2015年8月31日月曜日

ポートオーガスタへ

アデレードで日本人の女性と会った、確か二人連れの旅行者だったと思う。
その後、ホテルへ戻り、夕食ということになるが、レストランへ行く気もなく、部屋で摂った。ウインナーシュネッチェルとビールで夕食を済ませた。

風呂に入り、ベッドに横たわると、何時の間にか寝てしまった。どの位、寝たのわからないまま、ふと目が醒めると、時計が9時を指している。カーテンの隙間から光が射している。こりゃえらいとや、寝過ごしたと、ベッドから飛び起きた。

バタバタしてると、点けっぱなしてるテレビからイブニングニュースという音が聞こえ、ああ、夜の9時かと。南半球の夏は太陽がなかなか沈まないことをここで初めて体現した。

そこから、ウエイクアップコールを頼み、時計の目覚ましも起きる時間にあわせ、万全を期して再び眠りについた。

翌朝の食事の記憶が無いが、タクシーで空港カウンターへ行くと、昨日のおじさんがいた。簡単な搭乗手続きを済ませて、時間待ちをした。

出発時刻になり、飛行機に案内されると、パイパーという双発のプロペラ軽飛行機だ。何人乗りだったか、忘れたが、操縦席との仕切りはない。パイロットは一人だったと記憶する。途中、1箇所を経由してポートオーガスタへ向かう。

こちらも飛行機が好きだから、この雰囲気はいいのだが、窓から外を見ると、翼の上をオイルらしいものが、風に流され、スーッとした線を描いているではないか。大丈夫かなと思いながら、2時間弱の飛行を終えて空港に無事着陸した。

まさに赤茶けた飛行場にプレハブのような空港建物がぽつんとひとつ、その横に吹き流しが微風に揺らいでいた。周りは勿論、砂漠。

日本を出て、2泊3日、やっとポートオーガスタに着いた。
空港プレハブには、日焼けしたMさんが迎えに来てくれてた。パイプの似合うひとだった。

飛行中、パイロットに左翼のオイル漏れを教えたが、左エンジン修理したかな。

2015年8月29日土曜日

アデレードで、

まあ、飛行機に乗れば、なんとか、かんとか行き着くところまでは行けるのだが、その乗る飛行機がないのだから。

どうしようにも、こうしようにもないので、最終目的地である、サイトオフィスへ連絡せねばならない。今のように携帯電話がある訳ではない、なにせ36年も前のことだから。

電話をしようにも、小銭もない。その様子をローカル航空会社のカウンターのおじさんが見ていて、数枚のコインをくれた。で、電話をすると、外国特有のコール音がなりはじめ、数回すると女性の声で、helloと。その一声に、コリャ、ダイヤルを間違ったと、おもわず受話器を戻してしまったのだ。コイン、それはもう無い。ああここは日本じゃないんだと。

その一部始終をカウンターのおじさんがみてて、愚生のそばにわざわざきてくれた。そしてまたもやコインくれるではないか、それもニッコリ笑顔で。お礼を言って再コールすると男性の声で愚生の名前を言ってくれた。シンガポールを出て初めての日本語でもある。

かくかくしかじか・・・説明すると、そのサイトマネージャー曰く、じゃあホテルに予約を入れて、今夜はアデレードへ泊まれ。と、いとも簡単に申される。じゃあ、こちらもいとも簡単にと、その電話を切って、再び電話。コイン、2回目は多め下さり、その残りでプッシュ。

ここまでくると、電話なんてなんのその。ってことはないが、はじめよりはマシである。
なんとか予約をして、カウンターのおじさんに改めお礼を云う。また明日来るからとも。

そこから、はじめてのタクシーに乗る。
ホテルへチェックインして、旅の疲れをシャワーで洗い流す。元気も戻り、夕食まで時間もあるので、ダウンタウンに出てみる。

街の中心を河が流れ、緑が多く美しい道を歩いていると、女性二人に声をかけられる。日本の方ですか?と。

36年前の記憶、まだまだありそうなので、また続きを記します。

2015年8月28日金曜日

シドニーからの続き

シドニー空港でカンタスの国内線へ乗り継ぎ、アデレードに向かった。ここから、最終目的地に向かう飛行機にスイッチする予定だ。このカンタス機には日本人は多分乗っていなかっただろう。機は何時間かでアデレード空港に着陸した。

