2016年5月31日火曜日

leg37瀬棚〜江差(再)

山背が吹いているが、今日は瀬棚を6時に出港した。
先の岬を回れば、楽だとの漁師さんからのアドバイスで、その岬を目指した。山背は15mは吹いていた。ジブを100%くらい展開して、メインを揚げずに1時間半ほど耐えた。
然し、岬の先も、南東の風がやはり15m前後吹いている。

ジブのまま機帆走するも、どうもいけませんで、 よってメイン2ポイントにセットする。
その間、奥尻島の北側の半島近くまで行ってしまった。ジブのみの使用もいいが、やはりフリーでないといけません。

風は南東に変わるがのぼり一辺倒、10m以上は吹いていた。雨は降る、雷も遠くで鳴る。
波も有り、乗り心地は良くはないが、辛抱するしかない。

16時30分に江差へ入港すると、黄色のライフジャケットの人が近づいてくるので、よく見たら、江差海上保安署の保安官だった。前回顔見知りになっていたので、直ぐにわかり、おかえり、と言われ、直ぐに舫いをとってくださり、機関やその他設備に問題ないですかと話かけてくれる。この方は巡視艇の機関長と後で判る。
そうこうしてると、若い保安官も来られたので、ルナが入港するまでお二人と海域のことなど教えて貰ったりの雑談をする。なにか、ホームに戻って来た感じがした。

丘の上にある銭湯に行き、熱めの湯船に浸かり、疲れをを癒やす。
かえりに居酒屋江差会館でサッポロクラッシックの生ビールで乾杯する。いろいろ食べたあと、〆にオムライスを注文、これのデカイこと。お腹一杯になった。

明日は天候不順のようだから、またもや沈殿か。
いずれにしても、今日はルナで焼酎かワインを飲むことなるだろう。と、思いきや明日に延期となった。



2016年5月30日月曜日

せたなの山背

風が吹き荒れている、瞬間風速30mは超えているのでは・・・。江差まで40海哩、よって出港時間のリミットは10時頃。
昨日、漁師さんが云ってた、せたなの山背が吹いた。
行手を阻まれるこんな日は沈殿、Zzzzzz………。あとは温泉にでもつかり、疲れを癒すが一番か。


2016年5月29日日曜日

瀬棚の追記文

漁師さんから教えて貰った方向に温泉を探して歩いたが、見つからない。
そうしてたらプリウスが停車して女性が降りてこられたので、場所をうかがうと、私が送ってあげましょうと言ってくださる。
早々に車内を片付けて、さあ、どうぞと乗せてくれ、食事の場所まで、わざわざ回って、オーダーストップの時間を確認する方がいいと・・・。

彼女曰く、瀬棚の人たちは殆ど皆さん知っているので、何処から来た人なんだろうと思ったそうだ。カクカクシカジカとお話するとびっくりされていた。

然し丁度、漁師さんに、北海道の方々は皆さん親切ですね、とお話したあとの、車にどうぞ、ですから・・・、なんとも。
その彼女は丘の方で、水田農業と黒毛和牛の牧場をやっておられるとのことだった。北海道女性、素晴らしい。

漁師さんと女性、お二人とも共通した言葉があって、別れ際に、「どうぞ瀬棚をお楽しみください」だ。おもてなしの言葉が本当に心地よく、また心にしみる。

愚生はこの航海をやって本当によかったと思った。
「人には親切にしなければならいよ」と若い頃に教えられたことを、初めて訪れた瀬棚港で、今日もまた感じさせて貰った。愚生にとって良い一日の終わりだった。

よって、これはなんともしても、追記せねばと思った次第。

leg36岩内〜瀬棚(再)

岩内を6時出港、港外はうねりが残っている。

定置網の位置が、ニューペックの表記と合わないような気がするので、安全第一に入港時と同じルートの浮標を経由する。南東の風、アビームで進むも、直ぐに弱い風になってしまう。

8時前にホンダワラの大群に遭遇する、潮止まりのようだ。そこから、逆潮となったような気がする。
北海道の泊地岸壁には、ホンダワラは生えてなく、昆布ばかりだが、沖にはホンダワラが漂う。ワッチをしっかりやれば問題はない。然し、一昨日の巻き込んだ透明ビニールなどは、全く見えない。レジ袋も海面にあるので、気をつけねばならない。

航海中の愚生の食事について少々記すと、朝食のパターンでは。
6時出港時は、5時過ぎにチーズ、 バナナ、紅茶と野菜ジュースなどを摂る。その後、操船しながら、紅茶と小さなあんパンなどをかじる。
8時にヨーグルトとコーヒー、あればドーナツなどを摂る。早い出港はこんな感じだ。

7時出港時は、サニーサイドアップをトーストしたパンに挟んだりして食べることが多い。トーストは片面にバターをチューブから少しパンの面に出して、フライパンで軽く焼くといい。この航海で試してみたが、いい具合に焼ける。もう片面はそのまま焼くと焦げ目がうまく付く。

シリアルも便利でいい。ミルクのない時は、野菜ジュースやトマトジュースをかけても十分美味く食べることができる。もちろん、ヨーグルトやバナナを入れて一気に食べることもできる、何度もやったが、時間短縮になる。ただし、今の北海道では、少々冷えるので控えている。

昼食はルナ艇長にならい、コンビニおにぎりを食べるこが多くなってきた。北海道セイコーマートコンビニの山ワサビや、北海道産鮭、同昆布などが実に美味い。大方のおにぎりは税込100円だからお得感がある。おにぎりは確かに便利な食べ物だ。

こう書いてあいだにK山さんから、ホンダワラが絡んだようだと声がかかる。コックピットにでて、K地さんの教えの通り艇の行き足を停めてアスターンをかけるとハズれたようだ。

波もないので、好きな音楽をキャビン聴きながら、ブログを書いている。少し冷えたコーヒーもなぜか美味い。9時15分現在。

その後、航行中、ビルジ溜まりを掃除する。時間をかけたので、かなり綺麗になった。

瀬棚港へ16時15分入港する。瀬棚港はマリンブルー三本杉という大きな岩が目印だ。
漁師さんから、温泉、食事処、コンビニの場所などうかがう。いろいろ話をするが、皆さん親切だ。トイレは公園にある。明日は天候不順でまたもや沈殿か。
今日はこれにて。



2016年5月28日土曜日

岩内沈殿とうどん&居酒屋大将

朝から風と波が強く、沈殿することになった。

朝食を済ませて、K山さんとスクリューシャフトの絡み点検をすると、なんとビニールが絡んでいた。それも相当量だった。まあ、いろいろなことが起きる。小樽のK地さんの教えの通り、海産物は逆転で、人工物はどうにもこうにもならない。除去できる方向も真逆だから、教えは真を得てる。流石だ。

沈殿を決めたのは、その後、11時頃だった。以降はそれぞれ自由行動となる。
K山さんは自転車で山の温泉に行かれる。ルナ艇長は自艇で用事をやっておられる。愚生はトイレ掃除、エンジンの点検、オイル補給、エンジンのプーリー磨き、Vベルト調整、冷却水補充、エンジン磨きなど、日常メンテナンス。

それから、14時過ぎに郷土館に出向く。そこには岩内の歴史がぎっしりとつまっていた。展示物も多く、その中には北前船のこともあり参考になる。

嗜好品など買って泊地に戻り、今丁度、文化センターで、陸上自衛隊第11音楽隊の岩宇地区定期演奏会を聴いているところだ。第14回の演奏会だそうだ。第1部は行進曲「5月の風」からスタート、エル・カミーノ・レアルで終わる。第2部はらっぱメロディなど、なんとも素晴らしい音楽会に出合わせた。音楽好きのルナ艇長と、ひととき、音楽に浸ることとした。らっぱメロディは聴きながら、なんか感動した。

その後は、再び大将で夕食を頂く。Aご夫妻はもとより、Mさんもいらした。今日はカクカクシカジカで出港できなかったとお話すると、我々のことを皆さん心配してくださってたそうで、本当にありがたいなーと思った。
夕食にコロコロステーキやウド、昆布とホタテの煮物、きんぴら、それにサッポロクラッシック、〆のキツネうどんを美味しいただき、次の港にも、その次にも大将があればいいなーと、ルナ艇長とで話した。

岩内の沈殿は、自衛隊の音楽隊の演奏、岩内町郷土館で有意義な時間を過ごせた。
何より大将で皆さんとまた逢えたことが一番だった。
明日は瀬棚港迄の51マイルを航行する予定だ。

岩内のみなさん

昨日、岩内に入港して、仮舫いをとって、港関連のところへ挨拶に出向き、許可をお願いする。管轄外と言われつつ、奥のほうにとめれば、 まあ、大丈夫でしょうと。

次に目に前にある文化センターへ行くと、ここでもいろいろ周辺のことを教えてくださる。また、前述の通り、燃えるゴミまで引き受けてくれ、飲料水も提供してくれた。立派 な建物である。文化センターの情報をK山さんに伝える。

その後、今度は旅館や民宿へお風呂を拝借したい旨、連絡すると、民宿かもめの女将さんが、どうぞと快く応じてくださり、既お客さんが戻る前に入りなさいと。お風呂をおかりしたお金は要らないと。お礼を申し辞し、食事の場所を探す。

うどん&居酒屋大将に入ると、お店経営のAさんご夫妻とお客さんが一人飲んでらした。カウンターに座り、サッポロクラッシックの生ビールを注文すると、今日は割引デーだと。
料理数点注文して、我々の素性をお話ししたら、一気にお近づきになる。岩内へようこそ、と大歓迎してくださる。大将のご亭主は、こういうお客さんと接するとロマンを感じるよと申してくださる。

そうこうしてたら、お友達のみなさんも集まり、ご亭主と女将さんを含む、女性3人、男性5人で大いに盛り上がる。Mちゃんという女性と幼馴染でお姉えさんと慕うNさん、ZARAとH&Mをうまく着こなす方。
酒屋経営と書家でもあるOさんと市会議員の先生、このお二人方は関西にもいらしたことがある。そんなこんなで話が尽きることなく進んだ。Oさんは畳の席で、我々の艇の名前と氏名を書いてくださり、落款を押印してプレゼントしてくれる。素晴らしい書である。

大将のAさんご夫妻とOさんは、愚生に対して、とても話しやすい人ですねと申されるので、恐縮した。また、メガネの下がり具合と髪と髭から、フォークシンガーの小室さんに似てますねとも。同じことを酒田の90歳のバーテンダーからも云われた。そのバーケルンを思い出した。戻ったらメガネを丸にしてみようかな・・・。

