2024年5月16日木曜日

最大瞬間風速

お昼頃、セーラーMさんからメールで、泊地は風が強い、愚艇のウインデックス(風見)の反射板はなんとか持ち堪えていると知らせてくれた。
これ以上変化のないことを願うと返信。
そう連絡した後、灘と海峡付近は最大瞬間風速27.6m/secとの気象台発表があった。早速、それを伝えると、泊地から引きあげている途中と、、。

日本海側の風は台風の如き渦を巻いているようで、先ほどの気象ニュースでもそのことが伝えられていた。
低気圧が日本海を東に進んでいる。明日は快晴らしい、、。

2024年5月15日水曜日

午後の海峡

所用で午後の海峡を1時間ほどみていた。
中型LNG船のデザインをみて、昔と変わったなとおもう。
ヨットの姿はなかった、どんよりとした天空、、そういえば飛行機を見なかったな。
朝から午後の一部を除いて資料編集をやっていた。
データ類のファインリングがよろしくないのでイライラする。一度棚卸しをせねばならないと思いつつも、なかなか進まない。
アナログ時代、社内でファイリングシステムのモデルとなり、見学者が来るほどだったが、見る影もない。
午後の海峡、本船の往来もそう多くなかった、時間帯かな、、。

2024年5月14日火曜日

漂うYacht

混んでる車窓から、湾に漂うヨット1パイを見つける。
朝三番の時間帯、フルセイルで楽しんでるセーラーがいらっしゃる。
この海域で活動するMさんの艇に乗った時、車窓から見る景色と、逆に海から陸(おか)を見る風景は5分と5分だなーと思った。
要は海からも陸からも美しい景色がそこに、源平の歴史ある山あり、その麓に洋館の家あり、更に海岸沿いに、これまた家ある。

漂うヨットをみてふとおもう和歌、淡路島 かよふ千鳥の 泣く声に 幾度寝覚めぬ 須磨の関守 詠み人 源  兼昌。
この沿岸を詠った和歌はほかに何首かあり、平安末期から鎌倉初期に活躍の定家によって百人一首として綴られる。ちびギャン達はぼうずめくりを楽しむ、、。

朝から漂って遊ぶか、羨ましいかぎり、、。





2024年5月13日月曜日

ヨットと風

ヨットと風は切っても切れないが、この風はヨット乗りを悩ませる。
レース派とブルーウォーター派とはどの風を好むか、嫌がるか、、。
一般的には、微風、中風、強風とか云ったり、これ以外にも暴風とかもある。
港を出た時は微風が時間と共に強風になったりするから厄介だ。
最近なら四国沖、その前では山口日本海側、新潟佐渡沖、北海道松前沖、渥美半島、波切沖などなど、ここら辺で結構苦しめられた。
だいたいこんな場面では笑うか泣くか、、。
でもまぁデーセーリングの延長線上、太平洋の真ん中とでかではないからいい。
写真は向こうの艇から愚艇をみても同じように波と風に翻弄されている姿、景色、ミラータッチ。この時も出港時は微風だったんだけどここまでなるとは、、。
友人のTさんは、こんなことやっちゃ駄目と強く申される、いゃ仰せの通りとお応えする。
ヨットと風、そこに波まで加わるのだから、非日常極まりない。



2024年5月12日日曜日

強風で寝不足

昨夜から朝方にかけて台風のような風が吹き荒れた、いつもは、のたりのたりの寝床が、、。
昔は台風の日に何度か艇に泊まり込んだことがある。この時は、防潮堤のドアが外からロックされるので完全隔離の状態になる。
昨夜のそれは、当時を思い起こすと云っても過言ではないほど。
6時過ぎには一旦風は和らぐも真は強い風、肌感でわかる。強風で寝不足もいいとこや、、。

この風で国際交流行事に艇を出すことを諦める。
よって昼食は行事のところに出向き、インドの人が作られたカレーと、インドネシアの人が作られたシュウマイのようなものの二つを頂く。
インド人家族は以前に愚生のヨットに乗られたので挨拶をする。小学生の子には英語で、おかあさんには日本語で、、美味いカレーのお礼も。

舞台ではインドネシアの民族衣装での舞を鑑賞、指先の表現が独特である。
主催者の女性達は朝から準備に奮闘された。






2024年5月11日土曜日

艇泊rev-1

キャビンの片付けが夕方終える、帰るより艇泊を選ぶ。片付けは6割方、、。
風が強いのでいろいろな音がする。まさに非日常である。
台風なみの南風、ヒューヒュー鳴っている。



