2016年6月30日木曜日

leg54大島波浮〜下田

大島波浮港を5時40分に出港、下田港へ向かう。
島周辺はうねりがあったが、相模海域は静かな海面だ。ただし、濃霧警報が出たので、視界は悪い。三陸沖のようなことはないが、濃霧は同じ。フォグフォーンを準備する。

途中、ホンダワラに捕まる。ドンという音がしてスピードがおちる。海面下にそれだから、見えない。
ゼノアをあげていたので、Heave to擬きで行き足をとめホンダワラを落とす。水面に浮いてこなかったので、スクリューがちぎったのかもしれない。この海域のホンダワラは色が違う。速度は問題ない。

またもや、トンボ君がついてきた。
その後、ヨットが近づいてきたので手を振って挨拶した。あと、16チャンネルでコールしたが、応答はなかった。今の海域、小雨ポツポツだ。

伊豆半島が見え、神津島なども見えてくる。
下田沖、当時のペリー船団は、どこに錨泊するかなど、いろいろ考えたのだろうか、など、どうでもいいことを考える。

11時30分に入港した。横抱き係留だ。6艘飛びってところ。
港内でエンジン1500回転させると振動が起きるので、ルナ艇長とで、スクリューゴリゴリをやると、ホンダワラが2本取れた。そのあと、街の中心部で食事と買い物をする。

今日はH部さんがジョイントされる、久しぶりにお会いできるのが楽しみである。と、書いてたら、来艇された。

目の前のコインランドリーで洗濯をする。その後、
ペリー艦隊上陸の記念碑へ行き、下田温泉に浸かる。その後、酒屋で聞いた、いず松陰という、魚料理のお店で夕食を摂る。金目鯛の煮付けを頼むと、そのデカイのに驚いた。食事を摂りながら松陰の話などするも、金目鯛に一生懸命になる。

艇に戻り、H部さんご持参のワインを頂く。明日は福田港。


2016年6月29日水曜日

leg53勝浦〜大島波浮

勝浦を5時、大島波浮港に向け出港した。航行距離は51海哩ほどかな。
勝浦沖の海域はうねりがある。風は安定しないが、強くはなかった。
野島崎灯台沖は、週の半ばからか、出入りの本船は少なく、問題なくクリアした。
ただ、ホンダワラが海面下に漂っているので、ワッチをしっかりやる。然し、海面下なので、見つけるがなかなか難しい。

房総半島を離れると、なんとも言えない波となる。尖ったそれではなく、油を垂らしたような静かな海面なのに妙なうねりがありローリングとピッチングが酷い。我が相棒のオートヘルム君の不得意な波形と波力である。まあ、北太平洋海域ってこんなもんなんだろ。然し、北からくだるなか、こんなのは初めてだ。潮流の関係もあるのかな・・・。風は南西、航路も南西、よって真のぼり、ヘッドセイルも出せない。

昨夜は眠りが浅く、気分がスッキリしない。コーヒーも無くなったので、飲むためには豆をひかねばならないが、その気になれない。
トンボが数匹ついてきた、その後は大きな蜂もきた。また、途中乗船客が・・・。トンボが一匹、愚艇にとまり、波浮港までついてきた。

今夜はまた雨とラジオの天気予報士が言っていた。その後は暫く安定するのかな。もう沈殿はいい。その沈殿の日の過ごし方だが、雨読はそのひとつ。
酒田で買った文藝春秋を酒田で半分読み、何処かの沈殿で読み終えた。今月号は釜石で買った。両号共に、目次から宣伝欄から連載小説までも大方読んだ。艇での3冊目はもういいって感じだ(笑)

波浮港の港口に15時15分に着く。
係留して、文学の道を歩いて、お風呂に行く。途中、波浮港郵便局へ立ち寄るも、残念ながら閉めていたので、風景印は手に入らなかった。局員と立ち話をして別れた。お風呂までの道を歩いていると、帰宅する郵便局の女性が車でお風呂まで送ってくれた。なんとも親切だ。風呂に入り、港鮨でべっこうにぎりを食べる。メダイを漬けにして、大島青唐辛子でいただく。地魚にぎりも最高に美味い。いい鮨屋だ。

波浮港、静かでいい港だ。明日は下田。

2016年6月28日火曜日

勝浦沈殿中

深夜に声がするので目が覚めた。
外を見てみると愚艇の前に漁船が停泊されていた。スカンパーがフォアステーの中に入っている。、1船が戻るとうかがっていたが2船だった。いずれにしても地元漁船に申し訳ないことした。然し、この隙間に着岸、流石、プロだと思いつつ、既に、乗組員の皆さんはおられなかった。

朝早くに愚艇を後方にずらした。ビット1箇所分を移動させた。雨は土砂降りだったが、漁協の好意、こちらも応えなくてはならない。
勝浦漁船、幸運丸のみなさん、さぞかし着岸しずらかっただろうと、申し訳なく思った。

