2015年9月30日水曜日

エンジンスイッチ

ディーゼルエンジンのスターティングスイッチをいよいよ交換せねばならない。

ディーゼル、今話題のそれだが、こちらはヨットのエンジンの話し。ヨットに搭載のディーゼルエンジンは全くシンプルで、圧縮と爆発燃焼を機械的に規則性運動を繰り返す。人の勘ピュータはあってもコンピュータなどは一切介在しない。

前にスターティングモーターを取り替えたことを投稿したが、そのモーターを回すスイッチの接点がどうもいけない。
スイッチは既にYさんより購入済みで、いつやるか、の状態。コンソールボックスに少々改造が施されているので、それを開けるのに手間を要す。よって後々になってきた。この日曜でもやろうかと。

然し、灘に風が吹くと、また後日になる。




2015年9月29日火曜日

十六夜の満月

十六夜の満月は大昔からある、特に大き目の月も、普通の大きさの満月も。
この大き目の満月をスーパームーンというのをここ何年か前に知った。カタカナ表現になると、ちょっとお洒落な感覚になるのか、マスコミが挙って報道する。
然し、それはいざよい。だけど、そうとはあまり表現していないような感じを受ける。

日本は、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字とあり、文字表現がとても豊かで多様性があるので、その為せる業かな。

先日、知人の女性からタイガービールを頂いた。
シンガポールに住むお嬢さんの里帰りのお土産と聞いたので、多分、貴重な1本だったとおもう。懐かしさもあり早速に戴いたが、やはり美味い。

さて、そのシンガポールの言語をシングリシュと表現される。つまり英語が変形して使われている。言葉や文字って、排他的であるようで、多様性のそれでもあるような、何とも不思議だ。まあ、そのあたりは学者にお任せするとして。

然し、十六夜をいざよいと読んだ古人は、なんとロマンチックなことか。
ためらう文化と、スーパーと表現する文化。
満月の表現ひとつにも、洋の東西の違いを感じる。そうして月をみてみると、十六夜の満月は美しくもあり面白い。
そうそう、今朝の須磨の浦の潮、観察するのをすっかり忘れてた。

2015年9月28日月曜日

小学生達のセーリング体験

日曜日はNPOの親子ヨット体験セーリング教室だった。
100名の応募があり、先着60名の参加で行われた。当日のキャンセルで多少の出入りはあったものの、多くの親子が体験セーリング教室を楽しんだ。
協力艇は12艇、艇長、クルー24名の皆さまには休日にもかかわらずご協力頂いた。

天候もよく8mくらいの風が吹き続けたので、参加された親子の方々はヨットを充分楽しまれたのではないだろうか。

kurenaiに乗った11歳の女の子は、16歳になったら、小型船舶の免許を取るといっていた。本人より寧ろ、お父さんの方がその気になっていたようで、下船の時もとらせます、と。
もうひと組のアウトドア好きの家族はヨットは欲しいが、購入価格も高いので手が届かないと言っていたから、買い方によるが、自動車の価格と変わらないなど、話した。

海洋スポーツの普及を目指すNPOとしては、この瞬間でもヨットに興味を持って貰えると、嬉しい限りだ。
その反面、理事長は行事の前日までいろんな対応、準備で大変だったようだ。教育委員会まで出向いたと聞くと、理事長が推進しないと出来ない行事と改めて感じる。

今朝の湾、やっぱり潮は高い。今夜はスーパームーンでもあるから、朝な夕なに、月が潮を引っ張る力も強いのだろうか。
10時過ぎには、Fさんが3週間ぶりにホームポートへ帰港されるので、この湾には13時頃には入るのだろう。今日はNさんも同行とのこと、いいセーリング日和だ。〈UW旗〉

下記の写真掲載は承諾済み。NPO法人高砂海文化21Cのホームページにも掲載しないといけない。






2015年9月26日土曜日

一昨日のblogはおおきな間違い

一昨日のblog、新月とはおおきな間違いだ。
万灯祭のときは上弦というか、そのような位置での月形だったので、潮も高いし、てっきり新月と。更に、潮汐表をみると、新月だったので、なお、そう思い込んだ。