2024年5月10日金曜日

第33回オリンピックrev-1

パリオリンピックのセーリング競技に出場する選手の壮行会が日本セーリング連盟主催で6月下旬に開催される。その案内メールがある。
競技海域はフランス・マルセイユ、7月28日からスタート、このセーリング競技には代表選手は7名が4種目に参加。確か男女混合の新たな種目が加わったのではないかな、、。

先日、金刀比羅宮に参拝する朝、THYで見かけた少年、小学生に声をかけたら、今からOPのレースに参加するとのこと、頑張れってエールをおくる。
未来のオリンピック選手、、。

ハーバーのシャワールームでセーリング競技の訓練を終えた小中高生セーラー達とでくわすことがある、そこでの雑談も楽しみ。またこの県のセーリング連盟会長はNOYCのフリートキャプテンでもあり会議でご一緒することがある、理想的なフリート運営をなさるセーラー。

2024年5月9日木曜日

3点セット

スタンレーのウヰスキーポット、ショットカップ(ステンレスなのでグラスと言えない)、チェイサー水筒、これ3点セット、前も紹介したがこの時のポットにはボウモア。
ルナのキャビンでの乾杯の時の写真で、山彦Mさんからはこちらもボウモアを一杯やるよとのコメントがある。
好きなウヰスキーに、ラガブーリンがあるもこれは高騰した、今となればラフロイグもお手頃でいい、、ともにアイラのスモーキー・スコッチ。

3点セットは本来は下戸の愚生の持つ物ではないけど、スモーキースコッチ好き用に持ち運ぶ道具としている。まぁ小道具集め、野暮な趣味の一環かな。
山彦Mさん、この道具で一杯やりましょうか、、そのうち。


スタンレー3点セット

ラガブーリン16年


2024年5月8日水曜日

風をみてよむrev-1

ヨットは風で動く、、その為には風見を通して、風をみてよむ。
写真上はマストから下ろした風速と風向を読みとるセンサーで、コクピットにあるモニターにBluetoothでデジタル信号を送るもの。必要電源は小型ソーラーから得る、それを内部の小型電池に蓄電、夜間でも利用できるようになっている。
またアナログ的な風見はウインデックスといい前の項で紹介した。

これらは、風を見るもので、これをベースに風をよむことになる。特にレースの勝敗はそこで決まる、肌感で即座に風をよみとるセーラーが最後の勝利を導くことになる。それを理論が証明する。
写真下は、真の風(TWA)と見かけの風(AWA)、ボートスピードBs、のベクトと、TWS(真風速)でポーラダイアグラムが現れる、そこで速度成分VMGを導くのである。
所謂、これが風をよむ、かな。知らんけど。

ヨットは風をみることから始まり、風をよむことに繋いでいく。
愚生はレーサーではない。けど、好きな?走る理論と実際がここにある。
またレースジャッジとレースマネージメントの資格をとった理由は、何が本当なのかを知るためだったが、その延長線上にレーサー達が各艇でどんなタクティクスで勝負しているかをジュリーボートで見る楽しみをちょびっとだけ知ることができた。

写真中はトイレトペーパーを手で割いてサイドステイに貼り付けたもので、ここは見かけの風をみるため、、少々の雨にも耐えていたのが新発見。ダブルのトイレットペーパーがいい。

そう云えば、風見で使った残りのペーパーは、島の浜できじウチに使った。
きじウチ、山ガールはそれを花摘みと、、





2024年5月7日火曜日

海面の影を、、rev-1

ラストleg、ホームポートの防波堤が近づくと、あぁ帰ってきたなと。
スターボードサイドの海面に影を見つける、緑と青のコントラスト、これなかなかいいではないかと音楽を聴きながらシャッターを切る。
午後からの風は南寄りとなり、それを後方より受けるるので、艇速と風速が相殺され暑さを感じる。でも松林の公園横の運河は爽やかでもある、薫風に潮の香も加わる、初夏を感じるには些か、、。
200nmほど、それも1週間の小航海でも船旅はいいものだ。

