2015年9月18日金曜日

シドニーでの記憶

アデレードからシドニーに戻り、M社のシドニー事務所に挨拶に行ったが、その辺のことは殆ど忘れてしまった。シドニーに2泊したような記憶はある。

特に憶えていることは、
朝夕、沢山の小型フェリーでシドニーの港は混雑していたこと。周辺の島々や湾に面した町などからの通勤客の移動のようだった。小型フェリーが日常の交通手段であること、その船の多さ、乗る通勤客の多さには些か驚いた。勿論、ヨットは本場、言うに及ばずだ。

シドニー市内のゴルフ場は、ポートオーガスタのそれとは全く以って異なる。手入れがいきとどいた、綺麗な緑に覆われていた。フェンスの向こうの白色の長いスカートでプレイしてた老女性のパーティを憶えている。勿論、トカゲなどいない、であろう。

ローンボーリングやクリケットを楽しむ人達の服装も印象的だった。シドニー到着時、機内に乗り込み消毒液をかけまくっていた検疫官も白の半袖半ズボン、それにロングソックスもだ。公式カラーが白なんだ。

夜はシドニータワーの回転レストランで夕食を摂り、そのあとロック地区という古い倉庫群を歓楽街に変えた場所で、所謂、カジノを経験したり、ナイトクラブを覗きショーなどを見た。多勢の旅行者がひとときを楽しむ処だ。

そのクラブで、司会者が遠来の客を探すゲームか何かを始めだした。遠来なら負けじと手を挙げてみたら、司会者曰く、お前はシンガポーリアンだと愚生の顔をみて断じる。日本人であるなら証明しろと言うので、パスポートを見せてやったような憶えがある。シドニーでの2日間、そんな、こんなを楽しんだ気がする。

成田空港から、家に電話をとおもった瞬間、番号が思い出せない。今おもうに、その頃から忘癖があったのかも知れない。

29歳のこの海外仕事旅デビュー以降、シンシナティ、モデスト、クリーブランドなど、なぜか、あまり一般サラリーマンが行かないようなところへ出掛けるはめになる。ロクに言葉も喋らないのに、お鉢が回ってくるから不思議だ。それより、受入れる相手は困っただろうな。

0 件のコメント:

コメントを投稿