興にいったルナ艇長はサッポロクラッシックを3杯飲まれ、岩内(いわない)ではなく、いわないといけないと、洒落ていた。
注文した食べ物を全て美味しく、〆のキツネうどんはワカメ、ふのりが入ってて、飲んだ後にちょうど良い加減の出汁。細うどんで、きのこを練りこんでいる、とてもヘルシーなうどんであった。

もう少し居たかったが、翌朝は早めの出港となっていたので、みなさんと握手を交わしてお別れした。帰り際に女将さんから、そのキノコのお茶をいただいた。
ルナ艇長と、帰る道々、みなさんと出逢えてよかったと・・・。大将で出逢ったみなさん、本当に楽しい時間を過ごさせていただき、ありがとうございました。みなさんのおもてなし、忘れません。

舫いを取る各港で本当にみなさんの親切と人情に触れる。愚生はこの風の旅を通じて、親切の大切さを改めて感じ、また、多くのことを教えてもらっている。
岩内のみなさん、本当にありがとうございました。


2016年5月27日金曜日

leg35美国〜岩内

今日はlegが少し長いので6時に出港した。
朝方、風のヒューヒューとの音で目が覚めた。海上に出ると、8mくらいの西南西の風が吹いている。2ポイントでジブも90%くらい展開してのぼり帆走する。

暫くすると風の勢いが増してきたので、ジブを巻き、機帆走にはいる。7時頃には15〜16mをポンコツ風速計が差す。風警報は出ていたので、まあ、まあ・・・。波は3mくらいはあるが、予報では2m。
ひたすら、岩内に向かって航行するも、真のぼりであるのが、どうもいけません。小樽へ向かう時も真のぼり、そこから戻るのも真のぼりとは、ツイテない。

キャビンでこうしてblogを書いているが、揺れに揺れて、波に船底が叩かれている。小舟が自然を相手に一丁前に進む姿、これもまたよし。

そういえば、昨日の役場の電話の待ち受け音楽がソーラン節だった。そうとは知らずに、漁協の所長さんに、役場でソーラン節の練習か何かやってるんですか、と尋ねたら、いや、それは待受音楽ですよ、と。
こういうのが、どうも愚生はピンとこない。あとから考えると、少々恥ずかしかったが、そのあとからという時間差がある。これを天然ボケというのでしょうか。
ただいまの時刻8時30分、あと29海哩。まあ、よう揺れますこと。

神威岬を回り、更に、積丹半島を回り込むと少し静かになった。15時15分に舫いをとる。
場所もなんとかあり、安堵。
文化センターがすぐ横なので、伺い街の情報などをうかがう。お風呂は無いとのことだったので、3軒ほど旅館と民宿へ電話すると、民宿かもめの女将さんが快くお風呂を提供してくださった。また、そこで働く女性も愚生の咳込みを心配しくださったり、優しい方だった。それから、文化センターの方々もゴミの処理や飲料水を提供してくださる。
岩内のみなさんは本当に親切、本当にありがたかった。

そのあと、食事処を探すと、素晴らしいお店が見つかった。お店のご夫婦、常連のお客さん、ここでのみなさんも、兎に角、素晴らしい。忘れることができない時間を過ごした。

そのお店での一期一会は次稿でご紹介する。

2016年5月26日木曜日

leg34小樽〜美国(再)

小樽出港前は前稿の通りです。
10時20分過ぎに、出港して美国に16時30分に着く。漁協事務所で停泊のお願いをすると、役場連絡くださる。役場から若い担当の方が来られて、着岸場所を決めてくれ、食事の場所などを教えてくれた。ハツラツとした好青年で、話していて気持ちが良かった。帰り際に、良い航海をと云ってくれた。なんだか嬉しい気持ちになってしまう。そのあと、食事処で再会したので、このblogを紹介した。

その食事処へ向かって歩いていると、鰊伝習館ヤマシメ番屋があったので、うかがってみると、何と、オープンセレモニーの前段階の準備会が催されていた。どうぞ、どうぞと館内を案内くださり、そのあと、まあ、座って食事でも、とお誘いを受けて、鰊お三平汁、ウニと鮭の大きなおにぎり、お漬物、ふきの油炒めなどを振る舞って頂く。すべて大変美味しく頂く。
地元で旅館をなさっているN会長さんとこの番屋について色々なお話をうかがう。
また料理を作ってくださった女性ともお話をする。ご子息のフィアンセが兵庫県にいらっしゃるとかで、我々を歓待してくださった。

オープンは6月初旬と申されていた。
ホームページはhttp://www.yamashime.net です。解体の危機にあった建物を、有志の皆さんが立ちあがり資金などを出し合い、また調達して、建物を改修して残す事になった由。このような鰊の番屋が美国にはいくつもあるとのことだった。

今日も朝から晩迄、親切な皆さんとお会いすることができた。北の大地の人たちの人情に触れる1日だった。

小樽出港前に

小樽港マリーナを出港する1時間前に、世界のトップセーラーのひとりである、K地さんにお会いした。というより、一昨日、その姿は遠くから拝見していた。その時K地さんは、運河巡りの観光船をメンテナンスされており、その艇と作業用のサロペット姿格好がとてもお似合いだった。その時、ルナ艇長にメンテナンスはあの格好がいいですね、と話した。

今朝、ゲート前で偶然にお会いして、声をかけられたので、今日出港する旨をお伝えして、これからのルートなどをお話した。帰港ルートについて、このようにすれば良いのではとの、貴重なアドバイを頂く。別れ際、自己紹介後に、お名前を伺う。苗字の下の漢字を伺った時に、えーっ何処かで、と思い、ネットで検索すると情報出ますね、とまでは申し上げて別れた。

そうこうしてると、名刺を持参されて艇迄お越しになられた。そこで更に、セイルのアドバイスやらを濃いショートアドバイスを頂く。ご本人はセイルメーカーやマストのメーカーで色々学んだと申された。この瞬間、愚生はお話頂く内容に夢中になり、それへ集中していた。また、GraceのMさんと奥尻海峡でミート、無線交信した旨を話すと、お知り合いであると。

再度別れたあと、名刺の裏を拝見して、ああ、と思った。世界のトップセーラーのK地さんだった。凄い経歴の持ち主であるにもかかわらず、そのようなことは微塵も申されず、終始した。

お話しいただいた艇に関するアドバイス、これは戻ったら、早速、実行しようと思う。
また、帰航ルートについては、色々な助言をいただいたので、ルナ艇長、K山さんとで打合せたいとおもう。多分、お話しいただいたコースになるだろう。

出港、1時間前の出会い、折り返し地点小樽での一期一会は心に残った。

2016年5月25日水曜日

小樽休暇

小樽の休暇をそれぞれが楽しんだ。

朝イチにSさんとHさんへメール送信した。
そのあと、洗濯物の片付けやら所帯じみた時間を費やして、小樽市総合博物館へJRを利用して行った。ルナ艇長は自転車でと言われたが、今日はJRでと少々逆らいそうした。駅から10数分歩くので、ヒヤヒヤしながら歩いた。案の定、遠い、の一言。

そうこうしてると博物館へ着いた。ここは北前船が利用したまさに松右衛門帆がそのままの形である。勿論、触ることも出来る。触ると、播州木綿を織り込んだそれだとなんとなく感じる。密度の高い織りこみだった。博物館を出るときに、愚生の癖で、窓口で実はヨットでカクカクシカジカと話すと、理解した窓口の女性がS館長を紹介してくださる。

S館長の説明は起承転結、凄く解り易い。ご自身は別の研究をなさっていると申されるが、そこは博識、小樽の江戸末期から明治の説明を説明くださり、更に、小樽商科大学のM教授の話しなどもして頂く。また、なにかあれば連絡くださいと名刺を頂く。こちらも旧職の 名刺をお渡しした。小樽の北前船の歴史は明治の数年であることがよく理解できた。また、松右衛門帆はある民家の敷物だったそうで、それ譲り受けたとか。また、その時に松右衛門帆云々の話もあったやに・・・。愚生にとっては、深い情報であった。

辞して、小樽駅の近くある、藪半の暖簾をくぐり、鰊 群来そばを昼食に頂く。勿論、地元北海道の蕎麦粉のものを注文。濃いめのつゆに鰊、海苔、昆布、鰊の子、群来に見立てたとろろなど美味しいもの尽くしの蕎麦。
小樽美人の女将に小樽のセーラーは来られるかと伺うと、来られると。我々も昨日今日の小樽ニワカセーラーだと話すとびっくりしていた。

藪半でblogの書き込みがある。 なんと、奥尻海峡で無線交信したGraceのM艇長からのコメントだった。とても嬉しかった。

マリーナへの帰りは、今度はバスを利用した。旅は電車やバスを利用すると、なんとなくその街に溶け込んだ気がするので好きだ。バスの車中、年寄りが年寄りに席を譲る、ここ小樽でも同じだった。
少し買い物して、朝方、ルナ艇長が裕次郎記念館で買った石原裕次郎ブランドのキャップを取りに行く。なかなかお似合いのキャップだ。帰り際、やはり裕次郎世代ですかとうかがうと、うなずいてらした。

艇に戻り、水の補給などやり、熱めのシャワーを浴びて、キャビンで金麦をいただきながら、小野リサを聴いている。ボサノバの気だるいテンポがとてもいい。
今、17時丁度かな。
さて、夕食は何にするか、札幌にでも行くか・・・。今日はここでblogアップします。



2016年5月24日火曜日

leg33来岸〜小樽

来岸を6時に出港した。天気は曇りで海上は北東の風。積丹岬を越えると風は和らぐ、との昨日の地元の方々の談は、吹く風の方向で真逆になったようだ。

小樽方面から結構な風をいただいている。ルナは積丹岬を廻るころに、メインセイルを1ポイントリーフした。愚生も同じ対応。愚艇はシングルハンドが容易なように艤装されているので、ロープなどの絡みトラブルが無ければ、全てコックピットで操作できる。ルナも同様。

暫くしても風の方向は変わらないので、メインセイル抵抗を和らぐべく、2ポイントに仕替える。確かに0.3〜0.4ポイントほどスピードがあがる。ほぼ同一位置にいたルナをみるみる追い越す。艇の造波抵抗ならぬ、造風抵抗?をポイントリーフで凌いだか・・・。理論や理屈ではなく実践の値だ。ただし、1回の実践値なのでマユツバものだ。

ルナから、気温が15度だと無線がある。朝から1度しか上がってないとも。それに風が体感温度を低くする。右舷に見える山々の中腹まで残り雪がすっぽり覆っている。
ルナ艇長に無線で、寒いはずですよ、だって寒いところを狙って航行してるんだからと。ただいま7時30分。

