憶

アデレードからシドニーに戻り、M社のシドニー事務所に挨拶に行ったが、その辺のことは殆ど忘れてしまった。シドニーに2泊したような記憶はある。

特に憶えていることは、
朝夕、沢山の小型フェリーでシドニーの港は混雑していたこと。周辺の島々や湾に面した町などからの通勤客の移動のようだった。小型フェリーが日常の交通手段であること、その船の多さ、乗る通勤客の多さには些か驚いた。勿論、ヨットは本場、言うに及ばずだ。

シドニー市内のゴルフ場は、ポートオーガスタのそれとは全く以って異なる。手入れがいきとどいた、綺麗な緑に覆われていた。フェンスの向こうの白色の長いスカートでプレイしてた老女性のパーティを憶えている。勿論、トカゲなどいない、であろう。

ローンボーリングやクリケットを楽しむ人達の服装も印象的だった。シドニー到着時、機内に乗り込み消毒液をかけまくっていた検疫官も白の半袖半ズボン、それにロングソックスもだ。公式カラーが白なんだ。

夜はシドニータワーの回転レストランで夕食を摂り、そのあとロック地区という古い倉庫群を歓楽街に変えた場所で、所謂、カジノを経験したり、ナイトクラブを覗きショーなどを見た。多勢の旅行者がひとときを楽しむ処だ。

そのクラブで、司会者が遠来の客を探すゲームか何かを始めだした。遠来なら負けじと手を挙げてみたら、司会者曰く、お前はシンガポーリアンだと愚生の顔をみて断じる。日本人であるなら証明しろと言うので、パスポートを見せてやったような憶えがある。シドニーでの2日間、そんな、こんなを楽しんだ気がする。

成田空港から、家に電話をとおもった瞬間、番号が思い出せない。今おもうに、その頃から忘癖があったのかも知れない。

29歳のこの海外仕事旅デビュー以降、シンシナティ、モデスト、クリーブランドなど、なぜか、あまり一般サラリーマンが行かないようなところへ出掛けるはめになる。ロクに言葉も喋らないのに、お鉢が回ってくるから不思議だ。それより、受入れる相手は困っただろうな。

2015年9月17日木曜日

鬱陶しい天気

秋雨前線の影響か、鬱陶しい天気だ。
でも万灯祭のある土日は晴れの予報だから、それでいい。

来艇数も確定したので、規模感が測れる。先ずは予想より多かったのでひと安心。
イルミネーションは多くの艇が寄り添うと、より美しくなるので、参加艇は多いに越したことはない。

先日のレースで警戒艇から乗り移って頂いたOさんは、夏に艇を入れ替えたので、マストが高くなり、大橋を越えることが出来ない。
よってイルミネーション会場の手前の岸壁に係留することになったので、kureni and Lunaで寛いで貰うようにしている。

そのOさんと女性セーラーMさん、昨年会場にプロジェクターを持ち込み、スクリーンにヨットの映像を映してくださったのだが、今年はその場所にケーブルテレビのブースが設置されるので、投影の場所もなくなってしました。
流行のプロジェクトマッピングとはまた異なる趣きがあり、会場でも人気だったのだが、残念だ。

会場の岸壁には既にFさんの艇が舫を取っている。当日はホームポートであるNハーバーの知人のケッチで来場される。またもやデカイ艇が入ってくる、楽しみだ。

この鬱陶しい天気、考えると、今でよかったかな。
なにより土日の天気に期待しよう。そして来高艇には、播磨の風が吹いてくれることも。

2015年9月16日水曜日

季節逆のオーストラリアでの仕事

ポートリンカーンの休日を終え、ポートオーガスタでの仕事に励む。ユニオンの関係から、我々はどんな場面でも、作業に手を出してはならない。そんな注意を着任時に受ける。建設工事現場だから多勢の職種の人達がいる。

愚生の担当は大型のタンクを建物の屋上に上架して、それを移動させて、再び高い基礎の上に据え付ける。その要領書やら計画図とか簡単な力学計算などをやる。
英国系のオーストラリア人と一緒にだ。彼はこの仕事を請け負っている社長でもある。親子兄弟で営んでいるようだった。

ヘタッピな英語なのに、何かしら、意気投合して仲良くなった。仕事は順調に進んだが、ある時、ワイヤーが切断する事故があり、ご息子が足首に怪我をした。親父であり社長である彼から随分叱られていた。気の毒なことをしたが、幸いに軽い怪我で、翌日からまた働いていた。大丈夫か、と聞くと頷いていた。
現場で働いている人たちは、皆プロ意識が大変強く、怪我などしてはならないことを鉄則のようにしていた。異国の地でそれを肌で感じた。

全ての仕事を終え、帰国の日が決まった時に、彼ら家族から送別会の招待を受けた。聞くところによると、この現場ではこんなことは初めてだと、サイトマネージャーが言っていた。奥様を含めた家族皆んなの紹介を受け、レストランで食事会をやってくれた。

帰り際、お土産にと、名産のオパールをくださる。その時の奥さんのハグがとても自然であったことを、今でも覚えている。
オーストラリア人との短い付き合いだったが、思い出いっぱい。今でも彼らの顔を覚えている。何を飲み何を食べたかまでは失念。

数日後帰国の途につく。例のオイル漏れの小型プロペラ機でアデレードを経由してシドニーに向かう。勿論、アデレードでカンタスにスイッチしてだ。

忘れるにもほどってものがある

レース本部艇を仰せつかり、舞いあがっての所業のひとつに、レース委員の2名の方々を岸壁に置き去りにして、レース海域へ出港してしまった。

場面の一部を記すと、コミッティのIさんが其々の役割をコックピットではじめたが、人数が少ないので、あれやこれやとダブル役割を捌いている。愚生もお手伝いをと思っている矢先に、1号警戒艇より、2名のレース委員を乗せて、本部艇に向かっている、ついては、海上にて乗り込むので準備するようとの連絡。瞬間、レース委員リスト内容が過り、ハタと気付く、なんたる失態。

1号警戒艇のY船長の操船技術から、お二人は無事に乗り込む。

そこでIさんが役割調整を再び行うと、当然ながら重なることなく要員配置が出来た。
親しいOさんだからよかったものの、お二人に平謝り。その話をあとから聞いたルナ艇長は、前代未聞の出来事にア然としてた。一方、女性セーラーのおひとりは愚生の性格の一部を見抜いた評であった。

