昔話になるが、初めて海外で仕事をしたのが、豪州だった。
ビザはあったが、出発日が急に決まったので現地までのチケットが取れてない。また連休前で支店経理の金庫も最低限のお金しかない。無いない尽くしで、出国した。
日本を出てシンガポールに先ず向かう。キャリアはナショナルフラッグだから、一杯日本人が乗っている。隣の席に同世代の人が乗っていたので挨拶を交わすと、彼は南アフリカまで仕事で行くといっていた。
その日のうちに開港したてのチャンギ空港に到着したが、まあそのデカさに驚いた記憶がある。
搭乗する航空会社のカウンターを探す。なんとか当時の英国航空にたどり着き、席の確認を終える。
乗り込むと2階席の前方からドアの開いた操縦室が丸見えだった。ドアが開いているなんて、今では考えられない、まあ良き時代である。
朝方にシドニーに着く便だった。赤茶けた大陸が朝日に輝くと、パイロットは機を左右に揺らして、乗客にモーニングサインをする。どのくらい揺らしたかは覚えていないが、まあ粋なことをやるもんだとおもった。
シドニー空港に着くと、機内に動植物の検疫官がスプレーを持って現れ、乗客に消毒液を散布する。検疫官の制服、上下白の半袖半ズボン、これががなんとも恰好いい。しかし、こんなシュッシュッとやったくらいで効くのか、疑問であった。
無事に入国を済ませ、そこからカンタスの国内線に乗り継ぐのだが、持っているのは時間も何も決まっていないオープンチケットだ。入国手続きを終え、アデレード行きを見つけ何とかブッキングを済ます。
さて、このあと目的地に着く迄の小さな冒険話はまた後日としよう。
今月中旬に、お世話になっている知人が、このオーストラリアへ赴任された。それで昔を思い出しながら書いている。
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