喉の調子は葛根湯の服用のおかげで治った。迷惑をかけてはならないので、早めの処置が大切。ホームドクターも金沢で会ったドクターも葛根湯はいいと勧める。

13時30分に小樽港マリーナに舫いを取る。その前に、燃料補給を専用のバースで行う。予想通り54リットル入る。
マリーナの方が、わざわざ艇に乗り込みゲストバース迄案内してくれる。ここは三セクとヤマハの出資で運営されるいるとか。誰かも言っていたが、係留費は東京近郊のハーバー並みと結構高めだ。
施設は充実しており、熱いシャワーが使えて色々と快適だ。然し、明日は休みとのことで、オーナーズルームなどが利用できないのが残念。

小樽郵便局にルナ艇長の局留郵便を受け取りに行く。一応、旧の名刺を渡してご挨拶はしておいた。また、風景印を押したハガキを購入した。ルナ艇長はあまり小樽を知らないとのことだったから、小樽運河や硝子館やオルゴール館などをポタリングする。途中で観光客に、道を尋ねられる。小樽の人に間違われたので、カクカクシカジカと説明すると、その方々は新西宮ヨットハーバーの近くに家があるとのことだった。街には外国の観光客で溢れている。
夜はハーバー前のショッピングモールで夕食する。明日は北前船の調査やらなんやらで忙しい。然し、海から見る小樽、山麓にのびる住宅群が港街に相応しく、とてもいい。

ヨットで来たかった小樽へやっと来ることができた。休暇を認めてくださった方々、TYC、NPOの皆さんをはじめ、ルナ艇長、K山さんのサポートのおかげ。感謝、感謝です。

今、ルナのキャビンでシーバスの2リットル瓶でハイボールを作り一杯やっている。ルナ艇長曰く、遥々来たぜ、函館じゃなく、小樽、と口ずさんでる。心中は、もっと北へとの想いが解るだけに・・・。
さあ、今夜は徹夜で洗濯。ここにきて、所帯じみた話だ。

2016年5月23日月曜日

leg32須築〜余別来岸(再)

須築を5時出港、54マイル先の余別来岸港を目指す。この港は余別と来岸に分かれているようだ。graceのMさんのアドバイスで、岩内と美国を飛ばすことにした。

順調にスタートしたが途中でホンダワラに捕まる。久々にチェーンで除去する。
それらの過程でエンジンのリスタートがうまくいかないので、エンジンルームをチェックすると、オルタネーターのVベルトが細くなっているので、ついでに交換した。

昨夜、ルナ艇長とその話をしていたところで、小樽での交換予定をこの海上で取り替えた。その後、エンジンはリスタートできた。原因は色々想定できるも所詮は素人、よくわからないので、ヤンマーのサービスへ電話で聞いてみようと思う。また、ベルトの予備品を買っておかねばならない、A37番手。

この作業でひと汗かいた。ここ二日ほど、喉が痛いので、ドクターに処方してもらった漢方薬を飲んでいるが、この汗がいけない。

この騒動の前、朝早くにドジャーのフロントを掃除した。潮や油分などの汚れで前方が見にくいので、以前にブルースカイ艇長に貰った溶液を使うと、みごとにクリアになった。早速、お礼を申し上げようと電話したら、まだ、おやすみ中だった。朝早くに失礼なことをやってしました。

雪の残る山を背景にルナを撮影した。まさに北海道での風景である。現在、積丹半島を目指して機帆走中である。午前9時30分。

朝の遅れをなんとか挽回して、目的港まであと10数マイルまできた。右手東に積丹半島がある。地図でしか知らない積丹半島、実際にみるとやはり勇壮だ。そんな風景を海上からみる。現在14時。

積丹半島を越えるところにカムイ岩がそそり立っている。そこから来岸港へ向かう途中は結構吹き出した。15時30分に着岸する。

片付けの後、取り替えたオルタネーターのVベルトを再度点検してみたら、ゴムの粉が出ていたので少々気になるところだ。小樽でも再度点検しておこう。

今日は温泉に入り、そこで食事もした。ルナ艇長が酒屋さんで聞いた情報で、温泉から車で迎えに来てくれるとのことで、そこに決めた。その前にダブルブックがあり、キャンセルに走ることになる。後始末も充分にできてないし、上記の点検があったので、諦めて作業をやる。
なんとか終えたので、ヒョとして酒屋さんの前で、まだ車を待っているのではとおもい、ルナ艇長に電話すると、既に移動中だと言いつつ、わざわざ戻ってきてくださった。悪いことをしてしまった。

帰り際だったか、温泉を紹介してくだった酒屋のお母さん、昔は綺麗だったろうな、とルナ艇長がポツリと。
愚生もパンがあればとおもい、そのお店に入ると、そのお嬢さんらしき方がいらした。凄い美人だった。その旨をルナ艇長に申すと、温泉を紹介してくれた方は80歳代とのこと。
来岸の酒屋さんの美人親子、ルナ艇長と愚生は年齢に応じ、対話したことになる。

明日は6時に小樽に向けて出港する。



2016年5月22日日曜日

leg31奥尻島〜須築港

奥尻島を6時55分に出港した。
朝から風があったので、1ポイントリーフでゼノアも120%程度とした。南東の風、8m程度のスターボーアビーム、クウォーターで7.5〜8ノットはでる、幸先のいい走りだ。

ルナはメインハリヤードのトラブルでヤンキージブで帆走、艇速は7〜8ノット出たとのこと。今日のようなランニングならジブのみの帆走が安定して走れるとのルナ艇長談。それを提唱するセーラーは少なくない。

愚艇のほうは1時間もしないうちにオンボロ風力計が10mを超えたので、2ポイントにし、ゼノアも80%程度に縮帆する。
それでも艇速は落ちることはない。1時間ほどしてK山さんと交代。揺れるキャビンでうたた寝しつつ、時折、ニューペックのGPS対地速度をみると9ノットをさすこともあった。
天気予報では波も風もないような表現だが、とんでもない気象だ。

その外れた天気予報のおかげで、今日の目的港である茂津多岬の須築漁港の港口には11時30分頃着いた。狭い港口を入ると静かでこじんまりとした港だった。北の大地の小さな港に舫いを取ると、ああ、ここまで来たかと思う。

潜水漁船の船長に停泊のお願いをする。避難港だから、いいよと。
また、湯沸かし用の飲料水を少しいただきたいと、申し入れると潜水漁の船長さんがわざわざ、漁協の作業場のシャッターを開けてくれて、更に水道のホースまで外してくれる。そしてあまり使ってない水道だから暫く、流しっぱなしのほうがいいと、栓を開いてくれた。昼食中にもかかわらず、本当に親切な方だ。

そのあと、漁師さんに挨拶に行くと、ゆっくりしなさいと労われた。これで今日の寝床は確保出来た。そのあと、周辺探索すると、小さな町に旅館があったので、風呂と夕食をお願いしてみると、いいですよとのこと。あとで電話でお願いした。

戻ってきて、布団を干す。暫くしてたら、ルナ艇長が大声を出すので、みると干してたルナ艇長の布団が水面に・・・。

港の横の川は鮭が遡上するような雰囲気のある川だ。なんか、北海道やなーって改めて思う。民家には煙突が必ずある。多分、暖炉のそれだろう。また、殆どの家の玄関は二重構造となっている。然し、数十軒の住宅規模だから、ここにはポストはあるも郵便局は無い。

17時過ぎに旅館へ行ってお風呂と山海の料理をたっぷり、美味しくいただいた。テレビを観て寛ぐ。明日は5時出港、早く寝ることにしよう。




2016年5月21日土曜日

叶寿司の大将

帰り際に大将と話す。これから、どちらへ問われので、小樽までと、本来構想も説明すると、帰っても誰も待ってないでしょうと返される。確かに、と応えるしかない。大将、ユウモアある人で、四美人褒めと、私のこともしっかり書いてと申されるので、じゃあブログをもう一遍記しますと伝えて店を出た。

叶寿司の大将、ハンサムで気っ風のいい奥尻島の人だ。女将さんも素敵な人。みなさん、気だてがよく、愚生とルナ艇長の好みと話すと、大将曰く、いや、来年は若返りを図りたいと、返された。

最後まで奥尻島のおもてなしの気持ちを受けとめた。

店をでて酒屋を訪問するも、今日は奥尻島試飲会で酒屋全て閉まっている。マッカランの入手は残念ながらできなかった。
それにもう一つ残念だったのは奥尻島郵便局が土曜でお休みだったことだ。風景印を入手することが出来なかったが、ポストにR製薬のYさんへハガキを投函した。

さあ、明日は須築漁船に入港する。

leg30江差〜奥尻島

江差港を7時出港、奥尻港に13時20分に舫いを取る。江差のN先生の故郷におじゃましました。
岸壁の漁船に丁度、漁師さんがいらしたので、場所の許可を得ると、いいよ、お疲れさん、と快く応対してくださる。
港口近くで、出港してきた小さな漁船が手を振ってくれる。奥尻島の人たちのおもてなしの洗礼を受けた感だ。

航行途中で、ヨットを見かけたので、VHFチャンネル16で呼びかけ、チャンネル69でご挨拶する。小樽から長崎に向かう船名がgraceというヨットであった。艇長のMさんから、奥尻島から小樽へのルートについて情報を頂く。また、秋田マリーナのHPに我々のことが写真入りで掲載されてるそうで、それを見られとうかがう。早速、こちらも確認するとgraceも掲載されていた。

UW旗を掲揚したいところだが、無線でその旨を伝え、お互いの安航のエールを交わして、別れた。江差沖での一期一会。

さて、時間もあるので、ビールでも頂くとするかな。
そうしてると、地元の電器屋さんが来られて、いろいろな情報をくださる。いい温泉が10km先にある。よければ車を貸してあげるから、行ってきなさいと。まあ、なんと親切な、と思う。お目当のウニのことをうかがうと、解禁は7月とのことで、なんともがっかりした。K山さんもその情報を持って戻ってきた。

その後、ルナ艇長が 町をぶらぶらしながら民宿を訪ね、お風呂をお借りすることができた。ご家族のお風呂に案内されて、湯船に浸かり、疲れを癒した。帰り際にお風呂代をと申すと、家はお風呂の商売はやってないので、いりませんと、ピシャリと仰られた。お礼を申し上げて失礼した。このおもてなし、癒されました。