何れにしても、忘れるにもほどってものがある、と天の声が聴こえそうだ。





2015年9月15日火曜日

レース当日はいいコンディション

万灯祭播磨灘ヨットレース2015大会がスタートした。
多くの人たちがかかわり、盛り上がった。助勢の人たちを入れると、総勢100名は越えていたと思う。

でかいレースであろうと、このレースであってもひとつひとつ、やることは同じだ。
海上は8mほどの風があり、申し分なかったが、その分、波もたった。然し、絶好のレースコンディションじゃなかったかな。

愚生は本部艇担当。同乗しているコミッティをはじめ、タイマーや記録、信号旗、フォーンなどを担当のが慌ただしく本部艇内を動く。
3番マークブイの打ち替えなどもあり、その対応をする警戒艇の乗組員も大変だ。

レース出場艇の方は自艇の勝敗の行方と勝つ為の戦略に勤しんでいる。今回はAクラスが多く、迫力もある。
その中、若いセーラー達の艇は途中でジブセイルが破損するトラブルに見舞われた。家族、夫婦、姉妹、親子兄妹が同型艇に乗り込み、操っている。この姿、ホント絵になるので、ついつい見とれて写真を撮り損ねた。

70数歳夫婦の乗り込むカタマランも今年も参戦している。セーラー達がご夫婦に付けてるあだ名はポパイとオリーブ。ワンコも準セーラーとして乗り組んでいる。県外からの唯一の参加艇である。

スタートラインはコミッティが狭めてセットされた。スタートはやはり感動シーンだ。





2015年9月11日金曜日

ヨットレースの準備段取りの一部

ヨットレース大会委員会より、準備段取りの一部を仰せつかる。皆さん、其々に役割がある。愚生は招待書類、申込書誓約書などのリメイク。プログラム作り、あと賞品係等の準備に、ヨットレース記念の缶バッチの図案化と制作などを担当する。

缶バッチの制作、これはいわく因縁のあるもので、少々手こずるもギリギリセーフ。レース参加者にはデザイナー諸氏がいらっしゃるから・・・、まあ素人ということで大目にみて頂くしかない。

最も重要⁇な賞品手配では、今夜、ワイン、ビール、珈琲の類を購入すると全て整う。
これらの液体を注ぎ愉しむフランスヨット部品会社の器、その液体のひとつビールの泡立器、フランスメーカーの珈琲沸し電気品などは、既にルナ艇長宅に集約、出番を待っている。スポンサーから頂いた液体も。

このレースでは入賞艇、つまり1位から3位迄で、市長、商工会議所会頭、観光協会会長、NPO法人理事長の表彰状と副賞が贈られる。副賞にはスポンサー賞もある。この表彰式はイルミネーションのある来週末だ。

明後日のレース終了後には、全艇で抽選会を楽しむ。空くじ無し、全艇に賞品が当たる仕掛けで、昨年、好評だったので、今年もそうすることになった。
スポンサー賞も入れると、1艇当りの賞品はSKUは8種前後になるかな。その中にビールが入ると14個前後になる。コリャ結構重たい(笑)

賞品は当然ながら予算も絡み、抽選の公平性も必要で、整理するのが少々難儀でもある。
よって予算と賞品と賞名や順位、1艇当りの賞品額等々をマトリックスの表で纏めてみることにしたら、これが意外と解り易い表に収まった。
大会会長というかNPO理事長、要はルナ艇長曰く、上手く賞品分類したなとの評。作った者以外が見ても解り易いんだと、思わずほくそん笑んだ。

それから賞品の名前では、ヨットレース名を分解してみた。このヨットレース名には、祭りの名前、海域名、西暦がつく結構長い名前。なので、それを其々単語に切って、6賞名を付けてみた。ダッチもない遊び心だが、お隣同志で単語を組み合わすとレース名になる。

賞品購入予算は、大会会長の事前承認を得て、JSAFGN会長、Hヨット協会理事長へメール報告した。またヨットレースも国際審判員資格のコミッティが采配を振るう、当然のことながら堅いもの。

よって賞品の趣旨や名称などは、ダッチもない遊び心を織りまぜながら少々柔らか目にとおもった。このように、準備段取りの一部対応、blogネタになるべく、楽しませて貰った。


2015年9月10日木曜日

好きこそものの

好きこそものの上手なれ、の故事。
昨日の稿でルナ艇長のヨット履歴半世紀に触れた。愚生は小学生の頃にディンギーに乗せて貰ったことがあるから、そこからカウントすると、半世紀になるかな(笑)

ルナのクルーになって30年は越えているから、4半世紀以上は艇長と一緒だ。今でもいろいろなことを教わる。ルナ艇長は真からのヨット好きでありセーラーだ。

好きこそものの上手なれ、愚生の場合、好きこその箇所は当て嵌まるものの、ものの上手なれのくだりは、どうもいけません。いつまで経っても、風をうまくよむみ、掴むセーラーになれない。風よみ、掴みは下手なれど、然し、好きである。

ではヨットのどこが好きか、そりゃ風で動く地球上で最大の乗り物だからかな。この週末はレース支援の関係からキャビン泊となる。もちろんその時間も好きだ。

2015年9月9日水曜日

突然現れた台風

日曜の高校生訓練セーリングの後に、デッキにオーニングをかけてきたので、突然現れた台風に、困ったなーと思っていた。一昨日、ルナ艇長と別件で電話した際に、台風対策でそちらへ行こうかと思っていると云うと、大丈夫やと思うよ、との返事だった。

ルナ台風予報士の通り、こちらへの上陸はなかった。艇長の所謂KKD、つまり、勘、経験、度胸。Dはここでは関係ない。半世紀以上もヨットに乗っているのだから、それは及ばない。

いずれにしても列島には上陸したので、東海とその以北進路にあたるエリアが大変だ。この地域もこれから影響をうけるのだろう。
湾に目をやると、そこはさざ波、潮目がみえるほど静か。