で、そこから、最終目的地行きの航空会社をさがす。ローカル航空会社をなんとか、見つけて、拙い英語で予約すると、今日の最終便は飛んで行ったと、おじさん二人が気の毒そうに教えてくれる。

スケジュール表と現地の実際の時間表を見比べると、午前と午後の違いがある、要は日本の旅行会社のミスである。この会社、某物流会社の子会社。数十年後、その旅行会社の人と関わることにもなる。

アデレードは南オーストラリア州の州都だったかな、ここでふりだしに戻った。続きは後日。

2015年8月27日木曜日

初めての海外仕事

昔話になるが、初めて海外で仕事をしたのが、豪州だった。
ビザはあったが、出発日が急に決まったので現地までのチケットが取れてない。また連休前で支店経理の金庫も最低限のお金しかない。無いない尽くしで、出国した。

日本を出てシンガポールに先ず向かう。キャリアはナショナルフラッグだから、一杯日本人が乗っている。隣の席に同世代の人が乗っていたので挨拶を交わすと、彼は南アフリカまで仕事で行くといっていた。

その日のうちに開港したてのチャンギ空港に到着したが、まあそのデカさに驚いた記憶がある。
搭乗する航空会社のカウンターを探す。なんとか当時の英国航空にたどり着き、席の確認を終える。

乗り込むと2階席の前方からドアの開いた操縦室が丸見えだった。ドアが開いているなんて、今では考えられない、まあ良き時代である。
朝方にシドニーに着く便だった。赤茶けた大陸が朝日に輝くと、パイロットは機を左右に揺らして、乗客にモーニングサインをする。どのくらい揺らしたかは覚えていないが、まあ粋なことをやるもんだとおもった。

シドニー空港に着くと、機内に動植物の検疫官がスプレーを持って現れ、乗客に消毒液を散布する。検疫官の制服、上下白の半袖半ズボン、これががなんとも恰好いい。しかし、こんなシュッシュッとやったくらいで効くのか、疑問であった。

無事に入国を済ませ、そこからカンタスの国内線に乗り継ぐのだが、持っているのは時間も何も決まっていないオープンチケットだ。入国手続きを終え、アデレード行きを見つけ何とかブッキングを済ます。

さて、このあと目的地に着く迄の小さな冒険話はまた後日としよう。

今月中旬に、お世話になっている知人が、このオーストラリアへ赴任された。それで昔を思い出しながら書いている。


2015年8月26日水曜日

風邪をひいた翌朝

夏風邪をひいてしまったようだ。
昨日の午後から身体の節々がどうも普通ではないので、風邪かなとおもい、体温を測るとやはり微熱がある。
振り返ると先週末から無理をしていたので、その影響もあるのだろうか。まあ、ヨルトシナミニには勝てないというところ。食べるものを食べて、薬を飲んで床につく。今朝はその熱もない。

いつも乗る電車はこの日に限って車両の連結数が少ない。ゆえに車中は混雑している。まあ座れないな、と思っていたら、数人の子ども連れの親子のなか、小学校の高学年であろうか、男の子が母親の指図もあって、愚生に席を譲ってくれる。

嬉しくもあり、なんとなく、譲られる歳かと再認識させられた。まあ白髪混じり頭に鼻眼鏡、どこからみても・・・。
親子の言葉は日本語と中国語が入り混じっている。そうこうしてると、またもや他の男性にも席を譲っていた。

数年前、姉達と旅行中、香港の地下鉄で姉の銀髪をみてか、女学生がスッと席を立ち、席を譲ったことを思い出した。姉は戸惑いながらも、ありがとうを日本語と英語で言いい、その席に座った。愚息が小学生の頃、恥ずかしそうに顔を赤らめバスで席を譲る姿も思い出した。
洋の東西を問わず、エチケットを子どもの頃から躾けることは大切なことと改めて思う。

風邪をひいた朝、優しいいい気持ちになれた。
さて、無理は禁物といいつつも、今日も懇親会がある、まあ対応せねばなるまいな。



2015年8月25日火曜日

レベル2

湾をみると、白うさぎがぴょんぴょん跳ねている今朝の車窓風景。
先週末、何度目かの台風対策を施した。
ゼノアは降ろして、オーニングカバーを外して、アンカーロープを強めに引いて、ステアリングカバーの固縛ロープを1本増やして、ウインチカバーを外す、そして隣艇と繋ぐロープを準備する。そうそう、板フェンダーを両舷に付ける。