キャビンは補修やシートの乾燥など施したので、殆どドライの状態になった。すごしやすい。びしょ濡れになったカッパを脱いでひと休み。
コーヒーを飲みながら、航海日誌に、この航海を少し振り返った感想などを書きなぐった。航海日誌といっても定型のそれではなく、愛用のMOLESKINEの中判ノートにフリーに記している。

それとこの沈殿続きは、これからの仕事に影響を及ぼしてきた。今月末か来月早々には母港に戻る予定がずれ込んできたので、特に、H川さん、I上さん、A達さん、T中さん、Sさんには大変ご迷惑をおかけすることになってしまった。みなさんには本当に申し訳ない。戻ったら、仕事でしっかりお返しいたさねばならない。

外はまだ雨、昼食はB級グルメで日本一になった勝浦タンタン麺を食べに行こうかな。




2016年6月27日月曜日

leg52銚子〜勝浦

銚子を5時に出港した。うねりはあるが、静かなほうだった。14時45分に勝浦に入港した。早速、勝浦海上保安署の保安官6人から臨検を受ける。
約1時間くらいかかったかな。その間に保安官から漁協の電話番号を教えていただき、漁協の担当の方へ係留許可のお願いをすると、了承してくださった。

臨検の範疇なのか、若い保安官が艇内を見せて欲しいといわれるので、どうぞと。
愚生は他の保安官対応で案内できなかった。実は愚生の寝床は硬さの異なる枕を2個置いているので、同乗のIさんのことを勘違いしたのではと、ルナ艇長、Iさんとで逆勘ぐりして笑った。
そのIさんは、銚子の香海の食事の良さを絶賛、そのことをblogに記述するようと。そしてこの勝浦で艇を離れた。 まあ、別れは感傷的になる。次回はオーバーナイトで・・・。

Iさんを見送ったあと、ルナ艇長がフト、ここが南紀勝浦だったらなーと。その後、銭湯松の湯でお風呂に浸かり、魚屋さん経営の食事処で豚の生姜焼き定食をいただく。本来は魚料理専門、どうも大将が肉屋に豚肉を買いに行かれたようだった。その大将も昔はディンギー乗りだったと。

食事のあと、艇への帰り道、ルナ艇長が、明日は天気の都合にもよるが、午後から少しでも進めようか、千倉迄のleg距離を調べようかとも。
もし千倉から下田アプローチの場合は東京湾をもろに横断することになる。先日の大洗のKさんの助言もあったが、航行は注意がいる。
然し、その後、海保のMICS情報で、関東海域に強風警報が発令され失効予定時間は28日15時となっていた。まあショートlegも無理かも知れないと話し合ったところだ。

このところ稼働率は50%もないようにおもえる、計算するのも嫌になる。
まあ、明日は明日の風が吹くかと、愚生はもはや諦めムード。然し、下田から合流されるHさんをヤキモキさせている、申し訳ないことだ。

2016年6月26日日曜日

今日も沈殿

今日も沈殿。天気晴朗なれど波高し。

朝からマットの天日干しなどをやる。エンジンオイルの点検と300ccのオイルを補充する。ベルトのほうは問題ない。それらを済ませて、3人で街をぶらぶらして、昨日の中華料理の林園へ行く。今日は定食が無いので、五目焼きそばと冷麺を注文する。携帯電話とiPadの充電もお願いする。台湾の女将さん、ご親切に、充電終わる迄、ゆっくりどうぞと。お茶を頂きながら充電させていただく。

その後、ヤマサ醤油の工場見学に行ってみた。ヤマサの創設者は和歌山湯浅の出身だそうで、江戸時代、黒潮に乗ってやってきたとのこと。お土産に醤油をいただく。

夕食は香海で食べることにする。今日はイワシ漁がなくて、おまかせ定食にした。これも大変美味い。勿論、大新でお風呂をいただいてからだ。今日は早めに休んで、明日は勝浦に向けて早めに出港する。

2016年6月25日土曜日

沈殿、Iさん来艇

銚子沈殿。
関東海域は海上保安部からの緊急警報が出されている。
午前中は結構風が吹いていた。午後からも時折強風が吹いているが、雨がやんだので、過ごし易い。
昼食を摂るために駅の方向に歩いていたら、中華料理屋があったので入ってみた。台湾の人がやってるとのこと、ランチメニューを選んだが、これが大変美味かった。林園という名前だった。その帰り際に老舗の醤油味噌屋に立ち寄って醤を買った。

Iさんがそろそろ来られるので、駅からの道を確認しながら艇に戻った。15時前に来られたので、風呂に行き、夕食が始まった。色々な食べ物を持参してくれたので、ビールやワインで晩餐会となった。料理は全て抜群の美味さだ。阿波尾鶏を20分かけて焼く、これに柚子胡椒をつけて食べる。皮がパリパリで美味いのなんのって。
ありがたいことだ。