突然現れた時の予報では、週末上陸だったからレースへの影響を心配したが、あたらなくてよかった。

株と天気、その予想と予報は、なかなかあたらない。然し、誰かが、何処かで、あてているから不思議。
まさかKKDではあるまいが、人の五感ほど正確なものはない。しかし、昨今、コンピューターがそれを身につけはじめてきた。道具が道具を超えると・・・。

2015年9月8日火曜日

ポートリンカーン

連休があったので、ポートリンカーンへ1泊のドライブ旅行に出掛けた。
時速100㎞で数時間走っても、穀倉地帯が続く。小麦畑の規模には驚く。

ハイウエイをひた走る、と言っても、普通の道である。4連式のトレーラーなどが、平気で走っている。最後尾には追越し注意のサインがあるが兎に角長い。まあ、日本では考えられない光景だ。

道路標識では、カンガルー飛び出し注意のそれがいたるところにある。たまたま休憩停車して、標識を見ると、幾つもの銃弾孔があった。誰かがイタヅラで拳銃の的にしたのだろう。そういえば、ブラウンさんの趣味はシューティングだったな。

ポートリンカーンも港町。日本の遠洋漁業の漁船も補給の為に立ち寄ると、当時聞いた。
浜辺の小さなホテルに投宿、清潔な部屋だった。浜辺でイタリア系の家族と出会う。小学生くらいの少女が懐くので、折り紙をあげたら、大変喜んでいた。父親はグリーンのジャガーに乗っていた。やはり遊びに来ているようだ。

ホテルの窓ぎわに佇むと、もう一つ向こうの大陸、南極から吹いてくる風が心地よい。ホテルの食堂で食べた魚料理も美味かった。
夜、浜から突き出た木製ピアまで散歩してみる。そこに、ヨットが数隻係留されていた。日本人だというと、酔っ払いのセーラーが大きな声で、日本人だと皆に伝えている。

記憶は薄れているが、結構サイズのある艇だったとおもう。確か、香港からクルージングしてきたと言っていた様な・・・、定かではない。
明確に憶えているのは、その大声を出していた陽気な酔っ払いセーラーが、落水したことだ。
今、思えば、どこの国のセーラーも同じだ。落水と云えば・・・、いや、やめておこう。ライフジャケットが膨らむか、どうかの実験だったかも知れないから。

一歩町を出ると、そこは大自然、なにごとも自己防衛と自己責任で行動するようと、現地の人に教えられた。あの銃弾孔もそのあらわれか。ポートオーガスタへの帰り道でも、竜巻を見たように記憶する。

そうそう、ポートリンカーンの木製ピアは今もある。訪ねて南極から吹く風にあたってみたい気もするが、まあ20歳代の旅の想い出にしておこう。

レースに向けて

レースに向けてと言っても、愚生の出る幕ではない。
土曜日に高校生達をヨットに親しませた。レースに向けた実践だが、全員初めてのセーリングだ。4艇に分かれて乗り込んだ。各艇長とクルーの皆さんの協力のもとにいろいろな帆走パターンをやった。
天気も良く、適度な風で、皆、楽しかったとは言っていたが、では、これからも乗るか、といえば・・・。然し、興味はもったようだから、それはそれで、やった甲斐はあった。
次の日曜は、レース参加艇の艇長のご厚意で、乗り込みレースを体験する。

レースの賞品手配など未だ準備中である。ヨット協会もバタバタされていることだろう。

2015年9月7日月曜日

次の休みは

休みの日に、現場で仲良くなったオーストラリア人の牧場に行ってみた。
この人は、現場で働きながら羊を飼ったり農業に従事している。
その牧場たるや、そうとうな広さだった、野生のカンガルーが車の前を飛び跳ねる。

お茶でもということで、彼の自宅、石で出来た家に入るとひんやりしている。クーラーをつけているのかと聞くと、冷房はしていないとの返事だ。涼しいのに驚いた。

大きな牧場の中の一軒屋、生活水の全てはレインウォーターだと。そういえば民家の庭には雨水を貯める大きなタンクがある。屋根から雨水を取り込む配管もある。勿論、ホテルにも、ホテルのタンクはそれこそでかい、規模が違う。

そのホテルに戻ると、いきなり外が暗くなった。しばらくすると、凄い風が吹いてきた。所謂、竜巻だ。どうもそれに巻き込まれたようだ。全く経験のないことだった。

彼の石造りの家、これで納得できる。普段でも竜巻が農場や牧場やらに発生しているのをみた。それも何本もだ、何かスケールの違いを感じた記憶がある。

2015年9月6日日曜日

ポートオーガスタの休日

ポートオーガスタの休日は何もすることがない。
散歩していると木陰でアボリジニの人たちが休息していたり、日曜日はお店も休みが多かった。名所旧跡などもあったが国の歴史が浅いからそのような場所は多くはなかった。

ゴルフに誘われて出かけてみた。まさに、オーガスタだ。何処にもそれらしい景色が見えない。着くと無人の建物があり、数百円をポストにいれてスタートする。びっくりしたのは、打ちっ放し場にある、50㎝角の人工芝マットを持ってコースを廻る仕組みだ。

コースは岩と砂地ばかり、グリーンはオイルサンドで、最終ホールだけが芝だった。
だからどの場面でも、人工芝マットを使う。グリーンと言うかブラックにオンすると、スクレーパーでピン迄をならして、パッティングする。芝目、そんなものはありゃしない。

フェアウェイっていうか、ラフっていうか、ボールを探すと、大トカゲが卵とおもってか、ボールの近くをノソノソしている。へー、凄いとその時はおもった。

勿論、コースは一人用のカートで廻る。このカート、シンプルデザインでいいものだった。コースは日陰など無く、外気温がとても高いので、汗が直ぐに蒸発する。よって、水分補給が重要で、2リットルのボトルをさげてコースを回るのが、スタイルだ。

まあ、日本では、絶対に味わえないゴルフだ、面白かった。

2015年9月4日金曜日

ギリギリセーフ

明日は、万灯祭播磨灘ヨットレースの訓練クルーとして参加する地元高校生の、事前訓練日だ。
来週はレース本番、再来週はその表彰式と、3週に亘り行事が続く。これらをサポートする連盟、協会、NPO、ボランティアの方々は準備や支援などが大変だ。