アルバトロス艇長は多分、列島西側から北へ進路をとるのでは、との予測。愚生もそうおもうも、いざ馳せ参じるわけにいかないので、念のため対策をした。何かあればルナ艇長頼み。

今回はレベル2。大方、いつもレベル2。何を隠そうこの数値、愚生の疲れ度、インジケーター。

2015年8月24日月曜日

バタバタと・・・

土曜はNPOの急遽会議の案内がありそれへ出た。会議後、Oさんにお話したが、その前の3日間が仕事でバタバタ、睡眠不足が続いてた。翌日曜は近所でいろいろあり、これも大変だった。今週は何とか普通の状態にしたい。

今週末は友人夫婦が訪ねてくるので、久し振りにソネにでも行こうと予約を入れた。ここも、昔はよく行ったが、今は殆ど行くことがない。
この前はダブルSさんとでいき、一方のSさんのバーボンをご馳走になった。あれ以来かな。

週末、友人夫妻と会えるのは嬉しい限りだ。先日、愚息を通じて連絡があって、旅行をするので会おうと。

彼は若いが色々な経験の持主である。身体もデカいが懐も深い、また知能はとてつもなく深い。然し、それをおくびにも出さない。
愚生のレベルに併せて付き合ってくれる若い友人だ。会って話をするのが楽しみである。
このバタバタは心地よい。



2015年8月21日金曜日

日にちがかわる

処暑の頃。
日にちが変わる前に、帳面を消しておかねばならない。このblog宿命ってなんだろう。まあいいや、そんなことは。

今日も昨日も懇親会。だけどこれが結構濃い、結構有意義なそれ。今日のそれなど、一期一会の場面だった。この解釈は様々だけど、要は一期一会。

話は少しだけそれるけど、義姉は書道を嗜む、勿論、兄も。それは親族の贔屓から離れても素晴らしい芸術的なそれ。
その姉にあるときに、愚生のフランス人の奥方とドイツ人の旦那、この友人夫妻に書をしたためて貰った。それが一期一会だった。

この夫婦は今ニューヨークにいるけど、姉の書はパリの郊外の自宅にあるか、ニューヨークの仮住まいの壁面にあるのか。そんなことをもblog帳面消しの題材にせねば。

しかし、今日は楽しい懇親会だった。昨日の今日だから、少しだけ疲れたけど。
ソロソロ、日にちが変わるが、でも良かった、帳面消しできたから。

2015年8月20日木曜日

季節がかわる

夏から秋にに季節がかわる、今朝の雨はその現われのひとつのようだ。
しとしと、ザーザーとまあ、よく降るも降る。とくに出がけの雨はかなわんが、自然現象だからしょうがない。秋雨前線が降らす雨、嫌だが、これも秋が近寄る現象のひとつだから・・・。

昨夜は、日本のミッションである、宇宙ステーション行き、宇宙専用物流コンテナの「こうのとり」の打上げが成功した。いつもながら感動するシーン、打上げを見つめるの子ども達の姿や素直なコメントにも感動する。

その宇宙から俯瞰的にみる天候変化、近年は当たり前のように目に入ってくる。
然し、季節の移ろい、これは大気の圏内で感じるしかない。今からの季節ではススキが野山を覆うとか。
そう言えば、この雨はススキの名が付く。昔の人は天候変化も自然の物と調和させ、名をうつ、何とも風流な。日本の季節はいい。


2015年8月19日水曜日

参加艇の申し込み

昨日、理事長から、万灯祭イルミネーションと万灯祭播磨灘ヨットレースの参加艇の申し込み状況の報告が関係者に配信された。

毎年そうだが、出足は遅い。昨年はレース直前での申し込みが多かった。今年はイルミネーションとレースの日にちが1週間違う新たな展開なので、どのような結果になるかだ。

多くの艇に来高いただくに越したことはないが、また参加艇に合わせたやり方、工夫もある。今年は今年で面白いイベントになるだろう。いや面白くする何かを皆で企画するのも面白い。お祭りは面白ずくめ、さて何が出るかな。