帰り際帰りに出光ガソリンスタンドで夕食の美味しいところをうかがうと、叶寿司を教えて貰う。
入ってみると、ここは奥尻島四美人のおらっしゃる、居酒屋料理もだすお店だった。
勿論、寿司がメイン、ネタは新鮮そのもので最高に旨い。大将のはからいで鮨を多くにぎってくださった。

四美人のおひとりが、奥尻のお酒をご馳走してくださった。今日がその試飲会だったとのことで、我々の前で封を切られた。薫風、まさに皐月の香りのする日本酒だ。
奥尻島の叶寿司、本当にいいところです。叶と書いて「きょう」と読む。

夕闇迫るまで、奥尻島のおもてなしが続いている。そのおもてなしのなか、ルナ艇長とで少々酩酊中である。
然し、この後、ルナキャビンでHさんのクロード デュ モン オリヴェ の残りのワインを飲もうと、艇長意気込んでおらっしゃる。
実はこの奥尻島にマッカラン12年があると、岡敬三さんが本に書いておられた。それも探さねば・・・。

そしてここで、みなさまにお知らせがあります。スケジュール等から、小樽での折り返しを松前の夕食の時に決めました。函館を月末に出港することになります。

奥尻島、本当に良いところです。



2016年5月20日金曜日

leg29松前〜江差(再)

松前を6時56分に出港する。江差迄31マイルである。
江差マリーナに入れるべく、昨日、ルナ艇長が予約を入れた、450円の利用料金とのこと。入港位置など調べるべく、昨夜、江差マリーナのホームページへアクセスすると、24時間で日帰りで2160円とあるので、一泊は4320円也。さてどうするか。

無線機が昨日、使えなくなった。ルナの無線に近づけるとハウリングしたので、なんとか騙し騙し使うしかない。なお、ユニデンは修理はやらないとのこと。買って6年くらいなんだけど、製造中止らしい。修理できないロジックがわからないが、多分、修理代金の方が高いのだろうと、勝手に判断している。
まあ、いろんなことが、毎日あるが、それもまた楽し、である。ただいまの時刻、8時前、今日のこの時間帯はK山さんがワッチ。

しつこいようだが、昨日の津軽海峡横断のセーリングスピード、クローズホールドでの8ノットは爽快そのものだった。多少のウエザーヘルムもなんのそのだった。反対に今日の海域は波10センチもないのでは。

ルナは愚艇の4浬先を航行している。緯度でいくと4分先にいるので、そろそろ江差港に入港するであろう。現在の時刻13時30分。

14時15分に江差港に舫いをとる。都合でハーバーはやめにした。ルナが先行して入港。そこには海上保安官が待ち受けており臨検を受ける。国際VHF免許証等で少々時間を要する。その後、江差町役場へ出向き、教育委員会を訪ねも会議中とのことで、観光課のM女史が対応くださる。大変親切でいろいろと教えていただく。その際、N先生と知り合いになる。レーザー級のレーサーでスウェーデン迄遠征された由。愚艇キャビンでコーヒーを飲みながら、ヨット談義をする。

M女史に教えて貰った、銭湯、江差会館居酒屋へN先生の車で送っていただく。M女史の兄上は江差ヨットクラブの会長で北前船航路をやはりヨットで周航したことがあるとのこと。勿論、N先生も知り合いであった。江差の一期一会、まあ奇遇な出逢いだ。

此処には、多分、もう一度、来ることになるだろう。役場の後に中村家を見学、その足で江差郵便局を訪問する、松前と同様に風景印のスタンプを押印して貰う。局長は函館で会議とのことでY部長さんと名刺交換した。ルナ艇長は郵便物を自宅より小樽郵便局へ郵送する手配をされた。全国津々浦々にある郵便ネットワーク利便性は凄い。

そうそう、航行中にKさんへ電話する。博多のタモリカップについての話をすると、今回は熊本地震の関係から中止のようだとのこと。戻ったら、愚艇に乗りたいとのことだったので、大歓迎と伝えた。

江差のみなさん、本当に親切な方ばかりだ。海上保安官から、寝ちゃだめガムを頂いた。若い保安官は関西出身とか、北の守りをここは江差で担っている。独身かとうかがうと、そうだと、嫁さんを現地調達すると、北海道の人になるなというと、笑っていた。
N先生、M女史、海上保安官、江差のみなさんのご親切、ありがとうございました。

2016年5月19日木曜日

leg28小泊〜松前(再)

小泊を7時に出港する。津軽海峡はとても静か状態だ。風は北北西で微風である、昨日のそれが嘘のようだ。龍飛崎が見える、そこから海峡トンネルが北の大地につながっている。高倉健さんの映画を思い出す。この海峡には対馬海流が流れ込んでいる。まだ、8時前だ。

そうこうしてると、やはり津軽海峡、北東の9mほどの風が吹き始める。メインフルセイル、ゼノア120%程度で、クローズホールドで8ノットの艇速となる。勿論、エンジンは中立。然し、甘く見てはいけない、風力は増してウエザーヘルムが強くなる。
早めにのリーフ、1ポイントのタイミングをさぐるも結果メインで調整して凌ぐ。
津軽海峡、東の風を受けてギンギンの帆走、最高の快感。ステアリング操作の左腕は痛くなるくらいだが、まあ、そんなのへっちゃらなくらい楽しめた。

愚生のワッチの時に風は起きる、ラッキーボーイだ。いや、オールドボーイか。そんなことはどうでもいい。
セーリングを楽しむにはにもってこいなので、30分早めにK山さんと交代すると、15分くらいで風が落ちはじめた。対馬海流も流れ込んでおり、やはり複雑だ。今はエンジンをかけての航行だ。ただいま9時前。

津軽海峡、やはり広いなーと言うと、K山さんに笑わてしまった。ルナ艇長のいう、北の大地はもう目と鼻の先。11時15分頃、当然のことながらルナが先に松前港に入港した。その後、11時30分に舫をとる。やっと、北海道に到着した。
ここは松前漬けの発祥の地だろうから、探さねば。勿論、北前船のことも。

ここまでを記しながら、キャビンでワインをいただいている。既にルナ艇長はビールを飲まれたようだ。安い箱入りワインも、遠く松前の港でいただくと、なかなか美味い。

エンジンオイルのチェック、エンジンルームの掃除を済ませ、燃料補給を終え、松前の町へ自転車でいく。松前教育委員会のM主幹にお目にかかり、北前船のことなどをうかがう。ここは松前藩の中枢、いわば、行政の中心地であり、北前船の西回り就航路のさらに前の松前から敦賀航路の時代の資料が多いようで、近江商人との関係が深いこともわかる。いずれにしても貴重なお話をうかがった。

その後、温泉旅館矢野のお風呂に浸かり、北前船松前と云う道の駅で夕食を摂る。愚生以外はミニ丼セット、ウニ、カニ、トビコを食され、愚生はエゾメバルの煮付け定食をいただく。ウニ、カニ、イクラ、北海道の何処かの港でいただくことにする。松前漬けは定食でいただく、まあ、いつもの味だった。

そうそう、松前の停泊は有料で集金に来られたので、愚艇は450円、ルナは250円支払う。
明日はいよいよ江差、北前船の資料集めを行うには2泊になるかも知れない。
まあ、明日は明日の風が吹くか。


2016年5月18日水曜日

深浦の職質は深いかも

深浦で知り合い、地元新聞をくださった方が、朝一番にスペシャライズドのロードバイクにヘルメット、ペダルスパイク、服装は勿論、ロードスタイルで颯爽と現れた。昨日の職質とは全く異なる出で立ちだったので、驚いた。

愚生もクロスバイクがスペシャライズドだったので、親近感がわき少し話した。若い彼は仕事の前に必ず自転車に乗るそうだ。そうしないとお腹がでるらしい。

彼から頂いた新聞からいろんな想像をすることになった。

江差に着いたら、登市長へその想像を記しハガキ投函するつもりだ。市長が反応されれば、次回は陸路か空路でこの地に来ることになるかも知れない。深浦の職質の出会いはとても深いかも知れない。

このような想像を膨らませながらの航海は、なんだか知れないけど幸せな気持ちになる。それに非日常のそれは発想も少し変えるのかも知れない。

北前船を辿る旅、風の旅人たち。

leg27深浦〜小泊

深浦を7時に出港した。
セイルを出せるような状況でない。一度、メインを2ポイントで出すも、直ぐに降ろした。
ジブのトラブルで手こずる。昨日、気付いてたことをきっちり処理しとけば・・・、あとのまつりだ。

11mを超える南風を背に、北へ向かう。時たま3m位の波にサーフィンをするが如く艇がすべる。エンジン中立で7.8ノット位でる。霞んだ岩木山を見ながら、とにかく進む。舵取りはオートヘルムが働いてくれる。時々、力不足でスリップするが、正確な仕事をする。
小泊が近くなると北海道が薄っすらと見えてきた。

13時30分に小泊の西側奥に舫う。早々にマスダ機械へ電話を入れて、インペラーを入手する。配達してくれたが、パッキンがないとのことだった。2日前に電話した時はあるとのいってたのだが、まあ仕方ない。配達時、3GMのインペラーは無いかもなん言いだした。
ルナ艇長の2GMは、今日思い立ち買うとこれは両方ともあった。

漁船修理中の漁師さんからいろんな情報を貰う。気のいい人で津軽弁で漁のことや、船に掛かる費用などを教えてくれる。昨夜の漁師さんもそうだが、漁業従事者は大変だ。

部品配達してくれたマスダ機械の人に聞くと、ここは風呂もあり、食事するところもあるようだ。トイレは直ぐ前にある。

小泊は静かな港である。今日航行してきた海域が嘘のようだ。
明日は津軽海峡を横断、いよいよ北海道だ。


2016年5月17日火曜日

leg26能代〜深浦

能代を7時に出港して深浦に向かう。
波が悪くローリングが激しい。時折、ルナが 波間に隠れて見えなくなる。マストの先がチョコンと見える様な場面がある。風はそんなでもない。右手に白神山地が見えるが、生憎、頂上は雲に覆われてるが、天気は回復傾向だから、そろそろ見えるのではないかな。
山あいには風力発電が沢山ある。丁度、正午だ。1

その頃から8mくらいのいい風が吹き始める。
フルメインのクウォータリーで、7〜8ノットくらいのスピードで帆走できた。まさに省エネセーリングでもある。
13時15分に深浦に舫を取る。地元のSさんの案内でとてもいい場所に係留できた。そうこうしてると、パトカーが来て、その後、私服警官が来られた。不審な船などが入港することがあるとのことで、一応の職質を受ける。北前船のことなどを話すと、数日前の地元新聞に北前船文化を日本遺産に申請する記事があったので、後から、持参してくださるとのことで、留守の間に封筒に入れて艇に置いていってくださった。