NPOの役割である、入賞艇の市長賞等の表彰区分、NPO理事長賞、スポンサー賞、抽選会の景品や記念品、地元企業から頂戴したお土産の分配など大筋を決めた。盾やトロフィーの確保、それらの銘板準備にかかっている人もいる。
記念品は昨年と同じく缶バッチとした。これらは大会会長の承認を得ながら進める。

その缶バッチの発注点リミットが今日だった。図案をメーカーへメールすると、何度も差し戻される。どうもテンプレートのサイズを使い間違っているようだ。修正には少々時間を要すが、その時間がない。

今週半ば、此の期に及んで、図案をやりかえたりした。また、何処でどう間違ったのか、日にちの勘違いなどもあり、ドタバタ劇となったわけだ。

夕方、なんとかメーカーに頼み込み、締切り20分前くらいだったか、間に合うことができた。レース前日、来週の土曜着となった。メーカーの人たちの助けに感謝、感謝だ。

昨年も同じようなことがあった。所謂、愚生の学習能力の欠如にほかならない。いつもながらのギリギリセーフ。



2015年9月3日木曜日

蝶ネクタイ

新聞に蝶ネクタイのことが書いてあった。
多分、静かな流行ということなんだろう。若いモデルの写真も掲載されていた。文面、殆ど読まなかった。ルナ艇長とKさんもマリン柄のそれを持っている。

JASFの年末おこなわれるポイントレース表彰パーティにジャケットにジーンズと蝶ネクタイで参加することにしている。Kさんは奥方とクルーズ船のディナーでそれを着用したとか。

その時のパーティで、JSAFの理事から、私もそのかっこうにしようとおもってたんですよ、と声を掛けられた。もうひとかた、正統派の蝶ネクタイ着用されてるオールドセーラーがいらっしゃる。

カジュアルな、いでたちの時、チョッとしたネックアクセントで遊ぶのもいいではないか。これからの季節、セーターと合わせるのも楽しい。合わせるパンツは適当なもの。





2015年9月2日水曜日

豪州から離れて

豪州から離れてのblog。今朝はグズついた天候だ。
今週は、こんな感じのようで、週末にはなんとか天候回復の予報。

17名の高校生男女が、万灯祭播磨灘ヨットレース2015大会の特別訓練クルーとして参加する。その事前訓練を週末におこなう予定で、よって天候が気になる。

座学の時間もある。はじめに、この地域の海洋文化についての講義をNPO理事長にて行う。愚生はヨットはどうして動くのか、などの概要を話す。その後、海上にて実践することになる。
今年はスポーツ特待生が対象とのことで、それはそれで、楽しみである。

2015年9月1日火曜日

ポートオーガスタでは

ポートオーガスタで、いよいよ仕事をはじめる。火力発電所の建設だ。その一部のパートのスーパーバイザーの役目である。建物の最上階に水タンクを上架させて、数十メートル移動、据え付ける。その周辺業務色々だ。

まず、サイトマネージャーは英国人のBさん、その他技術者、作業者等、ほぼ全員はオーストラリア人。日本人は空港で迎えてくれた事務長のMさんと先発SVの方、それに愚生の3名。

早速、一緒に仕事をするオーストラリア人のTさんの紹介を受ける。彼は小柄な英国系オーストラリア人だった。工事の請負人で、所謂、社長さん兼作業責任者だ。
気のいい人だった。息子や娘婿を伴っており、ファミリーで仕事をやっている。

早速、着替えて現場に行った。その後はいろいろなことがあった。事故もあり、灼熱の砂漠での仕事だから、気温が40度を超えると屋外作業は全面中止となる。ユニオンが強く、我々SVはどんな場面でも仕事の手助けは出来ない、等等。

10時と15時はティータイムがある。多くの人達は持参ポットの紅茶とビスケット等を楽しむ。愚生は冷たいシンジャエールをよく飲んだ記憶がある。

ホテルは英国人のBさんも一緒だ。このBさんは日本のM社の社員である。朝夕は4人揃っての食事だ。夕食は毎日ドラフトビールをピッチャーで買い、それをスクーナーサイズのグラスで飲む。このピッチャーは夕食のたびに、順番に支払う仕組みで伝票処理される。グラスはスクーナーとミディだったかな。

メインは、スパニッシュオムレツ、フィレミニヨン、ラムチョップ、フィッシュフライ等々を繰り返す。サラダは好きなものを適当に、愚生はインディカ米、ビーツ、紫玉葱などを好んで食べた。
時々外食をする。つまり、ホテルは内食。
ベトナム人のやってる中華屋へ行く。ライセンスの関係から酒類は出せないレストランが多く、持ち込むのが慣わしで、この中華屋もその一軒だった。

暑い季節は朝涼しときから仕事をする習慣、この季節の朝は早起きで暗いうちから朝食を摂る。
ベーコンかソーセージと卵に野菜類、コーンフレイクスかパン、Bさんは紅茶しか飲まなかったなー。

そんな生活が暫く続いた。

2015年8月31日月曜日

ポートオーガスタへ

アデレードで日本人の女性と会った、確か二人連れの旅行者だったと思う。
その後、ホテルへ戻り、夕食ということになるが、レストランへ行く気もなく、部屋で摂った。ウインナーシュネッチェルとビールで夕食を済ませた。

風呂に入り、ベッドに横たわると、何時の間にか寝てしまった。どの位、寝たのわからないまま、ふと目が醒めると、時計が9時を指している。カーテンの隙間から光が射している。こりゃえらいとや、寝過ごしたと、ベッドから飛び起きた。

バタバタしてると、点けっぱなしてるテレビからイブニングニュースという音が聞こえ、ああ、夜の9時かと。南半球の夏は太陽がなかなか沈まないことをここで初めて体現した。

そこから、ウエイクアップコールを頼み、時計の目覚ましも起きる時間にあわせ、万全を期して再び眠りについた。

翌朝の食事の記憶が無いが、タクシーで空港カウンターへ行くと、昨日のおじさんがいた。簡単な搭乗手続きを済ませて、時間待ちをした。

出発時刻になり、飛行機に案内されると、パイパーという双発のプロペラ軽飛行機だ。何人乗りだったか、忘れたが、操縦席との仕切りはない。パイロットは一人だったと記憶する。途中、1箇所を経由してポートオーガスタへ向かう。

