十六夜の満月は大昔からある、特に大き目の月も、普通の大きさの満月も。
この大き目の満月をスーパームーンというのをここ何年か前に知った。カタカナ表現になると、ちょっとお洒落な感覚になるのか、マスコミが挙って報道する。
然し、それはいざよい。だけど、そうとはあまり表現していないような感じを受ける。
日本は、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字とあり、文字表現がとても豊かで多様性があるので、その為せる業かな。
先日、知人の女性からタイガービールを頂いた。
シンガポールに住むお嬢さんの里帰りのお土産と聞いたので、多分、貴重な1本だったとおもう。懐かしさもあり早速に戴いたが、やはり美味い。
さて、そのシンガポールの言語をシングリシュと表現される。つまり英語が変形して使われている。言葉や文字って、排他的であるようで、多様性のそれでもあるような、何とも不思議だ。まあ、そのあたりは学者にお任せするとして。
然し、十六夜をいざよいと読んだ古人は、なんとロマンチックなことか。
ためらう文化と、スーパーと表現する文化。
満月の表現ひとつにも、洋の東西の違いを感じる。そうして月をみてみると、十六夜の満月は美しくもあり面白い。
そうそう、今朝の須磨の浦の潮、観察するのをすっかり忘れてた。
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