2024年5月6日月曜日

高松エピソード

ルナ号は先日の雹の被害を受けていた。
マストトップの風見(商標ウインデックス)が雹の直撃を受けて破損、またデジタルの風速計風向計も作動しなくなった。
そこで#1legの高松迄の航行中はポートサイドのサイドステイに風見としてトイレットペーパーを適当な幅に手で割いてビニテープで貼り付けた。ポートを選んだ理由、、それなりにある。

このような緊急対応はどちらかと云うと愚生の得意分野、このルナ号でも何度かやった。

クルーの仕事、高松ヨットハーバーでマストトップに上がり状況確認をする。
デジタルの風速計風向計のアームストッパー螺子を外してソーラパネルをみると、2個のうち1個が雹の直撃で破損、内部の基盤本体にまでダメージが及んでいるようだ。

この日のマストトップはクルーのonly place。






2024年5月5日日曜日

端午の節句

風呂に菖蒲が浮いていた。
提督曰く、長い年月のなかで昨年のみスキップしたとか。
ちびギャンたちは端午の節句を楽しんでいるだろう。粽と柏餅、これも長いこと同じ和菓子店のをいただくのが慣わしとなっている。
予定より早めにクルージングを終わらせたので、今日はアッシー。
小樽ゴールの北前船を辿るミドルクルージングの最中にメールで、ちびギャンの菖蒲風呂写真を送って貰ったことを思い出す。本好きの彼は昨年あたりから大人の推理小説を読み始めているらしい。提督は同じ年頃にはクリスティーを読んでいたとか、、。

2024年5月4日土曜日

帰港#8

天候変化予報もあり帰港を決めた。
ETD930  33nm  静波  NE 3m ETA1525 max6.7kn  時代もの灯台をあとに牛窓出港。

今朝もお粥、高菜漬け、味付け海苔、ビーフジャーキーを入れて楽しむ。評判すこぶるいい。
ルナ艇長は係留場のキャンセル手続きをして、その後、地元の蒲鉾屋さんでいろいろと購入、冷蔵庫に保管、昨日買ったエビ味噌を忘れないように同梱する。
お昼ご飯はそれぞれ、愚生はカップそばをコンビニで買ったのを頂く、そこにも高菜を加える、このひと工夫で一味変化、申すまでもなく美味くなる。

海面はとても静かで視界もいいから食事の後は、バウに座り込んで、斎藤和義さんの「ずっと好きだった」とか大瀧詠一さんの「夢で逢えたら」など好きな曲を楽しむ、、。

8日間の非日常、無事に終えた。





2024年5月3日金曜日

牛窓#7

次のレグを白石島、児島2箇所のいずれかを予定していた、児島がダメなので、牛窓に変更、そのため、4時30分起床となる。
尾道水道の朝は天気も良くていい。0522ETD、57nm、1530ETA.
牛窓の上陸すると周辺には何もない、、地元の方々に聞き込みをすると、海賊という食事処があり、そこのエビめしが上手いとの評判でいってみる。早めの夕食を摂ったあと、天満屋グループ運営のリゾートホテルリマーニのロビーで休憩をする。ギリシャ料理レストランで夕食メニューを尋ねてみるとコースのみで22,000円であると。
で、明日はどうするか、ということになる。
ルナ艇長は、風呂はもとよりシャワーもないので、ルナ艇長曰く、明日帰港するかと。
よって一日早く戻ることにした。
キャビンで雑談していると、いきなり大きな音がする。
なんと花火が目の前であがっている、どうもホテル客ようの花火、そこよりも特等席で観ることができた。




2024年5月2日木曜日

尾道ジャランじゃらん#6

尾道のジャランを、ジャランジャラン。
おのみち歴史博物館を訪ねる。そこのボランティアガイドさんの説明から、尾道を深く知ることができたことと、前職をうかがい驚いた。多分、山彦Mさんはご存知なんではないだろうかと思った。
そのあと、ロープウエイに乗り込んで千光寺山頂へ向かう。
そこから尾道水道と瀬戸内海の景色を眺めながら、やはり高みからではないと地形の美しさはわからないなと感じた次第、コックピット、つまり海面3mほどの高さからみる景色には限界がある。
山頂の茶店でお土産にと思って買った型崩れのレモン1個100円を将棋台に忘れたのがなんとも残念、、。