こちらも飛行機が好きだから、この雰囲気はいいのだが、窓から外を見ると、翼の上をオイルらしいものが、風に流され、スーッとした線を描いているではないか。大丈夫かなと思いながら、2時間弱の飛行を終えて空港に無事着陸した。

まさに赤茶けた飛行場にプレハブのような空港建物がぽつんとひとつ、その横に吹き流しが微風に揺らいでいた。周りは勿論、砂漠。

日本を出て、2泊3日、やっとポートオーガスタに着いた。
空港プレハブには、日焼けしたMさんが迎えに来てくれてた。パイプの似合うひとだった。

飛行中、パイロットに左翼のオイル漏れを教えたが、左エンジン修理したかな。

2015年8月29日土曜日

アデレードで、

まあ、飛行機に乗れば、なんとか、かんとか行き着くところまでは行けるのだが、その乗る飛行機がないのだから。

どうしようにも、こうしようにもないので、最終目的地である、サイトオフィスへ連絡せねばならない。今のように携帯電話がある訳ではない、なにせ36年も前のことだから。

電話をしようにも、小銭もない。その様子をローカル航空会社のカウンターのおじさんが見ていて、数枚のコインをくれた。で、電話をすると、外国特有のコール音がなりはじめ、数回すると女性の声で、helloと。その一声に、コリャ、ダイヤルを間違ったと、おもわず受話器を戻してしまったのだ。コイン、それはもう無い。ああここは日本じゃないんだと。

その一部始終をカウンターのおじさんがみてて、愚生のそばにわざわざきてくれた。そしてまたもやコインくれるではないか、それもニッコリ笑顔で。お礼を言って再コールすると男性の声で愚生の名前を言ってくれた。シンガポールを出て初めての日本語でもある。

かくかくしかじか・・・説明すると、そのサイトマネージャー曰く、じゃあホテルに予約を入れて、今夜はアデレードへ泊まれ。と、いとも簡単に申される。じゃあ、こちらもいとも簡単にと、その電話を切って、再び電話。コイン、2回目は多め下さり、その残りでプッシュ。

ここまでくると、電話なんてなんのその。ってことはないが、はじめよりはマシである。
なんとか予約をして、カウンターのおじさんに改めお礼を云う。また明日来るからとも。

そこから、はじめてのタクシーに乗る。
ホテルへチェックインして、旅の疲れをシャワーで洗い流す。元気も戻り、夕食まで時間もあるので、ダウンタウンに出てみる。

街の中心を河が流れ、緑が多く美しい道を歩いていると、女性二人に声をかけられる。日本の方ですか?と。

36年前の記憶、まだまだありそうなので、また続きを記します。

2015年8月28日金曜日

シドニーからの続き

シドニー空港でカンタスの国内線へ乗り継ぎ、アデレードに向かった。ここから、最終目的地に向かう飛行機にスイッチする予定だ。このカンタス機には日本人は多分乗っていなかっただろう。機は何時間かでアデレード空港に着陸した。

で、そこから、最終目的地行きの航空会社をさがす。ローカル航空会社をなんとか、見つけて、拙い英語で予約すると、今日の最終便は飛んで行ったと、おじさん二人が気の毒そうに教えてくれる。

スケジュール表と現地の実際の時間表を見比べると、午前と午後の違いがある、要は日本の旅行会社のミスである。この会社、某物流会社の子会社。数十年後、その旅行会社の人と関わることにもなる。

アデレードは南オーストラリア州の州都だったかな、ここでふりだしに戻った。続きは後日。

2015年8月27日木曜日

初めての海外仕事

昔話になるが、初めて海外で仕事をしたのが、豪州だった。
ビザはあったが、出発日が急に決まったので現地までのチケットが取れてない。また連休前で支店経理の金庫も最低限のお金しかない。無いない尽くしで、出国した。

日本を出てシンガポールに先ず向かう。キャリアはナショナルフラッグだから、一杯日本人が乗っている。隣の席に同世代の人が乗っていたので挨拶を交わすと、彼は南アフリカまで仕事で行くといっていた。

その日のうちに開港したてのチャンギ空港に到着したが、まあそのデカさに驚いた記憶がある。
搭乗する航空会社のカウンターを探す。なんとか当時の英国航空にたどり着き、席の確認を終える。

乗り込むと2階席の前方からドアの開いた操縦室が丸見えだった。ドアが開いているなんて、今では考えられない、まあ良き時代である。
朝方にシドニーに着く便だった。赤茶けた大陸が朝日に輝くと、パイロットは機を左右に揺らして、乗客にモーニングサインをする。どのくらい揺らしたかは覚えていないが、まあ粋なことをやるもんだとおもった。

シドニー空港に着くと、機内に動植物の検疫官がスプレーを持って現れ、乗客に消毒液を散布する。検疫官の制服、上下白の半袖半ズボン、これががなんとも恰好いい。しかし、こんなシュッシュッとやったくらいで効くのか、疑問であった。

無事に入国を済ませ、そこからカンタスの国内線に乗り継ぐのだが、持っているのは時間も何も決まっていないオープンチケットだ。入国手続きを終え、アデレード行きを見つけ何とかブッキングを済ます。

さて、このあと目的地に着く迄の小さな冒険話はまた後日としよう。

今月中旬に、お世話になっている知人が、このオーストラリアへ赴任された。それで昔を思い出しながら書いている。


2015年8月26日水曜日

風邪をひいた翌朝

夏風邪をひいてしまったようだ。
昨日の午後から身体の節々がどうも普通ではないので、風邪かなとおもい、体温を測るとやはり微熱がある。
振り返ると先週末から無理をしていたので、その影響もあるのだろうか。まあ、ヨルトシナミニには勝てないというところ。食べるものを食べて、薬を飲んで床につく。今朝はその熱もない。

いつも乗る電車はこの日に限って車両の連結数が少ない。ゆえに車中は混雑している。まあ座れないな、と思っていたら、数人の子ども連れの親子のなか、小学校の高学年であろうか、男の子が母親の指図もあって、愚生に席を譲ってくれる。