今朝、新聞のコラムに中秋の名月が旧暦8月15日云々、それが明日と書かれていたので、いや、こりゃ大間違いだと気づく。
ではあの潮汐表はとiPadのファイルを再確認すると、なんと2014年10月となっているではないか。
上弦の月からの月齢がどうなるか、いやはや、早とちりの一昨日のblog。
iPadの潮汐表、勿論直ぐに1年進ませた。満月、これも潮は高いか。

2015年9月25日金曜日

初秋の新月の頃

新月の頃か、湾の潮が高く、岸壁すれすれまで海面が上がっている。この自然現象は規則だが、blogといえば不規則極まりない。

日曜は親子セーリング体験教室。
この行事、子供会連合協議会との協働だが、この度は応募者が多くて、キャンセル待ちが何組もあると理事長から聞く。

Fさんはこの対応もあって、レース、イルミネーションと、ずっと堀川運河に停泊中。艇の不足から応援をお願いすると海峡を越え、いつも快く対応くださる。ありがたいことだ。

体験教室参加の小学生のなかに明日の土曜、運動会が予定されているところがあるらしく若し雨天なら、それが日曜に順延になると。艇の段取りもあるので、気をもむところだ。
おんな心と秋空。こんな言い回し、今は使っていいのかどうかは知らないが、
この秋の天気、間違いなく理事長 を悩ませていたようだ。だが然し、今朝の予報では土曜の雨マークは消え失せたので大丈夫だろう。

今日は午後から会議でそのあとは懇親会、帰りの時間はいつもより遅くなる。

新月の大潮から、月の形が変わり潮も変わる、この周期は規則的。
blog、これはどうも・・・。


2015年9月24日木曜日

イルミネーション翌朝、バタバタと。

イルミネーションが終わった朝、艇を定位置に戻し直ぐさま所用で上京した。
シルバーウイークだから旅行者が多いので遠出は避けたいところだが、数ヶ月前よりの大事な予定だから。車を空港駐車場へ入れ、いつもと違うエアラインにチェックインし、搭乗した。

この日は西風、飛行ルートの関係もあるのか、かなり西に向かい、その後、東に針路をとった。
先日、元パイロットのMさんに、クラブ何とかと言う蟹の名前のついた離着陸の操縦の仕方を教えてとお願いしたら、随分専門的な質問をするが、ゲームでもやっているのか?と。今度、お会いした時に教えて貰うことになった。

人間は移動距離にも疲労が比例するのか、疲れに疲れを呼ぶようだった。然し、パイロットや乗務員の人達は1日の移動距離は半端ではないから、そんなことはないか。
ホテルへ向かうと、明日の行事の可愛い主役の出迎えを受け、疲れもふっ飛んだ。チェックインすると、ひと息つけた。

このホテル、フロントデスクは狭いが空間は多く取っている。自由に手にすることが出来る書籍と壁一面の植物もそのひとつ。書棚にはこのエリアに相応しい物理などのカテゴリー本が目立つ。
その中の一冊になぜかヨーロッパ退屈日記があった。伊丹十三氏著で10代の頃に買って読んだ面白い本。

ゆっくりと朝食を摂り散歩のあと、何の気なしに面白そうな表題の一冊を手に取る。ソファに座りパラパラとページをめくると、昼間の太陽エネルギーは夜のうちにゼロになるが、昨今の温暖化によるエネルギーが少し地球に残ると、宇宙にあるエネルギーのバランスを記したページがあった。著者はイギリスの物理学者、面白そうな本だった。

然し、なかなかいい、空間だ。



2015年9月22日火曜日

たかさご万灯祭イルミネーション

たかさご万灯祭堀川イルミネーションイベントがスタート、
司会のOさんのカウントダウンと理事長の点灯宣言。フォグフォーンとスイッチオンはMさんSさん協働。点灯の瞬間は大勢の皆さんの歓声をあがる。
続いてレース入賞艇には、市長、商工会議所、観光協会会長、NPO理事長から表彰状が贈られ、セーラー達が祝福する、堀川運河にいる観客もだ。

堀川運河に舫をとるセーラー、その沖でレガッタを楽しむセーラー達、夫々思いおもいに愉しむ風景が、初秋の風物詩になって来た。
この万灯祭関連で、延べ50艇を越えるヨットと240名のセーラー達が集ったことを市長に話すと、ことのほか喜んでおられた。