2015年8月18日火曜日

沖アンカ

港の沖に目をやると、錨泊中の本船などが多く見える。旧あこがれだろうか、複数マストの帆船も錨泊している。所謂、沖アンカだ。

本船が荷役の時間待ちから、港内所定地に錨泊して、沖待ちをするケースはよくあることだが、この風景は少し違うように思える。そういえば、ふた昔前は、アンカブイなどに錨泊の本船から、艀が瀬取りをしていた。

以前にも書いたが、ちょっと大きなサイズのヨットが、とあるハーバーに3日舫を取ったら6万円の請求を受けたと、又聞きした。
海外からの遠来ヨットもハーバー利用料が高いので、アンカリングする人もいると聞いたこともある。
バースが空いてるだったら、遠来の客人は、安く留めさせてあげればと思うが、ここでも、・・・仕事が見え隠れ。

日本の空港、港湾使用に関わる料金の高さは世界でも有名だったが、今でもそうかな。
香港やシンガポールに世界の船が集中する。ハブ機能が出来るのは地勢的な背景もあるだろうが、それだけではないのではと。昔々の若い頃、香港の銅鑼灣を車で走りながら、ああ、縦割り行政ではあり得ない、損して得取る仕組みなんだ、と勝手に思ったことを、思い出した。

人が集まり、物が集まることから、全てが始めるのでは。それを面倒と思うような人が、若しそのゲートウエイに立ち塞がったなら・・・。まあ、沖アンカとは関係ないことか。


2015年8月17日月曜日

ジンクリング

今朝は曇りなので、日差しのないぶん、過ごし易い。
また昨夜は、大雨が降ったようだが、そんなに気温は下がったとは思えない。

湾は潮が高く、釣りをするコンクリート構造物が洗われている。それでも釣り人が居る、波で足をすくわれるのではと思う。今日は一日中このような天気だと予報は言っている。

この週末は艇には出向かなかった。
先々週、Sちゃんが潜ってジンクリングに付着した貝類を取りのぞいてくれたので、機走は軽やか、ガールスカウトの体験訓練時、全く違うなーと感じた。潜ってくれたSちゃん曰く、いろいろな貝類が大きな団子のようになっていたと。速度も出ないはずだ。

ジンクリングに貝類が付着すると、電食防止の効果も薄まるのではとおもう。いつものことながら、助かる。


2015年8月15日土曜日

NPOホームページ

NPOのホームページを修復更新した。修復というより、編集が正しいかな。

NPOを立ち上げた当初は資金も無く、無料のホームページソフトを探して作成した。マイクロソフト社のそれであった。NPOのロゴマークを作ったりしたあの頃が懐かしい。

そうこうしてると、その無料利用が廃止になると連絡。有料化されたのが、今のOfiice365である。
その変更時は、既存のホームページは一切移行出来ないとのことで、また、1から作り変えなければならず、結構手間の掛かる作業をやった。

で、そこから数年経った今、また、バージョンが変ったようで、アクセスポイントすら解らなくなっていた。
よって、ここ数ヶ月更新が出来ず仕舞いだった。然し、そうもしておれず、サービスセンターへ連絡を取り指南を受け更新した。

その際の情報では、あと2年でソフト提供はまたもや変更になるとのこと。今のホームページが、そのまま移行できるかどうかは、解らないとのことだ。

世界のマイクロソフト社のこと、そこはなんとかするであろう。そう期待したい。



2015年8月14日金曜日

世間は夏休み

世間は大方夏休みだ。その中、愚生は、定期を存分に使っている。生産性に例えるなら、実車率がことのほか高い。
会社に行っても別段、これを直ぐにやらねばといった仕事はない。しかし、静かなオフィスは、レポートなどを書くにはいい環境だ。

テーマを決めて、適当にキーボードをたたくと、それはそれで、成果物となる。
昨日、手を付けたレポートを午前中に纏め、午後はまた異なるタイトルのものを整理しておくか。