尾道での食事は、到着日は尾道ラーメン、翌昼は尾道お好み焼き、夜はあなごのしゃぶしゃぶをいただくことに相成る。
あなごのお店は、おのみち海の駅に到着後、その場で偶然に隣合わせた小型船舶免許を教える若い先生に教えて貰ったところ。この人、海の駅の人と勘違いして、舫を取って貰ったりした、、。その時はお店の予約は取れなかった。
で、たまたま山から降りひとっ風呂浴び、艇に戻る途中に、準備中の看板があったので、のぞいて、先生の紹介と話と、なんとかやりくりしてくれた。
あなごのしゃぶしゃぶとその後の所謂〆の雑炊、、なんとも言いようがない。
それとポン酢が美味いので、売ってるところを尋ねると、店にあるのを分けてくれた。

カウンターテーブルには瀬田の型崩れレモンが山のように積んであったのを見て、将棋台のレモンを思い出す。







2024年5月1日水曜日

尾道#5

天空から涙、、それもとめどなく。
辛抱たまらず出港、yuge ETD1105  onomichi ETA1325  12nm.
往路ゴール到着のしるしとしてボウモアで乾杯する

15時前に尾道ラーメンで遅めの昼食を摂る。
そのあと、夜の食事段取りをする。たまたま泊地で小型船舶免許の教官と知り合い、その方に食事処の紹介を受けて予約をすると、なんと満席、、。
そこから慌ててアチラコチラと電話した結果、泊地近くの「かき左右衛門」というお店に予約できる。

そこで広島の日本酒を賀茂鶴、千福などをいただく。賀茂鶴はオバマ元大統領が飲まれたゴールドと云う銘柄をルナ艇長とでシェア、あとで気づいたのだが、なんと桜の花びらの金箔は盃に浮かんでいる。
店主に勧められて、市役所屋上から尾道水道の夜景を観る。美しい、、




2024年4月30日火曜日

弓削#4

弓削に停泊。
ここは静かでいい、白石島ETD812、弓削ETA1135。
写真は海の駅のオフィス、流石である。
またポールにはUW旗が掲揚されている。

今日は朝から浜キジ打ち、非日常丸出しである。
海の駅のシャワーは3分100円、うまく時間を使うには無駄を省くことで、、結局3分で済ませる。それでもシャンプーは2回キッチリと洗う。時間工程の立案、これはむかしとった杵柄。

今日は昼食も夕食も外食となる。
明日はゴールの尾道、、、ボウモアで乾杯の予定。




2024年4月29日月曜日

白石島#3

日数は3日目であるが、regは2。
ETA715高松YH、ETD1145白石島、天空曇天時々小雨 、連れ潮2knotを加え7knot以上で27mile航行する。
到着と同時に小雨模様となる、よって食堂には出向かずに艇で一杯頂くことになる。一応泊地に舫を取ったと食堂のご主人に電話するとおつまみなどを差し入れしてくださる。
それを頂きながら、適当にお酒をいただく。
キャビン夜話に耽る、、。








2024年4月28日日曜日

金刀比羅宮#2

 朝から琴電に乗って移動すること1時間、そこで2手にわかれる。参道階段をのぼり本殿に辿り着く。ここで愚艇のお祓いをお受けした頃を思い出す。この3日からは大勢の観光客が訪れるとのこと。
15時過ぎにハーバーに戻り、16時30分に此処で下船するOさんを見送る。
その後、吉野湯で熱々の風呂につかり旅の疲れを癒す、ここの風呂は港に近いがハーバーからは距離がある。今回、行きは琴電を利用、一駅移動し後は徒歩。

風呂の後は夕食で台湾料理屋に直行する。
10種類以上の料理に舌鼓、紹興酒は8年ものがなかったので5年のでたのしむ。
残念ながら料理の写真を写すのを忘れたが、まぁ美味いのなんのって、ルナ艇長、Sさんご満悦であった。
残ったボトルは持ち帰る。








2024年4月27日土曜日

GWクルージング#1

朝0615、Oさんをピックアップする。
0650TYCで愚艇から不足の荷物を積み込むと結構な量になる。
ルナのバウバースに取り敢えず荷物を放り込む。
ETA730HP、海上風無し、天空曇天、連れ潮西流、ETD1620高松。1900宴会、2200就寝。





2024年4月26日金曜日

クルージン準備

夕方からGWクルージングの準備をする。
スケジュール表の備考欄に持ち物リストを載せる。
明朝は同乗のOさんをピックアップする。
いろいろあって、遅くまで準備に費やす。