日が暮れはじめると、イルミネーションで着飾る艇のキャビンやコックピットからセーラー達の寛ぎの声が聞こえる。

我々も南西方位にあがった三日月をイルミネーションに加え、ルナ亭支店である、kurenaiのコックピットで、提督の差入れ料理に舌鼓をうち秋の夜長を愉しむ。

この夜のkurenai and Lunaは見学者もあり、旧知が訪ねて来たりで、大勢の人達で賑わう。
コックピットでは、ワインの力もあってか、皆、饒舌になり、おとなの会話が弾む。ヨットライフのひとときを、心ゆくまで愉しんだ週末の夜だった。

                                         


2015年9月21日月曜日

ヨットレースのひとコマ写真

写真は本部艇からのと、Mさんよりハガキ用に送って頂いたそれらだ。
Mさんは撮影担当で、これまでもアクティブなシーンを写されている。今年のものは編集中とのこと、公開を楽しみにしている。

スタートラインは、コミティのIさんの専権。
スタートマークブイと本部艇との間隔を狭めたので、一気にスタートを切らなかったかわりに、リコールもなく、上品なスタートであった。

レースのスタート、なかなかの感動するシーンだ。
取り急ぎの5、6枚を掲載する。Mさん撮影。

僚艇ルナとウエイトの高校生訓練クルー
オーバーヒール気味だが仕方ない
スタート5分前くらいだったか
これも戦略行動
これはまだ、20分くら前
スタート1分か2分後だっただろうか

2015年9月18日金曜日

シドニーでの記憶

アデレードからシドニーに戻り、M社のシドニー事務所に挨拶に行ったが、その辺のことは殆ど忘れてしまった。シドニーに2泊したような記憶はある。

特に憶えていることは、
朝夕、沢山の小型フェリーでシドニーの港は混雑していたこと。周辺の島々や湾に面した町などからの通勤客の移動のようだった。小型フェリーが日常の交通手段であること、その船の多さ、乗る通勤客の多さには些か驚いた。勿論、ヨットは本場、言うに及ばずだ。

シドニー市内のゴルフ場は、ポートオーガスタのそれとは全く以って異なる。手入れがいきとどいた、綺麗な緑に覆われていた。フェンスの向こうの白色の長いスカートでプレイしてた老女性のパーティを憶えている。勿論、トカゲなどいない、であろう。

ローンボーリングやクリケットを楽しむ人達の服装も印象的だった。シドニー到着時、機内に乗り込み消毒液をかけまくっていた検疫官も白の半袖半ズボン、それにロングソックスもだ。公式カラーが白なんだ。

夜はシドニータワーの回転レストランで夕食を摂り、そのあとロック地区という古い倉庫群を歓楽街に変えた場所で、所謂、カジノを経験したり、ナイトクラブを覗きショーなどを見た。多勢の旅行者がひとときを楽しむ処だ。

そのクラブで、司会者が遠来の客を探すゲームか何かを始めだした。遠来なら負けじと手を挙げてみたら、司会者曰く、お前はシンガポーリアンだと愚生の顔をみて断じる。日本人であるなら証明しろと言うので、パスポートを見せてやったような憶えがある。シドニーでの2日間、そんな、こんなを楽しんだ気がする。

成田空港から、家に電話をとおもった瞬間、番号が思い出せない。今おもうに、その頃から忘癖があったのかも知れない。

29歳のこの海外仕事旅デビュー以降、シンシナティ、モデスト、クリーブランドなど、なぜか、あまり一般サラリーマンが行かないようなところへ出掛けるはめになる。ロクに言葉も喋らないのに、お鉢が回ってくるから不思議だ。それより、受入れる相手は困っただろうな。

2015年9月17日木曜日

鬱陶しい天気

秋雨前線の影響か、鬱陶しい天気だ。
でも万灯祭のある土日は晴れの予報だから、それでいい。

来艇数も確定したので、規模感が測れる。先ずは予想より多かったのでひと安心。
イルミネーションは多くの艇が寄り添うと、より美しくなるので、参加艇は多いに越したことはない。