嬉しくもあり、なんとなく、譲られる歳かと再認識させられた。まあ白髪混じり頭に鼻眼鏡、どこからみても・・・。
親子の言葉は日本語と中国語が入り混じっている。そうこうしてると、またもや他の男性にも席を譲っていた。

数年前、姉達と旅行中、香港の地下鉄で姉の銀髪をみてか、女学生がスッと席を立ち、席を譲ったことを思い出した。姉は戸惑いながらも、ありがとうを日本語と英語で言いい、その席に座った。愚息が小学生の頃、恥ずかしそうに顔を赤らめバスで席を譲る姿も思い出した。
洋の東西を問わず、エチケットを子どもの頃から躾けることは大切なことと改めて思う。

風邪をひいた朝、優しいいい気持ちになれた。
さて、無理は禁物といいつつも、今日も懇親会がある、まあ対応せねばなるまいな。



2015年8月25日火曜日

レベル2

湾をみると、白うさぎがぴょんぴょん跳ねている今朝の車窓風景。
先週末、何度目かの台風対策を施した。
ゼノアは降ろして、オーニングカバーを外して、アンカーロープを強めに引いて、ステアリングカバーの固縛ロープを1本増やして、ウインチカバーを外す、そして隣艇と繋ぐロープを準備する。そうそう、板フェンダーを両舷に付ける。

アルバトロス艇長は多分、列島西側から北へ進路をとるのでは、との予測。愚生もそうおもうも、いざ馳せ参じるわけにいかないので、念のため対策をした。何かあればルナ艇長頼み。

今回はレベル2。大方、いつもレベル2。何を隠そうこの数値、愚生の疲れ度、インジケーター。

2015年8月24日月曜日

バタバタと・・・

土曜はNPOの急遽会議の案内がありそれへ出た。会議後、Oさんにお話したが、その前の3日間が仕事でバタバタ、睡眠不足が続いてた。翌日曜は近所でいろいろあり、これも大変だった。今週は何とか普通の状態にしたい。

今週末は友人夫婦が訪ねてくるので、久し振りにソネにでも行こうと予約を入れた。ここも、昔はよく行ったが、今は殆ど行くことがない。
この前はダブルSさんとでいき、一方のSさんのバーボンをご馳走になった。あれ以来かな。

週末、友人夫妻と会えるのは嬉しい限りだ。先日、愚息を通じて連絡があって、旅行をするので会おうと。

彼は若いが色々な経験の持主である。身体もデカいが懐も深い、また知能はとてつもなく深い。然し、それをおくびにも出さない。
愚生のレベルに併せて付き合ってくれる若い友人だ。会って話をするのが楽しみである。
このバタバタは心地よい。



2015年8月21日金曜日

日にちがかわる

処暑の頃。
日にちが変わる前に、帳面を消しておかねばならない。このblog宿命ってなんだろう。まあいいや、そんなことは。

今日も昨日も懇親会。だけどこれが結構濃い、結構有意義なそれ。今日のそれなど、一期一会の場面だった。この解釈は様々だけど、要は一期一会。

話は少しだけそれるけど、義姉は書道を嗜む、勿論、兄も。それは親族の贔屓から離れても素晴らしい芸術的なそれ。
その姉にあるときに、愚生のフランス人の奥方とドイツ人の旦那、この友人夫妻に書をしたためて貰った。それが一期一会だった。

この夫婦は今ニューヨークにいるけど、姉の書はパリの郊外の自宅にあるか、ニューヨークの仮住まいの壁面にあるのか。そんなことをもblog帳面消しの題材にせねば。

しかし、今日は楽しい懇親会だった。昨日の今日だから、少しだけ疲れたけど。
ソロソロ、日にちが変わるが、でも良かった、帳面消しできたから。

2015年8月20日木曜日

季節がかわる

夏から秋にに季節がかわる、今朝の雨はその現われのひとつのようだ。
しとしと、ザーザーとまあ、よく降るも降る。とくに出がけの雨はかなわんが、自然現象だからしょうがない。秋雨前線が降らす雨、嫌だが、これも秋が近寄る現象のひとつだから・・・。

昨夜は、日本のミッションである、宇宙ステーション行き、宇宙専用物流コンテナの「こうのとり」の打上げが成功した。いつもながら感動するシーン、打上げを見つめるの子ども達の姿や素直なコメントにも感動する。

その宇宙から俯瞰的にみる天候変化、近年は当たり前のように目に入ってくる。
然し、季節の移ろい、これは大気の圏内で感じるしかない。今からの季節ではススキが野山を覆うとか。
そう言えば、この雨はススキの名が付く。昔の人は天候変化も自然の物と調和させ、名をうつ、何とも風流な。日本の季節はいい。


2015年8月19日水曜日

参加艇の申し込み

昨日、理事長から、万灯祭イルミネーションと万灯祭播磨灘ヨットレースの参加艇の申し込み状況の報告が関係者に配信された。

毎年そうだが、出足は遅い。昨年はレース直前での申し込みが多かった。今年はイルミネーションとレースの日にちが1週間違う新たな展開なので、どのような結果になるかだ。

多くの艇に来高いただくに越したことはないが、また参加艇に合わせたやり方、工夫もある。今年は今年で面白いイベントになるだろう。いや面白くする何かを皆で企画するのも面白い。お祭りは面白ずくめ、さて何が出るかな。

2015年8月18日火曜日

沖アンカ

港の沖に目をやると、錨泊中の本船などが多く見える。旧あこがれだろうか、複数マストの帆船も錨泊している。所謂、沖アンカだ。

本船が荷役の時間待ちから、港内所定地に錨泊して、沖待ちをするケースはよくあることだが、この風景は少し違うように思える。そういえば、ふた昔前は、アンカブイなどに錨泊の本船から、艀が瀬取りをしていた。

以前にも書いたが、ちょっと大きなサイズのヨットが、とあるハーバーに3日舫を取ったら6万円の請求を受けたと、又聞きした。
海外からの遠来ヨットもハーバー利用料が高いので、アンカリングする人もいると聞いたこともある。
バースが空いてるだったら、遠来の客人は、安く留めさせてあげればと思うが、ここでも、・・・仕事が見え隠れ。