その後も北前船関連の場所を案内してくださる。風待ち館で北前船の歴史にひたる。いろんな資料で一杯だ。北前船と津軽西浜という本もあったので、買い求めた。

その後、真言宗円覚寺へ行くと、ここも高田屋嘉兵衛寄贈のロシアのシャンデリアやガラスの置物などが展示されている。また、当時の船頭や水主の髷や絵馬の奉納されているのを拝見する。そこになんと松右衛門帆と記されたものがあり、古文書にはそのことなどが記載されているとうかがう。陳列棚にあり、当然、読むことなどできない。先先代の住職の様々な作品も拝見する。

その後はSさんに案内いただいたお風呂に入り、地元居酒屋で食事をするが、ここが凄いところで、次から次へと料理が運ばれてくる、食べきれない量の肴だ。そうこうしてると、漁師さんが、歯は丈夫かと言われるので、丈夫ですと応えると、チョット待ててと・・・。
暫くすると、アワビをドッサリ持って来られご馳走してくれた。津軽弁で、深浦のおもてなしだと。多分、料理屋や鮨屋でこの量を食べると数万円はするだろう。3人とも夢中になって食べたが、食べ尽くせない。
その漁師さんの話はとても奥が深く、漁業の大変さを改めて知った。津軽弁がとても新鮮い聴こえる。

深浦のSさん、警察官の方、居酒屋の漁師さん、女将さん、そこのお客さん達には、大変お世話になった。
この航海中、地元の人との出会いとご親切と人情に触れ、それにおもてなしには、本当にお礼の申しようがない。ここ深浦での一期一会、素敵な人たちだった。




2016年5月16日月曜日

能代沈殿

当初、雨が降るとの予報であったが、それが夜遅くになるとのことで、少々番狂わせになった。まあカテゴリーでいうと沈殿かな。
また朝から、空気は乾燥しきって気温も高い。今日はたっぷり時間があるので、朝食にカット野菜を入れたオムレツを食べる。カット野菜はK山さんが準備されていた。混ぜるとスパニッシュオムレツ風になり、実に美味い。

それから暫くして、青森県の小泊にあるヤンマーの代理店に電話を入れて、インペラーとパッキンを注文した。港のすぐそばにその店はあるとのこと。部品が整えば安心できる。

することもなく、早目の昼食を摂ることになり、K山さん作の野菜カレーを艇内で食べ、午後から北前船情報収集の為、自転車で市内をポタリングする。

はじめに金勇という旧料亭に行ってみた。入母屋造り、壮大な日本建築である。生憎、そこには北前船情報はなかった。その後行った観光協会も北前船情報はないとのことで、図書館でも行けば と言われたので、行ってみると、今日は休館日であった。
残念だが調べるに至らなかった。

一度艇に戻り、夕食にまたもや、街に出かけた。
今日は金勇の横にある「炉ばたたむら」に行ってみた。ここは、大将と若い板さんに新潟出身の女性の3人でやっておられる。いろいろなものがある。山菜天ぷらをはじめいろんな物をいただいた。大変美味いお店で、地元の馴染みのお客様さんが次から次へと来られてた、人気のお店だ。

我々は今日の一番客で、いろいろ注文しながら、北前船のことなど雑談していると、ご親切に大将があちこちに電話をかけて北前船のことを知って人を探し出してくれた。お二方ほど見つかった。所謂、昔、廻船問屋をやっておられた家々だ。

そのひとつに越後屋さんというお菓子屋さんがあることが分かった。
然しこの時間、既にお店は閉まっていた。昼間、ポタリングの最中にルナ艇長が、越後屋と言う名前があるとつぶやいていた、その店である。北前船にハマり、嗅覚が研ぎ澄まされたかな。その越後屋さんは、オリンピック体操競技の小野喬さんの家の前にある。いずれにしても、時間切れだ。

北前船は明日の深浦に期待したいとおもう。どうも匂うな、青森県深浦港は。

2016年5月15日日曜日

leg25男鹿〜能代

男鹿マリーナを7時に出港した。港の周辺は波がたちいい気分ではない。
昨日、K藤さんも言われてたが、川との関係があるらしい。港を離れ暫くすると落ち着いてきた。今日はメインもゼノアもフルサイズにセットした。

そうこうしてると、アビーム、クウォータリーの風が9mくらい吹き始める。
丁度、いい機会なのでハルスピードを試すことにした。勿論、機帆走だが、プレーニング作用は感じられない波だが9ノットが瞬間示された。30分くらい8.7ノットは出ていたかな。水線長から計算される理論値では8ノット弱だったと思うので、まあ、満足のような・・・。

男鹿半島は、なかなか見応えがあった。険しい岩ではなく、ゴルフ場の芝生の様なフラットな景色だった。

14時15分に能代港に入る。丁度、ヨットが舫を取っていたので、その後ろにお邪魔した。オーナーのOさんにいろいろ情報を頂くなか、このヨットは陸置きだそうで、フォークリフトで上げ降ろしするとのこと。丁度、その状態を写真に収めることが出来た。

その後、自転車で銭湯にいき、居酒屋で一杯やり、コメリで必要な物を買い求めた。

明日は、沈殿して北前船の資料などを調べてみようと思っている。当時、近郊に鉱山があったらしく、その積み出しの港であったようだ。廻船問屋などもあったと記されていたので訪ねてみたい。


男鹿の皆さんありがとう

男鹿の皆さん、おはようございます。7時にマリーナを出港しました。
愚生と同年齢のK藤さん、若いK藤さんと秋田美人のお母さん、その秋田美人の娘さんであるS藤さんご夫妻とご子息、ご友人のMさん、マリーナの秋田美人NさんとハーバーマスターHさん、皆さん、お世話になりました。皆さんのご親切は、忘れません。本当にありがとうございました。

2016年5月14日土曜日

leg24本荘〜男鹿

本荘マリーナを7時過ぎに出港して、男鹿マリーナに向かっている。ここも秋田マリーナの系列で我々は長距離航海者の扱いとかで、1回の料金で3日間の利用ができるので、1日1400円の換算になる。

男鹿マリーナには通販で購入した商品が届いているので、それをキャッチアップする。

今朝は曇りで寒い。今は少し太陽が出ているが、マリーナのオフィスは未だストーブがある。8時30分現在、海域は波があり、真のぼりの風、機帆走で一路、男鹿マリーナの秋田美人を目指している?そのことについては、Hさんからblogにコメントがあったので、先ほど、返信コメントしたところだ。Hさんはワインのオーナー。

13時10分に男鹿マリーナに到着した。国際VHFチャンネル77で入港確認しながらだから、安心できる。

入港手続きの対応は秋田美人のNさん、本荘で噂を聞いたよ、というと笑っていた。ルナ艇長が横から、あなたに会いに来たんよ、と。未だ、イタリア系セーラーを気取っている。
確かに綺麗な人である。それにハーバーマスターのHさんも大変感じのいい青年だ。男鹿マリーナ、いいですね。

マリーナオフィスの前のバーベキュー施設では、数人の方々が魚を焼ている。
挨拶すると、後10分で赤メバル焼けるから食べにおいでよとお誘いを受け、図々しくご馳走になる。それに秋田の日本酒が加わり、なんともまあ、最高の美味しさだった。

両K藤さんにご家族のS藤さん、皆さんには本当にお世話になりました。ご子息に能代迄、ヨットでいかないと誘うとまんざらでもなかった。素直な中3生だった。元船乗りのK藤さん、未だ40代のK藤さん、妹さんご夫妻、お母さん、お孫さん、秋田の人たちの優しさに触れました。あとからMさんご夫妻もお見えになられた。秋田での一期一会。

その間、K山さんは山登りをされた。20kmくらいを3時間で登って降りてきた。男鹿半島の全貌が見え、八郎潟も全て見たと。まあ、その体力には恐れ入る。

今は、ルナバーでまたもやHさんキープのワインに手をつけちゃいました。クロ  デュ モン オリヴェのフルボディ、これは美味い。ごめんなさいHさん。

皆さんにいただいた、素麺のいなり包み、おにぎり、味噌汁、これにワインは、なかなかいけますぞ。

男鹿でお知り合いになれた皆さま、本当にありがとうございました。
明日は能代。





2016年5月13日金曜日

本荘マリーナの秋田美人

14時45分に本荘マリーナへ舫をとる。
途中の鳥海山の美しさは、どう表現すればいいか、凡人では形容する言葉が無い。裾野は新緑の春、中腹以降はまだまだ冬の様相とだけ申しておきましょうか。

ルナ艇長は、海の青さと裾野の家屋からつながる裾野の緑のグラデーションと中腹からの残雪とのコントラストが素晴らしいと、表現されている。
ビルなど一切無い町並みが海上からの見える、本当に綺麗であった。

本荘マリーナに着くと、そこのお嬢さん、まさに秋田美人、これまた綺麗である。
ルナ艇長が思わず、そのお嬢さんに・・・。愚生は思わず、どの口がそんな事を言ってるんですかと。どうも今日のルナ艇長はイタリア系だったようだ。その美人に歳まで聞きだしたと、キャビンでHさんのワインをコッソリいただきながら、申される。またその聞き出し方が、ルナの船齢を例えて聞いたというから、役者が一枚上だと確信した。

まあそのくらい、綺麗な女性であった。
ルナ艇長、K山さん、愚生のそれぞれの写真も撮られていた、どうもHPに掲載するとか。
彼女曰く、男鹿マリーナの女性こそ、秋田美人の典型と、明日はそこへ停泊だ。

コインランドリー、食堂で夕食、今は前述の通り、ルナのキャビンでHさんのムートン・カデ・ルージュをイタリア系ルナ艇長とで頂いている。テレビもよく映るので、なかなかいい。
明日は7時出港する予定。男鹿の秋田美人を訪ねて・・・、明日はまたイタリア系か。

leg23酒田〜由利本荘

やっと酒田沈殿から解放されるとあって、6時出港とした。
昨日、K山さん作のホンダワラ除去治具を使い、ホンダワラはもとより、ロープまでも取り除いたので、今朝は快適なスタートをやり、エンジン回転とスピードをチェックしながら、10数分航行した。

ふと、後ろをみると排気口から白い煙が出てので、コリャなんだと思いデッドスローに回転を落とした。
実はこの泊地は最上川と支流の河口にあり、川が流れ込んでおり、様々草や藁のようなものがかなりの量、浮遊している。
よって、ここではエンジンを廻して充電などすると、冷却水にその草や藁を入り込ませてしまう恐れがあるので、3日間、一度もエンジンをかけなかった。