先日のレースで警戒艇から乗り移って頂いたOさんは、夏に艇を入れ替えたので、マストが高くなり、大橋を越えることが出来ない。
よってイルミネーション会場の手前の岸壁に係留することになったので、kureni and Lunaで寛いで貰うようにしている。

そのOさんと女性セーラーMさん、昨年会場にプロジェクターを持ち込み、スクリーンにヨットの映像を映してくださったのだが、今年はその場所にケーブルテレビのブースが設置されるので、投影の場所もなくなってしました。
流行のプロジェクトマッピングとはまた異なる趣きがあり、会場でも人気だったのだが、残念だ。

会場の岸壁には既にFさんの艇が舫を取っている。当日はホームポートであるNハーバーの知人のケッチで来場される。またもやデカイ艇が入ってくる、楽しみだ。

この鬱陶しい天気、考えると、今でよかったかな。
なにより土日の天気に期待しよう。そして来高艇には、播磨の風が吹いてくれることも。

2015年9月16日水曜日

季節逆のオーストラリアでの仕事

ポートリンカーンの休日を終え、ポートオーガスタでの仕事に励む。ユニオンの関係から、我々はどんな場面でも、作業に手を出してはならない。そんな注意を着任時に受ける。建設工事現場だから多勢の職種の人達がいる。

愚生の担当は大型のタンクを建物の屋上に上架して、それを移動させて、再び高い基礎の上に据え付ける。その要領書やら計画図とか簡単な力学計算などをやる。
英国系のオーストラリア人と一緒にだ。彼はこの仕事を請け負っている社長でもある。親子兄弟で営んでいるようだった。

ヘタッピな英語なのに、何かしら、意気投合して仲良くなった。仕事は順調に進んだが、ある時、ワイヤーが切断する事故があり、ご息子が足首に怪我をした。親父であり社長である彼から随分叱られていた。気の毒なことをしたが、幸いに軽い怪我で、翌日からまた働いていた。大丈夫か、と聞くと頷いていた。
現場で働いている人たちは、皆プロ意識が大変強く、怪我などしてはならないことを鉄則のようにしていた。異国の地でそれを肌で感じた。

全ての仕事を終え、帰国の日が決まった時に、彼ら家族から送別会の招待を受けた。聞くところによると、この現場ではこんなことは初めてだと、サイトマネージャーが言っていた。奥様を含めた家族皆んなの紹介を受け、レストランで食事会をやってくれた。

帰り際、お土産にと、名産のオパールをくださる。その時の奥さんのハグがとても自然であったことを、今でも覚えている。
オーストラリア人との短い付き合いだったが、思い出いっぱい。今でも彼らの顔を覚えている。何を飲み何を食べたかまでは失念。

数日後帰国の途につく。例のオイル漏れの小型プロペラ機でアデレードを経由してシドニーに向かう。勿論、アデレードでカンタスにスイッチしてだ。

忘れるにもほどってものがある

レース本部艇を仰せつかり、舞いあがっての所業のひとつに、レース委員の2名の方々を岸壁に置き去りにして、レース海域へ出港してしまった。

場面の一部を記すと、コミッティのIさんが其々の役割をコックピットではじめたが、人数が少ないので、あれやこれやとダブル役割を捌いている。愚生もお手伝いをと思っている矢先に、1号警戒艇より、2名のレース委員を乗せて、本部艇に向かっている、ついては、海上にて乗り込むので準備するようとの連絡。瞬間、レース委員リスト内容が過り、ハタと気付く、なんたる失態。

1号警戒艇のY船長の操船技術から、お二人は無事に乗り込む。

そこでIさんが役割調整を再び行うと、当然ながら重なることなく要員配置が出来た。
親しいOさんだからよかったものの、お二人に平謝り。その話をあとから聞いたルナ艇長は、前代未聞の出来事にア然としてた。一方、女性セーラーのおひとりは愚生の性格の一部を見抜いた評であった。

何れにしても、忘れるにもほどってものがある、と天の声が聴こえそうだ。





2015年9月15日火曜日

レース当日はいいコンディション

万灯祭播磨灘ヨットレース2015大会がスタートした。
多くの人たちがかかわり、盛り上がった。助勢の人たちを入れると、総勢100名は越えていたと思う。

でかいレースであろうと、このレースであってもひとつひとつ、やることは同じだ。
海上は8mほどの風があり、申し分なかったが、その分、波もたった。然し、絶好のレースコンディションじゃなかったかな。