2024年4月25日木曜日

夜空に満月、、rev-1

クルージングの用品を収納するバックを干していた、それを取り込み忘れたと思い、窓を開けると夜空にぽっかり月が浮かんでいる。
満月かと思いきや、どうも24日が満月だったようで、、この期の満月はピンクムーンと云うとか、なんとも粋な名前、写真の光はピンクがかってみてとれる。
今夜は更待月、これから下弦の月となり、それを順繰りと、、。
月の位相、今を中心に過去400年に遡り、また未来400年先までが解るらしい。
知らんけど、、。

22時23分. 月の位相
少しピンク色ががかった、、、

2024年4月24日水曜日

深浦、松前

20代から30代女性の減少率から、存続に危機感をもたらずを得ない、、このような地域が報道されてて、その中には愚艇で訪問した町も記載されていた。
そうか、あの町がと思いながら、発表されている事柄を指標にして、コトを為せば、、。
容易ではないことは解る、けどチャレンジされることだろう。

青森の深浦と北海道の松前、両方ともに入港した時の町の印象は今でも記憶に残っているが、とてもいい町、人情溢れる町だった。
前者は居酒屋で居合わせた漁師の人たちのおもてなしで、わざわざ黒鮑を保管場所まで取りにいかれ、山ほどの刺身にして食べさせて下さった。
後者は外科のドクターにお世話になった、、その診察券は今でも持っている。
それぞれ北前船寄港地集落、北前文化を持つ町で。


2024年4月23日火曜日

終日、、

よくわからないが、終日、鉄道ダイヤは乱れていた。
でも、到着する電車に乗れるので気にはならないが、乗客は多い。
駅のコンコースは相変わらず、インバウンド客で溢れているけど、日常の風景になってきたので驚くことはない。
帰りの車中、今日は居眠りはない、、。

2024年4月22日月曜日

オンデマンド

オンデマンド、20年、いやもっと前から耳にした単語、CMでもよく使われていたような記憶がある。
新幹線Wi-Fiで、このオンデマンドを利用して映画を観ることがあるが、30分更新とかトンネルでは電波が途切れるので観辛い。そのなことから、英国王のスピーチを30分ほど残していたのを観終えた。
2回目でもあるが、何度見てもいい映画で、エンドロールの音楽を聞いていると、クラッシック音楽の良さを改めて感じる。
ベートーベンピアノコンチェルトNo5、モーツァルトも、、。

このオンデマンド機能をairplayでTV画面に映す、もう一つはTVにアプリをダウンロードする。
接続の都合で前者を使って観るが便利である。

2024年4月21日日曜日

結局、、

補助事業の申請書を見直していると、表現のおかしなところがあるので修正する。
結局、一日かかった。
キリがないと言えばそうだが基本文章力、、。
そのあと、TVドラマ坂の上の雲をみる。
一日、インドア。

2024年4月20日土曜日

三文の徳

世界統計からみると、日本人は睡眠時間が少ないとある。
ご多分に漏れず、、そんななか、時計の目覚まし機能も感じないほど爆睡した瞬間が昨日あった。そこに山彦Mさんからコメントが寄せられた、居眠りも三文の徳、と。
来週申請締め切りのNPO仕事に取り組む。
明日には完成させねば、、。
居眠り、確かに三文の徳。

2024年4月19日金曜日

居眠りで

 降りる駅、10分ほど前に居眠りからさめたので、もしもの為に、時計の目覚まし時間をセットした。で、その後、また居眠りをしたようで、気づいたら、ドアは締まり、車窓は見慣れた風景が徐々に後風景に、、。
30分ばかりのロスですんだが、昨日の深夜迄のことも加わり少々疲れた。
なにより、時計の目覚まし機能はどうなったか、知る由もない。
瞬間熟睡、こんな居眠りは初めて。

2024年4月18日木曜日

深夜まで

午前web会議、午後リアル会議、その流れで夜懇親会、二次会で2時間弱、三次会は深夜、
こんなこと年に1回。
ひと気の無い繁華街を歩くと一方通行の筋に出た、要は向かうところと反対側である。
面倒だからそのまま歩くことにするか、、。