出港時は仕方ないので廻した。そこで、白い煙・・・。
戻る訳にもいかず、本船の岸壁に仮係留して、それぞれをチェックすることにした。
インレットにあるフィルターの中は番茶の出がらしのデカイようなやつが、タップリ入り込んでいる。フィルターの上部ケーシングからは、青々とした草が出てくる、ホースの中は然りだ。

そうこうしてたら、岸壁警備のガードマンが来られて、ここは係留出来ないところと通告を受ける。愚生はエンジンルームで作業しているので、K山さんとルナ艇長とが、カクカクシカジカと説明してくださるも、そのガードマンは海上保安署へ連絡されたようだ。

で、保安官二人が見えられて、事情聴取が始まる。肝心の冷却水は未だ解決できていない。無線のことやらないやらで、大方一時間の聴取がある。M間保安官、S藤保安官と他の2人の方にお世話になり、ルナに曳航されて港を出た。保安官皆さんが舫を解いくださり、見送りを受ける。

海上にでて、K山さんが潜って、スルハル部を探ると、山ほどの草が孔を塞いでいた。
それを取り除いたので、さあ、とエンジンをかけるもの、冷却水の改善が見られない。エンジンルームから異音画するので、再びチェックすると、インペラーのサクションホースが繋がっていないではないか・・・。インペラー部を触ると温度が高いので、もしやと思い、再度分解すると、インペラーのペラが3枚無くなっているではないか。今度はデリバリー側のホースを外して、欠けたペラの探索をする。

航行ロスを防ぐために、ルナに曳航して貰いながら、冷却水関連の箇所を全て外して、探索すると欠片が2個半見つかる。あと半欠片がどうしても見つからないので、ジャケットまでいっちゃったかと思いつつも、番線でホースの内部をせせると、半欠片が出てきた。
で、復旧させて、エンジンをかけると、いつものように、ブシュ、ブシュと冷却水がスターン部から吐き出されてきた。

まあ、一安心で航行を続けていると、丁度、12時のワッチ交代時にK山さんが、この水なに?と言われる。エンジンルームを再度解放すると、ジャケット部のホースバンドが緩かったようで、そこから漏水していた。更にバンドを締め込んで、復旧させた。
ここまで、濃い半日であった。
K山さんと二人顔を見合わせ、まあ、いろいろ経験させられますね、ニンマリした。

2016年5月12日木曜日

定食屋の焼き魚

夕食は焼き魚定食を食べる。500円也で、いろいろなものがあり、とてもその金額とは思えない。酒田で初めて美味しくて安い定食を頂いた。焼き魚は大ぶりのイワシだが、新鮮で美味い。

実は昨日、かんぽの宿の夕食があまりにも量が少なくて、前日と同じところかと、思うくらいだったので、なおのこと今日のそれは引き立った。
今日行ったところは、昨夕の帰りのバスの車窓からみつけた食堂だった。

飲料水などを購入して、艇に戻り薄めの焼酎お湯割りのいただき、紅茶を飲みながら、文藝春秋を読み続けている。

明日は6時出港とした。


酒田沈殿

時化は続き、今日も沈殿。日本海はやはり大変だ。
地元漁師さんからの情報、次の本荘マリーナからの電話情報などで、沈殿を決める。午後からは天候回復するのはわかっているが、仕方ない。

セブンイレブンで買った文藝春秋を、寝転んで、それこれ、1ページから丁寧に読んでいる。こんな読み方は初めて、活字に飢えるか?

海洋センターに出向くと北前船情報があったので、写真を撮る。そのあと、土産物売り場などをのぞく。鯨のベーコンやホヤなど珍しいものがある。

全くの非日常が3日続く。エンジンをかけて電池の充電などやりたいが、海面の浮遊物があまりにも多くて、冷却水に巻き込む恐れがあるので出来ない。

明日は早目に出港する。


2016年5月11日水曜日

郵便局とケルン

今日は朝から雨で動きが取れない。これはヨットの動きが取れないないではなく、人間のほうだ。酒田入港から、今日迄の沈殿は予定内である。海保の保安官の言われる通りだった。瞬間30mはあるのでは・・・。まあ、凄い風で、艇が前のめりにヒールしている。フェンダー類の補強を済ませて、キャビンにもぐり込んだ。

天気図をみると、温暖前線と寒冷前線の交点が、我々の頭上を通過している。所謂、メイストームってやつか。まあ辛抱するしかない。この時間、blogを書いている。

さて、昨日は酒田本町郵便局を訪問した。局長さんは不在だったが、局の方とお話した。局舎はモダンな作りで勿論、写真に収めた。市立資料館のA原女史が言っていたが、郵便切手やはがきの何かのイベントがあった際に、かなり昔の絵葉書などが見つかったとか。
酒田の市内には郵便局が幾つもある。本町郵便局は多分、その中でも古い部類に入るのだろう。

夜、かんぽの宿の帰りに、ケルンというバーに行った。
カウンターにマッカラン12年があったので、それをというと、じゃあ、ノンアイスのハイボールにしましょうとマスターのリコメンド。それをマッカランのイニシャル入りのシャンパングラスに注いでくれた。

お話しすると、当年とって90歳、ケルンは昭和23年から始められたとのこと。
当時の壽屋、今のサントリーのバーテンダーコンテストで優勝されたとのことで、業界では知らない人はいない、蝶ネクタイとシングルカフスの似合うI山さんだ。

この日曜日に「これっきり晩餐会」を催すとのことで、180人が集うと。
若手の有名なジャズプレーヤーとシンガーが更に晩餐会を引き立てようだ。国内の有名なバーテンダーの皆さんも来られるとか。
それに昨年からバーテンダーI山さんのドキュメンタリー映画を収録中とのことで、まあ、いろいろなお話を聞かせていただいた。

評論家の佐高信さんも酒田に来ると必ず立ち寄るとのこと、前回は小室等さんもご一緒だった由。愚生の髭面を見て、似てますね、と冗談を申されていた。

我々の航海の目的などお話すると、それはそれで、話を合わされ、昔の2合半徳利などを出して来られ、見せていただいた。

I山さん曰く、当時、なぜ酒田が栄えたか。昼間の交易もさることながら、夜のそれも大きく貢献したやに・・・。A原女史もそう言っていたな。
かくしゃくとし饒舌な90歳のバーテンダーの話は尽きない。

北前船の起点と終点の地の酒田。ケルンのI山さん。シャンパングラスに注がれたマッカランのノンアイスハイボールとショパン。これ以上も以下もない至福の時間をルナ艇長とで過ごした。



2016年5月10日火曜日

酒田の街とそこに住む人たち

今朝、第二管区の海上保安官が来艇、明日も出航しないようにと言って帰られた。
そのあと、市中を無料自転車を借りて、北前船のことなどの情報を集めることにした。日和山で北前船の大型模型を見て、山形コンニャクを頂く。おまけにと、コンニャク玉の串を1本追加してくれた。また、美味しい緑茶まで頂く。公園の茶屋でおもてなしが心地よかった。

その後、酒田市立資料館に出向き、調査員のA原女史の説明を受ける。小一時間、女史の説明を受けると、益々、北前船に興味が湧いてくる。素晴らしい説明で、ルナ艇長も大きくうなずきながら聴き入っていた。また課題もできたので、あとはメールでやり取りすることになるだろう。

また女史の紹介で旧鐙屋へ行くと、そこでは案内のご高齢者の女性が、いろいろな話を聞かせてくださる。そのなか井原西鶴の日本永代蔵巻ニの一節を淡々ともうされて、その記憶力には驚かされる。

昼食に酒田ラーメンを食べる。そのお店に佐高信さん寄稿の新聞記事があり、読むとケルンのことが書かれた。昨夜も街を歩くなか、ケルンの横を通ったので、気になっていた。
そのケルンをのぞいてみた、このケルンの話は次の項にしましょう。

昼食の後は山居倉庫を見学、その道すがら、元お相撲さんの把瑠都関に出会い、立ち話をする。彼も船舶免許を最近取得したと言っていた。

大方の用事を済ませて、酒田かんぽの宿に出向いて温泉に浸かり夕食をする。ここで親切な応対をうける。
順序は逆になるが、このかんぽの宿に行くバスの事で、親切な女性がバスの時刻などをいろいろ教えてくださる。まあ、その対応には驚いた。

で、今度はバス停では東北電力の事務所から出てこられた男性とバスが一緒になる。彼から外の風景などの案内を受ける。
その方が降りた後は、今度は福祉バスの運転手さんが、これまた親切な対応してくださる。戻りも同じバスで、その運転手さんは、我々が温泉に浸かり、夕食を摂ってる間に、休憩時間を利用なされ、明日の別の温泉への行く時間などを調べてくれてた。

まあ、本当に親切な人たちだった。

酒田は北前船のスタートとフィニッシュ拠点であるので、当時は多くの人達が行き交ったことだろう。そのホスタピィティが今の時代にも、いきづいているのかなーと、思った。






2016年5月9日月曜日

leg22粟島〜酒田

粟島を6時に出港した。
1時間ほどでホンダワラの餌食になった。海面下にあるそれは、目を凝らしてワッチしても見えない。ドン、という音がする。アスタンをかけて大きなものは除いたが、一昨日のも含めまだ絡んでいる。
K山さんとで、チェーンを降ろして、スクリュー軸を擦って更に除去する。
なんとか5ノットを保ち航行出来るようになる。今日のように海面穏やかなら作業もできるが、昨日のような海面ではとても無理でだ。ホンダワラは毎日のように絡む。

そんなこんなしながら艇は鳥海山を目印に酒田港へと進む。今日はフルメイン、ゼノア150%、K山さんのトリムで時間を稼ぐ。

鳥海山は雄大で、未だ多くの雪を残している。里はやっと春を迎えた感。今日の海上も寒い。出羽富士が目の前に迫る酒田港には14時45分に着岸した。
早速、漁協へご挨拶に出向く。皆さん親切な応対だ。停泊の許可を頂いたあとに、我々の旅の目的である工楽松右衛門の帆と北前船の関係などを説明すると、そんな人達に、ここに停泊してはいけません、なんて、とても言えませんよと仰られた。兵庫県の日本海側の漁協とは連携されているとも申されていた。

疲れを癒す風呂は残念ながら閉鎖されており、かんぽの宿しかないとか。よって今夜は風呂を諦めた。
地元スーパーで買い物を済ませ食堂を探すも見つからず、結局、お好み焼き屋に入り、盛り沢山のものを頂く。お腹いっぱいになった。なかなか、日本海の魚にいきつかない。