愚生は本部艇担当。同乗しているコミッティをはじめ、タイマーや記録、信号旗、フォーンなどを担当のが慌ただしく本部艇内を動く。
3番マークブイの打ち替えなどもあり、その対応をする警戒艇の乗組員も大変だ。

レース出場艇の方は自艇の勝敗の行方と勝つ為の戦略に勤しんでいる。今回はAクラスが多く、迫力もある。
その中、若いセーラー達の艇は途中でジブセイルが破損するトラブルに見舞われた。家族、夫婦、姉妹、親子兄妹が同型艇に乗り込み、操っている。この姿、ホント絵になるので、ついつい見とれて写真を撮り損ねた。

70数歳夫婦の乗り込むカタマランも今年も参戦している。セーラー達がご夫婦に付けてるあだ名はポパイとオリーブ。ワンコも準セーラーとして乗り組んでいる。県外からの唯一の参加艇である。

スタートラインはコミッティが狭めてセットされた。スタートはやはり感動シーンだ。





2015年9月11日金曜日

ヨットレースの準備段取りの一部

ヨットレース大会委員会より、準備段取りの一部を仰せつかる。皆さん、其々に役割がある。愚生は招待書類、申込書誓約書などのリメイク。プログラム作り、あと賞品係等の準備に、ヨットレース記念の缶バッチの図案化と制作などを担当する。

缶バッチの制作、これはいわく因縁のあるもので、少々手こずるもギリギリセーフ。レース参加者にはデザイナー諸氏がいらっしゃるから・・・、まあ素人ということで大目にみて頂くしかない。

最も重要⁇な賞品手配では、今夜、ワイン、ビール、珈琲の類を購入すると全て整う。
これらの液体を注ぎ愉しむフランスヨット部品会社の器、その液体のひとつビールの泡立器、フランスメーカーの珈琲沸し電気品などは、既にルナ艇長宅に集約、出番を待っている。スポンサーから頂いた液体も。

このレースでは入賞艇、つまり1位から3位迄で、市長、商工会議所会頭、観光協会会長、NPO法人理事長の表彰状と副賞が贈られる。副賞にはスポンサー賞もある。この表彰式はイルミネーションのある来週末だ。

明後日のレース終了後には、全艇で抽選会を楽しむ。空くじ無し、全艇に賞品が当たる仕掛けで、昨年、好評だったので、今年もそうすることになった。
スポンサー賞も入れると、1艇当りの賞品はSKUは8種前後になるかな。その中にビールが入ると14個前後になる。コリャ結構重たい(笑)

賞品は当然ながら予算も絡み、抽選の公平性も必要で、整理するのが少々難儀でもある。
よって予算と賞品と賞名や順位、1艇当りの賞品額等々をマトリックスの表で纏めてみることにしたら、これが意外と解り易い表に収まった。
大会会長というかNPO理事長、要はルナ艇長曰く、上手く賞品分類したなとの評。作った者以外が見ても解り易いんだと、思わずほくそん笑んだ。

それから賞品の名前では、ヨットレース名を分解してみた。このヨットレース名には、祭りの名前、海域名、西暦がつく結構長い名前。なので、それを其々単語に切って、6賞名を付けてみた。ダッチもない遊び心だが、お隣同志で単語を組み合わすとレース名になる。

賞品購入予算は、大会会長の事前承認を得て、JSAFGN会長、Hヨット協会理事長へメール報告した。またヨットレースも国際審判員資格のコミッティが采配を振るう、当然のことながら堅いもの。

よって賞品の趣旨や名称などは、ダッチもない遊び心を織りまぜながら少々柔らか目にとおもった。このように、準備段取りの一部対応、blogネタになるべく、楽しませて貰った。


2015年9月10日木曜日

好きこそものの

好きこそものの上手なれ、の故事。
昨日の稿でルナ艇長のヨット履歴半世紀に触れた。愚生は小学生の頃にディンギーに乗せて貰ったことがあるから、そこからカウントすると、半世紀になるかな(笑)