然し、他人さまからすると、どれもこれも、たいして役に立つものではあるまいな。ということは、実車率は高く、生産性は低い、か。まあ、いいや。

2015年8月13日木曜日

ヨット1艇

今日は涼しい、と言っても夏の一時的なそれ。夜中に雨が降り、曇り空のままだから、気温が下がったままなんだろう。

湾にヨットが見える。メインセイルを上げて海峡に向けて機帆走している。どこに向かうのかは知る由もないが、この涼しさを海面で満喫しているのだろう。

こちらは、定期を効率良く利用中だ、車中、いつもより人は少ない。今朝はヨット1艇をみただけでもよしとするか。

2015年8月12日水曜日

真夏の昼下り

キャビンの中は、風が吹き抜けると意外と涼しいが、真夏の昼下りはいけません。
何かをやろうとおもっても、暑さで直ぐに手が止まってしまう。

以前にも投稿したが、古くなった窓用クーラーを外して廃棄しようと言い出したので、では、と言うことで、艇に持ち込んだ。その外した部屋には未だ空調機はついてない。

で、そのクーラー、コックピットに置いてみた。勿論、キャビンに向けて。そうすると面積的に65%位の隙間が出来る。
そこでボロボロのデッキオーニングで、その隙間が埋まるように仮に覆ってみると、外気を遮断するとことが出来、なかなかよろしい。

まあ、出入りには、大きな暖簾をくぐる如く、少々手間だが、それも興のひとつ。隙間を埋めるには、こうすればいいとか、ああすればと、話のネタにもなる。つけた頃、ルナ艇長とSさん、これをみて、ホーッなかなかいいじゃないか、と。
また、先日もOさんが来られ、コリャいいと云いながら、コーヒーを飲んでいた。

このオーニング、永年紫外線に晒されて、触ると裂けるので注意の要る代物だが、意外とここでは重宝品。あっちこっちと破れてるので、風になびくと、ヒラヒラ舞う。それを見て、難破船の如くとのルナ艇長。補修されながらもデッキオーニングの役割を果たしている現役だ。

かくして、キャビンは、2001年製つまり21世紀初頭の窓用クーラー、それにオーニングのおかげで、真夏の昼下りでも凌げる空間となる。
ただ、何とも重い代物、コンパニオンウエイを持ち運び昇り降りする時は、最大の注意を払う。この時は、冷や汗を含め、ひと汗かく。

運河は夕方から蚊に見舞われる、よってこの時期の艇泊には欠かせない機具だ。
ヘップバーンとクーパーの昼下りの情事、夏の昼下りのキャビンで観るのもいいかな。

コンパニオンウエイに窓用クーラーを置いてみた。

2015年8月11日火曜日

万灯祭播磨灘ヨットレース2015

今秋のたかさご万灯祭は、秋の中型連休のはじめの土日に行われる。また、恒例となった、万灯祭播磨灘ヨットは、その前の週の日曜日に開催することが決まった。

これで、須磨沖で行われるシアトルカップレースと重複することがなくなった。レース艇の参加が増えるかもしれない。既に、先週、ガールスカウトの訓練セーリングの時に、レースの下見に来られたセーラーがいらした。

ただレースとイルミネーションイベントを支える側としては、2週連続対応となるので、計画等をうまく立てなければならない。

そのひとつに表彰式がある。表彰はレース終了後、順位が決まれば直ぐに行うのが普通だが、この度はレースの翌週、つまり万灯祭のイルミネーション点灯式後に市長並びに商工会議所会頭、観光協会長より入賞艇の代表に手渡す方法をとる。

入賞艇は、万灯祭散策の市民の皆さんや、イルミネーション参加艇から拍手喝采となるであろう。

これが決まる迄はいろいろな意見交換がなされた。新しい試みは、なんでも大変だ。然しこのイルミネーションイベントもヨットレースも定着してきた。無理せず、出来ることを身の丈でやることが、結果、継続される。遊びの中で生まれた仕事だから苦痛なんて決して有ってはならない。参加する人も準備する人も同等に愉しむことかな。

昨夕、Sさんから連絡で、今年のレース公示と申込書・誓約書をJSAF外洋内海の公式ホームページに掲載されるとのこと。また例年通り姫路ヨット協会のホームページにもだ。さあ、お祭りがはじまる。それはそうとNPOのホームページ、公示ではなく工事中。


2015年8月10日月曜日

今日も猛暑

今日も猛暑、天気のことしか書かないブログとなってしまいそうだ。

昨日は3年越しの行事をやった。というのも、毎年、雨で中止を余儀なくされたためだ。その3年越しのガールスカウト訓練セーリング、小学生を中心に行った。
暑い中での訓練だったので、どうだったかと心配していたが、次はもっと多くの年齢層を加えたいと、印象メールで伝えてこられた。