2024年4月17日水曜日

懐かしいM艇長

今日はある申請手続きのためでビューローに詰めた。

昨日ルナ艇長から高知からの来訪艇の話があり、翌朝には出航するだろうと云ってたが、まだ舫をとっていたので訪ねてみると、なんとキャビンから出て来られたのはM艇長、函館の係留場で、彼の艇の後方に愚艇を舫った縁。

その後、一度ホームポートに来られ、愚生は運河の水先案内を彼の艇に乗り込んで行ったことがある。橋桁下にマストトップの無線アンテナ(1mm径)がビヨヨーンと触れた、そんな懐かしい話で盛り上がる。

今回は新しい艇のシェイクダウンでチョイと来てみた、一度戻って、3度目の北海道を回ると考えと聞く。まぁ身体とヨットが一体化したようなM艇長だから納得。
また昨夜は遅くまで出かけていたが、どうも雹が凄かったようだ、と申されるので、この辺は大丈夫だったでしょうと聞き流していた。

鳴門の潮流の関係で今から出航、勿論、シングルハンド。では次回、ルナ艇長とで一杯やりましょうということで別れた。

その後、夕方までビューローで申請仕事、14時頃ルナ艇長も参加。
その中、昨夜は雹で大変だったとの話を聞き、なんとなんと、、。
充電を切るために艇に行ってみると、デッキは雹の落下跡が点々とあるのに、びっくりポン。


2024年4月16日火曜日

嵐が来るぞと、、

行きは良い良い帰りは、、。
夕方の海峡と灘は風と波で船舶航行も大変のようだった。
夜はあちこちで雹が降り、いや天から落ちてきての表現が正しいのか、加えて竜巻も発生したようだ。夕方の海峡がそれを見せていたのか、嵐が来るぞと、、。

2024年4月15日月曜日

リプレイ検証

野球で ジャッジに異議申し立てのシーンがある、いわゆるチャレンジ制度(挑戦ではない)。MLBで制度が確立され数年遅れでNPBでも導入されたが、今はリクエスト制度となっている。
日本の遅れは各球場単位でビデオ映像を解析、補助審判がそれにあたる仕組みとしたが、その際、数箇所の球場が設備の関係で出来なかったらしい。
米国は初めから30球場を一括集中管理するセンターをニューヨークに設立、8人の分析担当審判が各球場の審判とやり取りをする仕組みとした。

日本時間の今朝、DodgersとPadres戦で偶然にそのニューヨークのスタジオ(センター)内部が放映された。一瞬だったけど、これ衝撃的だった。
日米の仕組みの違い、、これは色々な場面で見受けられる、ビジネスでも然り。

愚生はある事業でコールセンターの在り方について、この数ヶ月、更に地域分散しても良いのではないかと担当役員に話していた。
どうも気になるので、現場のコールセンターに出向いて、現物を見て話を聞いてそれが間違いであると、、。
その矢先、偶然にもMLBのリプレイ検証の仕組みをTVで観てニンマリした。45年前になるか米国のP社テクニカルセンターで経験したことを思い出した。

2024年4月14日日曜日

秘境黒部100年物語

BS放送の録画を観終えた、何回かに分けて、、。
黒部が秘境と云われる、その映像は黒四建設の記録を含め凄いものだった。
サブタイトルは、未来へ紡ぐ守り人たち、とあるよう、自然と人をテーマにしたものであり、見応えがあった。
黒部とは異なるが、半世紀前、飛騨側から槍ヶ岳山荘までを歩いた、いや登ったことがある。
誰とも出会うことのなく迷いながらも単独行を楽しんだことを想い出す。
自然は美しい、然し過酷、、。

2024年4月13日土曜日

レンガ路の桜

レターパックをポストに投函して、帰り路を少しだけ散歩する。
レンガ路の散る桜、その向こうには咲く桜、、。

お茶でもお酒でも楽しめるテーブル付きベンチでは高齢の女性、その向こうのベンチには男性の方が休息していらっしゃる、多分ご近所さん、ここにお住まいの方であろう。夕方だけど日があるので気温は高くて心地いい。

この路は住宅の中央に位置してて、表となる南側の玄関口から桜路をそぞろ歩くと北側裏玄関に繋がる。30分ほどの散歩では、東西にある桜路と、この中央の桜路を何度か往復する。マレー語でいう、じゃらんじゃらん。jalanは道、それを二つ繋げると散歩になる、面白い。

お気に入りのヘッドホーンから、Whitney HoustonのMiracleが聴こえている。