ルナのクルーになって30年は越えているから、4半世紀以上は艇長と一緒だ。今でもいろいろなことを教わる。ルナ艇長は真からのヨット好きでありセーラーだ。

好きこそものの上手なれ、愚生の場合、好きこその箇所は当て嵌まるものの、ものの上手なれのくだりは、どうもいけません。いつまで経っても、風をうまくよむみ、掴むセーラーになれない。風よみ、掴みは下手なれど、然し、好きである。

ではヨットのどこが好きか、そりゃ風で動く地球上で最大の乗り物だからかな。この週末はレース支援の関係からキャビン泊となる。もちろんその時間も好きだ。

2015年9月9日水曜日

突然現れた台風

日曜の高校生訓練セーリングの後に、デッキにオーニングをかけてきたので、突然現れた台風に、困ったなーと思っていた。一昨日、ルナ艇長と別件で電話した際に、台風対策でそちらへ行こうかと思っていると云うと、大丈夫やと思うよ、との返事だった。

ルナ台風予報士の通り、こちらへの上陸はなかった。艇長の所謂KKD、つまり、勘、経験、度胸。Dはここでは関係ない。半世紀以上もヨットに乗っているのだから、それは及ばない。

いずれにしても列島には上陸したので、東海とその以北進路にあたるエリアが大変だ。この地域もこれから影響をうけるのだろう。
湾に目をやると、そこはさざ波、潮目がみえるほど静か。

突然現れた時の予報では、週末上陸だったからレースへの影響を心配したが、あたらなくてよかった。

株と天気、その予想と予報は、なかなかあたらない。然し、誰かが、何処かで、あてているから不思議。
まさかKKDではあるまいが、人の五感ほど正確なものはない。しかし、昨今、コンピューターがそれを身につけはじめてきた。道具が道具を超えると・・・。

2015年9月8日火曜日

ポートリンカーン

連休があったので、ポートリンカーンへ1泊のドライブ旅行に出掛けた。
時速100㎞で数時間走っても、穀倉地帯が続く。小麦畑の規模には驚く。

ハイウエイをひた走る、と言っても、普通の道である。4連式のトレーラーなどが、平気で走っている。最後尾には追越し注意のサインがあるが兎に角長い。まあ、日本では考えられない光景だ。

道路標識では、カンガルー飛び出し注意のそれがいたるところにある。たまたま休憩停車して、標識を見ると、幾つもの銃弾孔があった。誰かがイタヅラで拳銃の的にしたのだろう。そういえば、ブラウンさんの趣味はシューティングだったな。

ポートリンカーンも港町。日本の遠洋漁業の漁船も補給の為に立ち寄ると、当時聞いた。
浜辺の小さなホテルに投宿、清潔な部屋だった。浜辺でイタリア系の家族と出会う。小学生くらいの少女が懐くので、折り紙をあげたら、大変喜んでいた。父親はグリーンのジャガーに乗っていた。やはり遊びに来ているようだ。

ホテルの窓ぎわに佇むと、もう一つ向こうの大陸、南極から吹いてくる風が心地よい。ホテルの食堂で食べた魚料理も美味かった。
夜、浜から突き出た木製ピアまで散歩してみる。そこに、ヨットが数隻係留されていた。日本人だというと、酔っ払いのセーラーが大きな声で、日本人だと皆に伝えている。

記憶は薄れているが、結構サイズのある艇だったとおもう。確か、香港からクルージングしてきたと言っていた様な・・・、定かではない。
明確に憶えているのは、その大声を出していた陽気な酔っ払いセーラーが、落水したことだ。
今、思えば、どこの国のセーラーも同じだ。落水と云えば・・・、いや、やめておこう。ライフジャケットが膨らむか、どうかの実験だったかも知れないから。

一歩町を出ると、そこは大自然、なにごとも自己防衛と自己責任で行動するようと、現地の人に教えられた。あの銃弾孔もそのあらわれか。ポートオーガスタへの帰り道でも、竜巻を見たように記憶する。