子ども達には、手紙ハガキ文化を少しでも理解して貰えるようにと、かもめ〜るを2枚づつ配り、1枚は理事長への体験セーリングの感想文を、2枚目は好きな人へ残暑見舞をといって渡した。友達の輪が、ハガキ一枚で広がればとも思う。

昨年、訓練セーリングは荒天中止したが、座学とロープワークを行い、その時もこのかもめ〜るを渡して、感想文を書いて貰った。絵はがきとなって、理事長宛に届いた。NPOの名前の通り、海文化、それへの対応、それに手紙文化振興の一助となればと思う。

昨日この行事が終了して、何人かの人たちは近くの島へクルージングに出かけた。今日は水面をはえの風が吹くといいが、風のおきる気圧の具合は如何か。

2015年8月8日土曜日

的形のセーラー

的形のセーラー、NさんからTV取材を受けたとのメールが届いた。
この番組はウィークデーに放送される、よ〜いドンという番組。いろいろな地域に月亭八光さんが出向いて、となりの人間国宝さんを探す。

今週は、「 よ〜いドン 国宝さん 400年続く塩田名家の蔵からお宝」と云うタイトルでNさんが紹介されたわけだ。金曜日に録画再生して、楽しませて貰った。

スタジオにはメインキャスターの円広志さんがいて、今回のロケ担当の八光とかけ合う。今回は、Nさんとご子息のことを結構長い時間取り上げていた。

それはNさんの家が江戸時代から塩田事業を数十年前迄、延々400年続けてきたこと。蔵の中には当時からの歴史あるものが沢山あったこと。Nさんのお父さんの代からはじめた車海老の養殖業を、この番組の中でご子息が引き継ぐと宣言されたことなど、話題がとても豊富だったからだ。

そして、何よりお宝なんてあまり興味がないといった、Nさんの人柄が一番だったのかも知れない。
そのNさん、先日のタモリカップレースに出場のSさんとは同級生、お二人は阿吽の呼吸である。

愚生の素晴らしき仲間たちは、ここにも・・・。







2015年8月7日金曜日

空の高さ

空の高さは測りようがない、物理的な定義は別として。
今朝、何気なく空を仰ぎみると、所謂、うろこ雲やすじ雲が、かなり高いところに浮かんでいる。また、その下の方にもモクモクとした雲がある。

上層雲と下層雲の交わる季節になってきた。上の方は既に秋の気配、下の夏雲が見おろされている、うろこやすじは、そろそろ俺の出番だと言わんばかりに。

となると、飛行機は雲から観ると秋の空辺りを巡航しているのかな。
立秋の頃というのに、地上はまだまだ暑い真夏の様相。車中の前に座っている女性がバッグから水筒を取り出し水分補給している。愚生も同様、バッグの中の水筒が欠かせない。

空は高いなーといえる季節が待ち遠しい。

2015年8月6日木曜日

曇り空

久しぶりの曇り空が、なんとなく嬉しい。一部のエリアでは記録的短時間大雨とかニュース速報が伝えていたが、そこに住む人は大変だ。台風は日本の南の島を過ぎ大陸に抜けるとニュースで言っていた。

天気が気になるのは、この日曜日はガールスカウトの訓練体験セーリング行事があるからで、それも昨年は台風の余波かなにかに見舞われて中止を余儀無くされたからだ。
みなさん、古民家で待機されていたので、折角だからと出前座学をやったらロープワークが好評だった。流石ガールスカウトと記憶する。

昨夜、その団体の代表の方と手続き等のやり取りをするも、確認できてない事項が2つあり、迷惑をかけてしました。理事長にお手伝い頂き、後処理中である。

先週の障害者体験セーリングも昨年は雨で中止となった。先週土曜は好天すぎて、それこそ茹だるような暑さだった。この日曜はできれば、今日くらいの曇り空になればと念ずるところだ。

2015年8月5日水曜日

キャビン書棚の一冊

ヘミングウェイが日本の女性と結婚していたと書き出したが、それは大きな間違いだった。同じ米国人の作家だが、それこそ時代が異なる。まあ大間違いに気づきよかった。

ヘミングウェイの好んだお酒は数あるようだが、モヒートもそのひとつとか。丁度、今の季節に合うカクテル。日蔭を作って海風にあたりながら飲むもよし、夕暮れ時、ひと息ついて飲むのもいい、それも街のバーで。