日本の空港、港湾使用に関わる料金の高さは世界でも有名だったが、今でもそうかな。
香港やシンガポールに世界の船が集中する。ハブ機能が出来るのは地勢的な背景もあるだろうが、それだけではないのではと。昔々の若い頃、香港の銅鑼灣を車で走りながら、ああ、縦割り行政ではあり得ない、損して得取る仕組みなんだ、と勝手に思ったことを、思い出した。

人が集まり、物が集まることから、全てが始めるのでは。それを面倒と思うような人が、若しそのゲートウエイに立ち塞がったなら・・・。まあ、沖アンカとは関係ないことか。


2015年8月17日月曜日

ジンクリング

今朝は曇りなので、日差しのないぶん、過ごし易い。
また昨夜は、大雨が降ったようだが、そんなに気温は下がったとは思えない。

湾は潮が高く、釣りをするコンクリート構造物が洗われている。それでも釣り人が居る、波で足をすくわれるのではと思う。今日は一日中このような天気だと予報は言っている。

この週末は艇には出向かなかった。
先々週、Sちゃんが潜ってジンクリングに付着した貝類を取りのぞいてくれたので、機走は軽やか、ガールスカウトの体験訓練時、全く違うなーと感じた。潜ってくれたSちゃん曰く、いろいろな貝類が大きな団子のようになっていたと。速度も出ないはずだ。

ジンクリングに貝類が付着すると、電食防止の効果も薄まるのではとおもう。いつものことながら、助かる。


2015年8月15日土曜日

NPOホームページ

NPOのホームページを修復更新した。修復というより、編集が正しいかな。

NPOを立ち上げた当初は資金も無く、無料のホームページソフトを探して作成した。マイクロソフト社のそれであった。NPOのロゴマークを作ったりしたあの頃が懐かしい。

そうこうしてると、その無料利用が廃止になると連絡。有料化されたのが、今のOfiice365である。
その変更時は、既存のホームページは一切移行出来ないとのことで、また、1から作り変えなければならず、結構手間の掛かる作業をやった。

で、そこから数年経った今、また、バージョンが変ったようで、アクセスポイントすら解らなくなっていた。
よって、ここ数ヶ月更新が出来ず仕舞いだった。然し、そうもしておれず、サービスセンターへ連絡を取り指南を受け更新した。

その際の情報では、あと2年でソフト提供はまたもや変更になるとのこと。今のホームページが、そのまま移行できるかどうかは、解らないとのことだ。

世界のマイクロソフト社のこと、そこはなんとかするであろう。そう期待したい。



2015年8月14日金曜日

世間は夏休み

世間は大方夏休みだ。その中、愚生は、定期を存分に使っている。生産性に例えるなら、実車率がことのほか高い。
会社に行っても別段、これを直ぐにやらねばといった仕事はない。しかし、静かなオフィスは、レポートなどを書くにはいい環境だ。

テーマを決めて、適当にキーボードをたたくと、それはそれで、成果物となる。
昨日、手を付けたレポートを午前中に纏め、午後はまた異なるタイトルのものを整理しておくか。

然し、他人さまからすると、どれもこれも、たいして役に立つものではあるまいな。ということは、実車率は高く、生産性は低い、か。まあ、いいや。

2015年8月13日木曜日

ヨット1艇

今日は涼しい、と言っても夏の一時的なそれ。夜中に雨が降り、曇り空のままだから、気温が下がったままなんだろう。

湾にヨットが見える。メインセイルを上げて海峡に向けて機帆走している。どこに向かうのかは知る由もないが、この涼しさを海面で満喫しているのだろう。

こちらは、定期を効率良く利用中だ、車中、いつもより人は少ない。今朝はヨット1艇をみただけでもよしとするか。

2015年8月12日水曜日

真夏の昼下り

キャビンの中は、風が吹き抜けると意外と涼しいが、真夏の昼下りはいけません。
何かをやろうとおもっても、暑さで直ぐに手が止まってしまう。

以前にも投稿したが、古くなった窓用クーラーを外して廃棄しようと言い出したので、では、と言うことで、艇に持ち込んだ。その外した部屋には未だ空調機はついてない。

で、そのクーラー、コックピットに置いてみた。勿論、キャビンに向けて。そうすると面積的に65%位の隙間が出来る。
そこでボロボロのデッキオーニングで、その隙間が埋まるように仮に覆ってみると、外気を遮断するとことが出来、なかなかよろしい。

まあ、出入りには、大きな暖簾をくぐる如く、少々手間だが、それも興のひとつ。隙間を埋めるには、こうすればいいとか、ああすればと、話のネタにもなる。つけた頃、ルナ艇長とSさん、これをみて、ホーッなかなかいいじゃないか、と。
また、先日もOさんが来られ、コリャいいと云いながら、コーヒーを飲んでいた。

このオーニング、永年紫外線に晒されて、触ると裂けるので注意の要る代物だが、意外とここでは重宝品。あっちこっちと破れてるので、風になびくと、ヒラヒラ舞う。それを見て、難破船の如くとのルナ艇長。補修されながらもデッキオーニングの役割を果たしている現役だ。

かくして、キャビンは、2001年製つまり21世紀初頭の窓用クーラー、それにオーニングのおかげで、真夏の昼下りでも凌げる空間となる。
ただ、何とも重い代物、コンパニオンウエイを持ち運び昇り降りする時は、最大の注意を払う。この時は、冷や汗を含め、ひと汗かく。

運河は夕方から蚊に見舞われる、よってこの時期の艇泊には欠かせない機具だ。
ヘップバーンとクーパーの昼下りの情事、夏の昼下りのキャビンで観るのもいいかな。

コンパニオンウエイに窓用クーラーを置いてみた。

2015年8月11日火曜日

万灯祭播磨灘ヨットレース2015

今秋のたかさご万灯祭は、秋の中型連休のはじめの土日に行われる。また、恒例となった、万灯祭播磨灘ヨットは、その前の週の日曜日に開催することが決まった。

これで、須磨沖で行われるシアトルカップレースと重複することがなくなった。レース艇の参加が増えるかもしれない。既に、先週、ガールスカウトの訓練セーリングの時に、レースの下見に来られたセーラーがいらした。