そうそう、ポートリンカーンの木製ピアは今もある。訪ねて南極から吹く風にあたってみたい気もするが、まあ20歳代の旅の想い出にしておこう。

レースに向けて

レースに向けてと言っても、愚生の出る幕ではない。
土曜日に高校生達をヨットに親しませた。レースに向けた実践だが、全員初めてのセーリングだ。4艇に分かれて乗り込んだ。各艇長とクルーの皆さんの協力のもとにいろいろな帆走パターンをやった。
天気も良く、適度な風で、皆、楽しかったとは言っていたが、では、これからも乗るか、といえば・・・。然し、興味はもったようだから、それはそれで、やった甲斐はあった。
次の日曜は、レース参加艇の艇長のご厚意で、乗り込みレースを体験する。

レースの賞品手配など未だ準備中である。ヨット協会もバタバタされていることだろう。

2015年9月7日月曜日

次の休みは

休みの日に、現場で仲良くなったオーストラリア人の牧場に行ってみた。
この人は、現場で働きながら羊を飼ったり農業に従事している。
その牧場たるや、そうとうな広さだった、野生のカンガルーが車の前を飛び跳ねる。

お茶でもということで、彼の自宅、石で出来た家に入るとひんやりしている。クーラーをつけているのかと聞くと、冷房はしていないとの返事だ。涼しいのに驚いた。

大きな牧場の中の一軒屋、生活水の全てはレインウォーターだと。そういえば民家の庭には雨水を貯める大きなタンクがある。屋根から雨水を取り込む配管もある。勿論、ホテルにも、ホテルのタンクはそれこそでかい、規模が違う。

そのホテルに戻ると、いきなり外が暗くなった。しばらくすると、凄い風が吹いてきた。所謂、竜巻だ。どうもそれに巻き込まれたようだ。全く経験のないことだった。

彼の石造りの家、これで納得できる。普段でも竜巻が農場や牧場やらに発生しているのをみた。それも何本もだ、何かスケールの違いを感じた記憶がある。

2015年9月6日日曜日

ポートオーガスタの休日

ポートオーガスタの休日は何もすることがない。
散歩していると木陰でアボリジニの人たちが休息していたり、日曜日はお店も休みが多かった。名所旧跡などもあったが国の歴史が浅いからそのような場所は多くはなかった。

ゴルフに誘われて出かけてみた。まさに、オーガスタだ。何処にもそれらしい景色が見えない。着くと無人の建物があり、数百円をポストにいれてスタートする。びっくりしたのは、打ちっ放し場にある、50㎝角の人工芝マットを持ってコースを廻る仕組みだ。

コースは岩と砂地ばかり、グリーンはオイルサンドで、最終ホールだけが芝だった。
だからどの場面でも、人工芝マットを使う。グリーンと言うかブラックにオンすると、スクレーパーでピン迄をならして、パッティングする。芝目、そんなものはありゃしない。

フェアウェイっていうか、ラフっていうか、ボールを探すと、大トカゲが卵とおもってか、ボールの近くをノソノソしている。へー、凄いとその時はおもった。

勿論、コースは一人用のカートで廻る。このカート、シンプルデザインでいいものだった。コースは日陰など無く、外気温がとても高いので、汗が直ぐに蒸発する。よって、水分補給が重要で、2リットルのボトルをさげてコースを回るのが、スタイルだ。

まあ、日本では、絶対に味わえないゴルフだ、面白かった。

2015年9月4日金曜日

ギリギリセーフ

明日は、万灯祭播磨灘ヨットレースの訓練クルーとして参加する地元高校生の、事前訓練日だ。
来週はレース本番、再来週はその表彰式と、3週に亘り行事が続く。これらをサポートする連盟、協会、NPO、ボランティアの方々は準備や支援などが大変だ。

NPOの役割である、入賞艇の市長賞等の表彰区分、NPO理事長賞、スポンサー賞、抽選会の景品や記念品、地元企業から頂戴したお土産の分配など大筋を決めた。盾やトロフィーの確保、それらの銘板準備にかかっている人もいる。
記念品は昨年と同じく缶バッチとした。これらは大会会長の承認を得ながら進める。

その缶バッチの発注点リミットが今日だった。図案をメーカーへメールすると、何度も差し戻される。どうもテンプレートのサイズを使い間違っているようだ。修正には少々時間を要すが、その時間がない。