明日は、北前船の足跡などを調べることにする。勿論、郵便局も写真におさめねばならない。それに、かんぽの宿の風呂にも・・・。






2016年5月8日日曜日

カフェそそど粟島

そそど粟島というカフェが停泊場所のほんの目の前にある。
そこで夕食をいただいた。プレミアムモルツの生と和布蕪、干し魚、枝豆、玄米ご飯、ブリカマ、スープを大変美味しくいただいた。ヘルシーメニューだから、食べやすかった。

カフェの中もシンプルでおしゃれなインテリアだ。窓越しまじかにヨットがみえるので、思わず写真に収めた。

そそど、とは粟島の言葉で、ゆっくり、と云うらしい。その名前のカフェの店主Sさんは、カラダとココロにやさしいごはん屋さん。数年前に移住してきたとのことで、落ちついたしっかりした若者だ。折角だからということで、愚艇を案内した。彼も、いずれはヨットを持つのではないかなぁと思った。

このカフェに行く前に地元の民宿の店主と小中学生が愚艇を訪問した。丁度、I越さんのご親戚のNさんに頂いた野菜の煮物でみんなで一杯飲んでるところだった。
子どもたちは初めてヨットの中をみたようで、喜んでいた。この子たちは、粟島への留学生とのこと。暫くすると民宿の店主がウドと味噌を持ってきてくれた。
事事左様に、皆さん親切、極まりない。粟島いいとです。

そそどカフェ店主のSさん、粟島で頑張ってください。
粟島漁港の岸壁から夜空を仰ぐと、星がとても綺麗、北斗七星、北極星がチカチカといい具合に輝いている。この光、どのくらい、昔のものだろうか。

今日も港で一期一会。

leg21新潟〜粟島

新潟から当初寄港予定の岩船と鼠ヶ関を飛ばすことにして、粟島漁港へ寄港した。
乙姫の湯とカフェが泊地の目の前にある。

海域は2〜3メートルの波。風は8〜4m程度吹いていた。風は西から南に変わる。
途中、イルカの群に出会う。小さなイルカでヨットの下をくぐったしていた。ホンダワラは相当数ある。前のlegで巻き付いたのだろう、速力が思うように出なかった。

メイン2ポイント、ゼノアは120%くらいの展開での機帆走だが、ホンダワラ海域ではエンジンは中立。まあ、ストレスが溜まる。

泊地も揺れが凄い。フェリーの船員曰く、北海道にある低気圧の影響だとか。早めに風呂に入り、ビールでも飲もうかと話しているところだ。前に地元のカフェも利用せねばならない。

明日は酒田へ向かう。

2016年5月7日土曜日

新潟沈殿

今日は朝から雨だった。
ゆっくり目の朝食摂り、10時過ぎにK山さんと伊勢丹を目指して、I越さんお勧めのソウルフール、みかづきのイタリアを食べる。所謂、細焼うどんにミートソースをかけたもの。美味かった。K山さんは苦手のようだった。

後からルナ艇長もこられ、そこへ案内した。お付き合いでソフトクリームを食べた。そこから、其々、好きな行動に移る。100均で買ったものをその店に預けて街ブラする。

新潟のいろいろな食材や名物品や日本酒を見たくて、再び伊勢丹へ戻り、地下の食料品売場をツアーした。
遅めの昼食に助六寿司のようなのを買って、NOSCのSさんからの紹介を受けた博物館へ行こうとバスセンターへ移動したら、そこでI越さんから電話があり、市内の親戚の方がヨットを見学したいとのこと。では、どうぞということで待合せることにした。

その間、時間があったのでバスセンターのベンチで買った寿司を食べることに。丁度、目の前で大判焼とおにぎりの売店があった。そこの女性達、新潟美人。こちらはヨット雨具の様相なので、変な人に見えたのだろう。

待合せの時間になったので、そろそろと思いきや、そうだ100均ショップに預けたものがあったと思い、慌ててそこを去ろうとした。その慌て方に、新潟美人達が、びっくりしてたような。そんな気がしたような。
然し、こっちの見間違い、相手は意識していない、といったほうが正しいか・・・。

伊勢丹正面玄関でNさんご夫婦とお会いして、ご挨拶する。
その後、係留場所までお喋りしながら歩く。艇内を案内した後、博物館へ案内頂く。ルナ艇長も合流。途中、田中屋本店の笹団子とコーヒーをご馳走になり、お団子のお土産まで頂戴する。また、以外に、キムチや煮物などをご持参いただいた。恐縮の極み。

博物館内はもとより旧税関事務所などもご一緒に見学。博物館には我々の母港の名前が地図に書かれていた。江戸時代の北前船の主要港だったとある。益々、これからの航海でその種の情報を収集しようとおもう。

ご夫婦とは信濃川の畔り大橋のたもとでお別れをする。I越さんへ直ぐに電話をかけて、改めてお礼を申した。
その後、日航ホテルへ立ち寄り、最上階の展望台へ上がってみた。市内を一望する凄い眺めで、眼下にはNOSCのヨット群はもとより我々の艇も見える。

まあ、濃い一日であった。
夕食後、エンジンオイルのチェックを行う。午前中はオルタネーターのベルトチェックなどやった。

明日はNOSCHさんご紹介の粟島港へ行き先変更する。34マイルほどの日本海に浮かぶ小さな島である。


2016年5月6日金曜日

leg20佐渡小木〜新潟

5日ぶりの佐渡からの出港。
朝7時に出港、15時30分に新潟港に着岸した。
新潟港は国際港なので、沖に検疫エリアがある。そこを通り過ごして、一文字の防波堤からアプローチした。

その前、佐渡からは巡航速度5ノットだが、チョットいい風が吹くと6.5ノットはゆうにでる。勿論、機帆走だが、エンジン中立の帆走でも4.7ノット位は出ていたかな。東からの風だった。1ポイント、ゼノア120%くらいか。

新潟オフショアセーリングクラブのメンバーの方々が数日前からメールでサポートくださり、心強い。
港の一番奥にある旧魚市場のピアを案内してくださる。信濃川本流の横で、佐渡汽船のターミナルを入港側から見て左側に予定泊地がある。
入港のあとルナ艇長が無線で着岸場所を連絡されてきたが、NOSCのHさんからのメール通りに進むことにする。

また佐渡汽船と日本海フェリーが立て続けに入港してくる。海上保安部の巡航艇が東側から突如現れエスコートしてくれる。
2度目のエスコートの時に、国際VHFのチャンネル16でコールして、こちらが向かう場所を伝えると、了解との返答がある。またルナとの交信はチャンネル72である旨を伝えると安心されたのか、去っていった。引き続き無線ワッチはされてたんだろう。巡視艇との無線のやり取りは鳥取以来だった。

次に日本海フェリーからチャンネル72で呼び出しを受けたので、こちらの船名を伝へ、コミュニケーションする。多分、巡視艇艇とのやり取りを無線で聞いていたのだろう。フェリーの動きに対して、当然了解し邪魔にならないよう退避行動に移った。今日は国際VHFの実践訓練の場だったような。然し、改めて便利で安心だとおもった。

旧魚市場は静かで波ひとつない。NOSCのHさん、Sさん、それにメンバーの皆さん、その岸壁で待機いただき、舫等のお世話になる。また、漁協のKさんがわざわざお見えになり、停泊許可をくださった。

皆さん本当にいい方ばかりだ、旅先の親切は心にしみるものがある。

NOSCの方々と北前船や工楽松右衛門について立ち話をする。Sさんは北前船のことが詳しいとのこと、そうしてたら、明治時代の新潟港湾図を出してこられた。大変興味深いもの、頂戴した。

皆さんお帰りなられたが、一息つく間もなく、風呂と洗濯に出かける。
夕食が済んで艇に戻ったのは21時頃だった。コインランドリーで、I越さんからも電話を頂く。新潟に詳しいので、サポートしてくださるとのことだが、勿論、遠隔だ。

新潟港、5大港のひとつだったと思うが、結構狭い港だ。
明日は天候不順のため、沈殿だ。

2016年5月5日木曜日

佐渡小木、今日も沈殿

風はともかくとしても、波がなかなかおさまらないので、今日も沈殿。
佐渡からのスタートがなかなか切れないので、ルナ艇長は少しイライラしているようにみえる。昨夜の話し合いで、今朝8時30分に出港か沈殿かを決めるとしたが、結果として、沈殿と相成る。

気温は低く肌寒い。風は相変わらずゴーゴーと唸りマストにロープが当たる音が鳴り止まない。艇の揺れはまだまだあるも、一昨日のことをおもえば緩やかだ。
防波堤の飛沫波は昨日よりましだけれど、時折、真っ白いしぶきをあげている。

たらい舟の客寄せ用の佐渡おけさが、スピーカーから流れ始めた。この佐渡おけさも聴き馴れてきた。

先ほど、I越女史から電話があり、新潟情報をくださる。明日の泊地予定は、明日現地でお願いせねばならないが、そこの了承が得られれば、伊勢丹や新潟駅にも近いので、何かと便利のようだ。そうだ、コインランドリーのありかを聞くのを忘れた、後で電話しよう。

観光案内所へ出向いて、ファックスを使わせて頂く。コーヒーまでご馳走になる。そこに地元の女性が立ち寄られており、いろいろなお話をうかがう。御前と画伯の話しにおよび、なにか親しさを益々感じる。

艇に戻るとルナが給水の準備をされてたので、こちらも給水と船側の汚れ落しなどやる。そのあと、キャビンで緩いBGMを聴きながら、コーヒーと女史差入れのバームクーヘンを頂いている。昨日は11kmも歩いたので、今日はキャビンで少しゆっくりしようか・・・。

2016年5月4日水曜日

小木の午前と午後(再編)

朝食にハムエッグとレタス、野菜ジュース、I越女史差入れのペリカンのパンのトースト、これも差入れのイチゴと冷蔵庫にあったチーズにコーヒーを摂った。

食べ終え、富山から来られた2艇のヨットの方にご挨拶した。鼓動を聴きに来られたとのこと。野外演奏会の時は凄いひとが佐渡小木に集まるそうだ。ひとりの方はホンダワラに出会うたびにストレスを感じるとのことでボンベも積んでいた。もうひとかたは、1月でも2月でも素っ裸で潜るとのこと。そんな雑談であった。

海側をみると防波堤を大きな波の波飛沫が崩れ飛んでいる。風は南西かな、艇は子馬のロデオ状態だ。板状フェンダーの一部が破損したので、防水テープで補修。応急処置だから、戻ったら縫い直しなどせねばならない。