ただレースとイルミネーションイベントを支える側としては、2週連続対応となるので、計画等をうまく立てなければならない。

そのひとつに表彰式がある。表彰はレース終了後、順位が決まれば直ぐに行うのが普通だが、この度はレースの翌週、つまり万灯祭のイルミネーション点灯式後に市長並びに商工会議所会頭、観光協会長より入賞艇の代表に手渡す方法をとる。

入賞艇は、万灯祭散策の市民の皆さんや、イルミネーション参加艇から拍手喝采となるであろう。

これが決まる迄はいろいろな意見交換がなされた。新しい試みは、なんでも大変だ。然しこのイルミネーションイベントもヨットレースも定着してきた。無理せず、出来ることを身の丈でやることが、結果、継続される。遊びの中で生まれた仕事だから苦痛なんて決して有ってはならない。参加する人も準備する人も同等に愉しむことかな。

昨夕、Sさんから連絡で、今年のレース公示と申込書・誓約書をJSAF外洋内海の公式ホームページに掲載されるとのこと。また例年通り姫路ヨット協会のホームページにもだ。さあ、お祭りがはじまる。それはそうとNPOのホームページ、公示ではなく工事中。


2015年8月10日月曜日

今日も猛暑

今日も猛暑、天気のことしか書かないブログとなってしまいそうだ。

昨日は3年越しの行事をやった。というのも、毎年、雨で中止を余儀なくされたためだ。その3年越しのガールスカウト訓練セーリング、小学生を中心に行った。
暑い中での訓練だったので、どうだったかと心配していたが、次はもっと多くの年齢層を加えたいと、印象メールで伝えてこられた。

子ども達には、手紙ハガキ文化を少しでも理解して貰えるようにと、かもめ〜るを2枚づつ配り、1枚は理事長への体験セーリングの感想文を、2枚目は好きな人へ残暑見舞をといって渡した。友達の輪が、ハガキ一枚で広がればとも思う。

昨年、訓練セーリングは荒天中止したが、座学とロープワークを行い、その時もこのかもめ〜るを渡して、感想文を書いて貰った。絵はがきとなって、理事長宛に届いた。NPOの名前の通り、海文化、それへの対応、それに手紙文化振興の一助となればと思う。

昨日この行事が終了して、何人かの人たちは近くの島へクルージングに出かけた。今日は水面をはえの風が吹くといいが、風のおきる気圧の具合は如何か。

2015年8月8日土曜日

的形のセーラー

的形のセーラー、NさんからTV取材を受けたとのメールが届いた。
この番組はウィークデーに放送される、よ〜いドンという番組。いろいろな地域に月亭八光さんが出向いて、となりの人間国宝さんを探す。

今週は、「 よ〜いドン 国宝さん 400年続く塩田名家の蔵からお宝」と云うタイトルでNさんが紹介されたわけだ。金曜日に録画再生して、楽しませて貰った。

スタジオにはメインキャスターの円広志さんがいて、今回のロケ担当の八光とかけ合う。今回は、Nさんとご子息のことを結構長い時間取り上げていた。

それはNさんの家が江戸時代から塩田事業を数十年前迄、延々400年続けてきたこと。蔵の中には当時からの歴史あるものが沢山あったこと。Nさんのお父さんの代からはじめた車海老の養殖業を、この番組の中でご子息が引き継ぐと宣言されたことなど、話題がとても豊富だったからだ。

そして、何よりお宝なんてあまり興味がないといった、Nさんの人柄が一番だったのかも知れない。
そのNさん、先日のタモリカップレースに出場のSさんとは同級生、お二人は阿吽の呼吸である。

愚生の素晴らしき仲間たちは、ここにも・・・。







2015年8月7日金曜日

空の高さ

空の高さは測りようがない、物理的な定義は別として。
今朝、何気なく空を仰ぎみると、所謂、うろこ雲やすじ雲が、かなり高いところに浮かんでいる。また、その下の方にもモクモクとした雲がある。

上層雲と下層雲の交わる季節になってきた。上の方は既に秋の気配、下の夏雲が見おろされている、うろこやすじは、そろそろ俺の出番だと言わんばかりに。

となると、飛行機は雲から観ると秋の空辺りを巡航しているのかな。
立秋の頃というのに、地上はまだまだ暑い真夏の様相。車中の前に座っている女性がバッグから水筒を取り出し水分補給している。愚生も同様、バッグの中の水筒が欠かせない。

空は高いなーといえる季節が待ち遠しい。

2015年8月6日木曜日

曇り空

久しぶりの曇り空が、なんとなく嬉しい。一部のエリアでは記録的短時間大雨とかニュース速報が伝えていたが、そこに住む人は大変だ。台風は日本の南の島を過ぎ大陸に抜けるとニュースで言っていた。

天気が気になるのは、この日曜日はガールスカウトの訓練体験セーリング行事があるからで、それも昨年は台風の余波かなにかに見舞われて中止を余儀無くされたからだ。
みなさん、古民家で待機されていたので、折角だからと出前座学をやったらロープワークが好評だった。流石ガールスカウトと記憶する。

昨夜、その団体の代表の方と手続き等のやり取りをするも、確認できてない事項が2つあり、迷惑をかけてしました。理事長にお手伝い頂き、後処理中である。

先週の障害者体験セーリングも昨年は雨で中止となった。先週土曜は好天すぎて、それこそ茹だるような暑さだった。この日曜はできれば、今日くらいの曇り空になればと念ずるところだ。

2015年8月5日水曜日

キャビン書棚の一冊

ヘミングウェイが日本の女性と結婚していたと書き出したが、それは大きな間違いだった。同じ米国人の作家だが、それこそ時代が異なる。まあ大間違いに気づきよかった。

ヘミングウェイの好んだお酒は数あるようだが、モヒートもそのひとつとか。丁度、今の季節に合うカクテル。日蔭を作って海風にあたりながら飲むもよし、夕暮れ時、ひと息ついて飲むのもいい、それも街のバーで。

キャビンの書棚に何冊かの海洋本を並べているが、その一冊に老人と海がある。古い文庫本なので、印刷文字フォントも小さく、もう茶色く色褪せているが、好きで時々パラパラとページをめくる。
読むと風景が過る、そのような文章。最も薄くて小さな一冊だが、書棚での存在感は大きい。そういえばノーベル文学賞作品だったな。