今週半ば、此の期に及んで、図案をやりかえたりした。また、何処でどう間違ったのか、日にちの勘違いなどもあり、ドタバタ劇となったわけだ。

夕方、なんとかメーカーに頼み込み、締切り20分前くらいだったか、間に合うことができた。レース前日、来週の土曜着となった。メーカーの人たちの助けに感謝、感謝だ。

昨年も同じようなことがあった。所謂、愚生の学習能力の欠如にほかならない。いつもながらのギリギリセーフ。



2015年9月3日木曜日

蝶ネクタイ

新聞に蝶ネクタイのことが書いてあった。
多分、静かな流行ということなんだろう。若いモデルの写真も掲載されていた。文面、殆ど読まなかった。ルナ艇長とKさんもマリン柄のそれを持っている。

JASFの年末おこなわれるポイントレース表彰パーティにジャケットにジーンズと蝶ネクタイで参加することにしている。Kさんは奥方とクルーズ船のディナーでそれを着用したとか。

その時のパーティで、JSAFの理事から、私もそのかっこうにしようとおもってたんですよ、と声を掛けられた。もうひとかた、正統派の蝶ネクタイ着用されてるオールドセーラーがいらっしゃる。

カジュアルな、いでたちの時、チョッとしたネックアクセントで遊ぶのもいいではないか。これからの季節、セーターと合わせるのも楽しい。合わせるパンツは適当なもの。





2015年9月2日水曜日

豪州から離れて

豪州から離れてのblog。今朝はグズついた天候だ。
今週は、こんな感じのようで、週末にはなんとか天候回復の予報。

17名の高校生男女が、万灯祭播磨灘ヨットレース2015大会の特別訓練クルーとして参加する。その事前訓練を週末におこなう予定で、よって天候が気になる。

座学の時間もある。はじめに、この地域の海洋文化についての講義をNPO理事長にて行う。愚生はヨットはどうして動くのか、などの概要を話す。その後、海上にて実践することになる。
今年はスポーツ特待生が対象とのことで、それはそれで、楽しみである。

2015年9月1日火曜日

ポートオーガスタでは

ポートオーガスタで、いよいよ仕事をはじめる。火力発電所の建設だ。その一部のパートのスーパーバイザーの役目である。建物の最上階に水タンクを上架させて、数十メートル移動、据え付ける。その周辺業務色々だ。

まず、サイトマネージャーは英国人のBさん、その他技術者、作業者等、ほぼ全員はオーストラリア人。日本人は空港で迎えてくれた事務長のMさんと先発SVの方、それに愚生の3名。

早速、一緒に仕事をするオーストラリア人のTさんの紹介を受ける。彼は小柄な英国系オーストラリア人だった。工事の請負人で、所謂、社長さん兼作業責任者だ。
気のいい人だった。息子や娘婿を伴っており、ファミリーで仕事をやっている。

早速、着替えて現場に行った。その後はいろいろなことがあった。事故もあり、灼熱の砂漠での仕事だから、気温が40度を超えると屋外作業は全面中止となる。ユニオンが強く、我々SVはどんな場面でも仕事の手助けは出来ない、等等。

10時と15時はティータイムがある。多くの人達は持参ポットの紅茶とビスケット等を楽しむ。愚生は冷たいシンジャエールをよく飲んだ記憶がある。

ホテルは英国人のBさんも一緒だ。このBさんは日本のM社の社員である。朝夕は4人揃っての食事だ。夕食は毎日ドラフトビールをピッチャーで買い、それをスクーナーサイズのグラスで飲む。このピッチャーは夕食のたびに、順番に支払う仕組みで伝票処理される。グラスはスクーナーとミディだったかな。

メインは、スパニッシュオムレツ、フィレミニヨン、ラムチョップ、フィッシュフライ等々を繰り返す。サラダは好きなものを適当に、愚生はインディカ米、ビーツ、紫玉葱などを好んで食べた。
時々外食をする。つまり、ホテルは内食。
ベトナム人のやってる中華屋へ行く。ライセンスの関係から酒類は出せないレストランが多く、持ち込むのが慣わしで、この中華屋もその一軒だった。

暑い季節は朝涼しときから仕事をする習慣、この季節の朝は早起きで暗いうちから朝食を摂る。
ベーコンかソーセージと卵に野菜類、コーンフレイクスかパン、Bさんは紅茶しか飲まなかったなー。

そんな生活が暫く続いた。