昼食の前に今夜に備えて増し舫をする、フェンダーも増強する。天気はいいが、風は相変わらず、唸り声をあげている。そんなに吹かなくてもいいのに、と思うが自然の中のこと、仕方ない。人間は小さい、何も立ち向えることができない。

午後は町の中を2時間位、散歩した。城山という丘に登ると、グランドゴルフ場があり、地元の皆さんが楽しんでおられた。パーティの人たちと立ち話をすると、何処から来たかと問われたので、カクカクシカジカと説明すると、びっくりされてた。

次legの停泊地である新潟について、新潟海洋帆走クラブへメールを差し上げた。メンバーの方より早々に返信を頂いたので、ルナ艇長が電話連絡すると、ご親切な対応を頂く。
この航海では、いろいろな方々に接して改めて学ぶことが多くある。愚生にとって、とてもいい体験になっている。

今日も温泉に入る、それに外食となる。今日など艇食もいいのだが、キャビンの揺れが大きいので、チョット大変かなということでそうした。地元のお店に入り込んで、何か美味しいものを食べよう。

明日も多分、沈殿だろう。

深夜は揺れに揺れた

昨夜、ルナにいたら21時過ぎから、雨風が強まってきたので艇に戻る。
深夜過ぎに風が南から西に変わるまで、揺れに揺れた。揺れ具合、まあ大変だった。愚生の寝床は艇の後方にあるので、船底に波が当たり、音と振動が直接伝わる。海上でも停泊の港でもいろいろ経験させられる。

小木の泊地は波の入る位置にあるので、波の影響を受けるのは想定ないとのだったので、仕方ない。

今朝は曇り、雨は止んでいるが、昨日に比べ雲泥の差だ。今日は何をするか。工楽松右衛門のことをもう少し調べてみたいと思う、またそのことについて、ホームポートの市長と関係者へハガキを書かねばならない。今日はNPO関連のことをやる。

2016年5月3日火曜日

佐渡宿根木アフタヌーン

お昼に小木から宿根木へ電動自転車をお借りして移動した。山谷あるが、ルナ艇長も愚生もなんのその。K山さんは自前の自転車でグイグイと我々の前を進んで行かれた。

先ずは佐渡国小木民俗博物館、千石船展示館に出向き、工楽松右衛門の情報を仕入れた。確かに展示物に松右衛門帆のことがある。特別な資料はないとのことで展示されている範囲での情報収集をする。然し、それはそれで成果はあった。

そのあと、階段を降りて、宿根木の集落へ、下りおりたところが鼓動の基地の公会堂で、その奥に称光寺がある。住職は勿論不在であったが、本堂にあがり、お参りを済ませて、O画伯の襖絵を拝見させていただく。素晴らしい絵で、流石、ニューヨークで35年過ごされたことからか、色彩の美しさに魅了された。そういえば、昨夜はアンディウォーホルとの交流等話されていたが、近代のそれが、700年続く時宗称光寺の本堂に調和していると感じた。

鼓動の公演は少々間に合わず、昨夜、予約を入れてくださったN岸さんに申し訳ない。午前昨夜頂いたN岸さんのメモが見当たらず、午前中に事務所へキャンセル連絡を差し上げた。メモ、今見つかった。

そこを辞して、遅めの昼食のために入った「たこぼうし」で野菜入りそばを注文したと同時に、O画伯のポスターを見つけたので、ルナ艇長に話すと、それを聞いた奥さんが、えっ、ひょっとしてヨットでお越しの方ですか、と。
昨夜、住職、画伯、I越女史と別れたあと、お酔いになられた住職を寝かしつけたあとの画伯とI越女史とが、そのたこぼうしへ行き、一杯飲みながら我々の話をされたようで・・・。まあ、なんとひとの縁を強く感じる宿根木であった。

この「たこぼうし」のご主人の作る、野菜蕎麦、最高でした。サザエカレーもとても美味しいそうでしたが、両方は食すことはできないのが、残念だった。宿根木のたこぼうし、なかなかいいですよ。住職とも仲がよろしいようで、勿論、O画伯、I越女史のこともよく知っておられた。

その後は、三角屋、その横のグリーンの壁の元郵便局、宿根木の現郵便局などを訪ねた。また宿根木の港には、昨日から停泊のクルーズ船の米国人の一団が観光されていた。

小木に戻り、観光案内所長のK下さんのところへうかがい、特に工楽松右衛門の情報収集成果などお話しした。
夕方、小木温泉で湯をいただき、今日は中華を食べ、只今、ルナでワインとチョコレートを食べながら、blog作成しているところだ。

どうも、明日も明後日も出港できそうにないので、ここでゆっくりすることになりそうだ。小木、宿根木、とてもいいところ。

先ほどから風がヒューヒューと唸りをあげている。いつもながら、スターン船底に波が打ち付けられ、大きな音を立てている。

佐渡小木港にて

朝、観光協会のK所長を訪問した。昨日、ご自身もヨットを持っていらっしゃるとのことで、それもあって訪問した。そこで新潟交通佐渡のTさん、それに役所の若い職員の方も入られて3人の方々と懇談した。

コーヒーをご馳走になりながら、実はこの旅は工楽松右衛門さんを辿る旅でもあると説明した。松右衛門帆や北前船に関係する市町村との連携など図れればいいなど、そんな話題にもなった。まあ、この旅を終えてからのことだ。

そうそう、その前にヨットミス日本海が出航しようとしていたので、舫外しの手伝いをやった。

事務所訪問の後、昨日の皆さんが車で立ち寄ってくださる。O女史に頼んでいたオタマを持ってきくれたのだ。また、昨日はパンやイチゴやその他食材などいろいろ頂いた。女史は今日のうちに新潟へ移動する。またどっかのlegで参加することを約束し別れた。住職のHさん、画家のOさんともまた機会あれば会ましょうと申し上げお別れした。

午後から、自転車で宿根木の郷土資料館を訪ねて、工楽松右衛門さんの資料など入手しようと思っている。

2016年5月2日月曜日

leg19狼煙〜佐渡(再編)

念願の佐渡に到着、着岸しました。
狼煙を5時に出航して16時に佐渡小木に到着したわけです。
航行については、機帆走中か或いは狼煙の港内でホンダワラをくっつけてしまった。K山さんがチェーンを利用したホンダワラ取りを作られ、それを使い大方のホンダワラを取ることができた。あとは彼が潜ってとって下さった。感謝、感謝。

ここで、I越女史とミートした。着岸の時に驚いたのは女史が男性セーラー7人くらいを引き連れての舫取り。なんともそのパワーを意識しないわけにはいかない。女史のお友達である、OさんとHさんとお知り合いになった。これが、凄く濃いお付き合いになった。風呂をいただき、食事もご馳走になる。申し訳なく思うも、流れにのってお世話になった。ルナ艇長とK山さんは一昨年にここを訪れている。

地元のヨットクラブのご好意で、電気、水の供給を受けた。ありがたいことだ、また、クラブのEさんより来港日誌を渡され、印象など記述依頼を受けた。またそのあと、O女史運転の車を山のうえにあるおぎ温泉まで案内してくださった。ご親切に感謝申し上げます。

佐渡の皆さんの人情に触れて、なんか嬉しくなってきた。一期一会と云いつつもそんなレベルでは い。特に食事中はそう感じた。

明日もここで、停泊の予定。今日はホンダワラ、明日は工楽松右衛門の歴史を探索しよう。

そうそう、今日の走りについては海上はとても静かでした。明日は低気圧が近づく、嵐っぽくなりそうだ。

ウトウトしながらのblogアップ。







2016年5月1日日曜日

午後のキャビンの過ごしかた

キャビンで、緩くて優しいBGMを聴きながら、ボーッとしたり本や雑誌などを読むのが好き。とりわけ、沈殿の日などは用事を済ませて、こうする時間はいい。

blogに書きたいことが、今は三つほどある。ルナ艇長もこれは紹介したらと申されている。ひとつはHさんの眼鏡騒動とルナ艇長が涙を流して笑った出来事。次は、川棚温泉に向かうバスでの出来事、これはルナ艇長と愚生のふたりともが感動したこと。あとは、明日の佐渡島でミートするセーラー女史のこと。

然し今は、外の唸る風を尻目に、キャビンで音楽を聴きながら、チョコを食べながら、コーヒーを飲みながら、艇にある本や雑誌を読むことを選ぶ。

昼にいった禄剛崎の狼煙灯台、これはイギリス人の設計とか。年月が過ぎるとともに、文化財になるようなクラッシックな構えであった。その灯台をみて、Hさんのスコットランドでのウヰスキー醸造所を訪ねる旅の話を思い出した。
イギリスの何処かの岬にもこの狼煙灯台と同じようなデザインのそれがあるのだろうか。

さてと野本先生のスピン・ナ・ヤーンでも読み返えそう。そういえば、Hさんへこの本、お見せするのを失念してた。それも眼鏡騒動で・・・。


狼煙沈殿

狼煙沈殿と相成った。
天気予報通り南西の風強く、佐渡島周辺は天候よろしくない模様。

先ほど、イカ釣り漁船は出航、富来に向かったのだろう。

ゆっくりできたので、朝はジャガイモと玉ねぎの味噌汁を作った。だしを強めに味噌は適当、まあ、いけたのでは、と自画自賛。ルナ艇長はパクパク食べておられたが、K山さんは殆ど朝から味噌汁を食べることはないとのことだった。

歩いて2分の所にお風呂でお世話になる狼煙館があり、そこから5分先に道の駅がある。トイレも綺麗。その前が民芸茶屋、食事処。
狼煙泊地の方は、ご好意で電気も水も使わせていただいている。これが揃うのと、揃わないのとでは、沈殿の環境度合が雲泥の差となる。本当にありがたいことだ。

道の駅は行き交う人たちが多い。手段は車、バイク、キャンピングカー、それに我々のようなヨットもそのひとつ。 BMWのオートバイ、オフロード用のようだった。ライダーは愚生と同世代のような。
観光名所でもある狼煙灯台を目当てに皆さん来られているようだ。海から見る灯台、何より航行する船の目標である。

今も外は轟々と風が唸っている。然し、波は昨日入港時より静かのようにおもえる。あのウエーブ、怖さも感じたが、見惚れるほど見事なものだった。

ラジオは日曜討論をやっている、曜日の感覚がだんだんとマヒしてくる。世捨て人とならないよう、世の中の動きについていかなきゃ、いや、暫くは・・・。