キャビンの書棚に何冊かの海洋本を並べているが、その一冊に老人と海がある。古い文庫本なので、印刷文字フォントも小さく、もう茶色く色褪せているが、好きで時々パラパラとページをめくる。
読むと風景が過る、そのような文章。最も薄くて小さな一冊だが、書棚での存在感は大きい。そういえばノーベル文学賞作品だったな。

2015年8月4日火曜日

つづく猛暑日

昨年、このエリアでは猛暑日が無かったと、そう新聞は伝えている。気温は気象状況で微妙に変わるのだろうが、今年は連続的に猛暑が続いている。

あと数日で立秋だが、その気配はとても感じられない。然し、二十四節気の13番目、等分すると後半期だ。ジリジリと照りつける太陽はそれとして、晴天空では雲も段々と高さを増してくる。勿論、雲形も変わる。ひと息つける季をジッと待つしかない。

さて、次の日曜はまたNPO行事、ガールスカウトとの協働行事だ。暑いから、参加者には気の毒のようにも思うが、先週の障害児の体験セーリングでは、暑さなんてへっちゃらって感じの子ども達の笑顔を見せられると、暑さもふき飛び嬉しくなってしまう。さあ、もうひと頑張りせねば。

2015年8月3日月曜日

週明けの朝

車窓から朝の海水浴場が見える。日中、特に昨日のように、休日で暑い日は大いに賑わったことだろう。週末明けの今日はどうか、いや、今は夏休みだから、毎日賑わうか。

昔、この沖でディンギーに乗った。もう少し西側の浜辺では、毎週のように乗っていた。潮流に流されて、鉄道の駅を3つも過ぎたこともあった。潮待ちして夕方に戻る。そんなことを楽しんだ頃が懐かしい。

ビーチボーイのMさんは、それよりも前から、この海水浴場の浜辺で遊んでいたようだ。勿論、クルーザーやディンギーで。
以前、Sさんに誘われてご自宅にうかがった時に、お住まいの横の本宅庭にディンギーがあった。

そのSさん、週末はNさん達とでタモリカップに参戦された様子。前夜祭の最中、NHKのブラタモリを観ながら、メールすると、今丁度、タモリさんと話をしていたところだとの返信。その前夜祭には1500人も参加しているとも。今年は4箇所でタモリカップが行われることは前稿の通り。

週明けの朝、いつもの車中は閑散としている。世の中そろそろ夏休み。愚生はといえば、定期券フル利用ってところ。ヨットも家も暑いというと、少々やせ我慢に聴こえるか。しかしいまどきのオフィス、節電で涼しくはない。

2015年8月2日日曜日

バッグの修理

以前にも投稿したが、またもやバックの修理が必要になった。
わずかなことなので、愚生でやってみることにしたが、準備に手間取る。これが結構大変だった。

先ず、ボビンというのか、下糸用のリールに糸を巻き取る仕事。そのあと針に糸を通すのだが、糸通しの治具があるのを今日はじめて知った。しかし、この使い方がなかなか解らない。

悪戦苦闘しながら、なんとか準備完了。
それらに多くの時間を費やしたあと、縫い目の形をダイヤルで決める。いよいよ縫い始める。

これはいたって簡単だが、そこに落とし穴があった。バックの中はいろいろポケットがあるのだが、それを縫いこんでしました。その糸を解いて、再アタック。なんとか、かんとか縫い終えた。

そのあと用事で外に出たが、今日もまた日中の暑いことが、なんとも参った。そう、糸通しの治具、これにも参った。参った、参ったの日曜午後だった。

縫うところは結構狭く作業しづらい。





2015年8月1日土曜日

朝から暑いのなんのって

今日は朝から行事だった。時間を間違って、早く行って準備をするも、朝から暑いのなんのって、尋常じゃない。今週のハードワークの疲れもあってか、フッと言ったくらいだ。
先週、今週、来週と行事は毎週。来週もまた暑いんだろうな。

Oさんが、眠らぬ街は何処と聞いてこられた。blogを毎晩読んで下さってる。とおもうと、今日の帳面を消しておかけねばならない。