明日も余波で沈殿となる。ヒゲタ醤油工場などの見学でも行こうかと話しているところだ。

2016年6月24日金曜日

leg51大洗〜銚子

大洗マリーナを5時15分に銚子港に向け出港した。海域はうねりがあり、横を航行するルナのマストトップが波間に隠れてしまう。

我が相棒のオートヘルム君は、時折、カリカリと音を立てている。まあ、ご機嫌を損ねながらも、しっかり航路を維持しくれている。オートヘルム社は既にレイマリン社と合併したので、そのものの名前は無い。然し、自動操舵機を総じてオートヘルムと呼ぶ人が多い。愚艇の君は、今日話題の英国製そのものだ。既に骨董の類に入っており、何度も修理を重ね、それこそ満身創痍のなかよく働いてくれる。

今朝は早い出港なので、朝食を2回に分けた、こんな日はそうしてる。
起きてすぐ、トマトジュースとトマト丸かじり、チーズに納豆と梅干し、水、サプリメントをギャレーで立食。
出港後、セイルをあげ針路を保った時点で、パンとコーヒーにバナナ、オレンジをコックピットで摂る。

往路で減った体重がなかなか戻らない。ルナ艇長も同じと言っている。よって復路の夕食は定食などを食べるようにした。然し、艇の揺れ、シートやロープなど操船で身体を動かす、漁具やホンダワラなど海面の浮遊物のワッチ、航行船舶のワッチなど神経も使うので、カロリー消費は結構あるようだ。ダイエットにはいいのかも・・・。
明日はIさんが食事を持参くださるようなので楽しみだ。

銚子港の港口、つまり利根川の河口は浅瀬でもあるからか、大きなうねりがあった。
早めにセイルをおろす。前にも書いたが、はじめての港への入港はワクワクドキドキだ。

Kさんご紹介の銚子港、狭い航路を一番奥まで進むとセーラー達が名付けたというカレー船、つまり黄色塗装の漁船集団がみえる。そこへ静かに横抱きした。この漁船は6月から8月迄稼働しないとのこと。
創業350年の歴史ある大新旅館でお風呂を借りる。Kさんの仰る通り、徒歩数分のところに、お風呂や香海というイワシ料理、トンカツ屋など食事処がある。

夕食は、お薦めの香海でイワシ三昧、 新鮮で美味しいの一言に尽きる。大洗のセーラーの紹介と伝えると、その方にもお礼を言わねば、と女将さんが申されてた。

海上保安部から、海域の緊急情報が入ってくる。強風、高波に警戒せよ、との指示である。明日は確実に沈殿。駅まで徒歩14分、その途中にマクドナルドもあるので、明日は久々マックランチでもするかな。

今日はゆっくり寝ることにする。

2016年6月23日木曜日

大洗マリーナ

今朝は雨、沈殿している。然し、全体の30%は沈殿だから、なんとも・・・。プラス思考も時折憂鬱になる。ここ大洗は電気もオーナーズルーム、シャワーも整っているので、居心地はいいが、まあ、legを進める方が何よりいい。
昨夜はMICSの緊急情報で、鹿島港付近の海域における本船向け注意喚起のメールが入っていた。風と波に関する走錨注意など具体的な内容だったので、沈殿は仕方ない。

遅めの朝食、ニューペックのleg計画など色々ヤルことはある。
ルナはテレビが観れると言っていたので、こちらもアンテナ工事でもやろうかとおもいつつも、腰が重い。雨読、本でも読むか・・・。とそのまえに給水、そのついでに艇を水洗いした。

午後、事務所の女性がコインランドリーとスーパーマーケットに連れて行ってくれた。助かった。週末はIさんが来るので、ビールなどを調達。

夕方、地元セーラーのKさんから、関東海域のお話をうかがう。色々な情報をいただきながら、太平洋を往復横断したなど、軽く仰る。林さん設計の艇であった。瀬戸内海は渦やら潮などが怖いからなかなか行けないと・・・。もっとお話をうかがいたかったが、夕食のお店が閉まりそうなので、慌ただしく辞した。なんともドッシリとされた方だ。

明日は銚子まで進む。そこへの航行の注意事項や食事処、風呂などなど、Kさんから情報いただく。5時頃には出港だ。





2016年6月22日水曜日

leg50四倉〜大洗

四倉港を5時過ぎに出港した。クラッチセンサーの作動から、出港に少々時間を費やした。大洗に向かう海域は濃霧注意報が出ている。200m程度の視界までになると、横を航行するルナも見えなくなる。
ルナのレーダーに、愚艇はもとより、横を航行した漁船も捕捉できなかったと無線連絡。また、視界が少し良くなると、遠くのうねりが陸地のように見える。このような環境、ニューペックがあるので、安心して航行ができるが、若しなければ、濃霧で方向感覚を失うだろう。

ルナ艇長から、大洗マリーナをやめて、那珂湊港へ入ってはどうか、との提案が無線で入る。その最中に、ホンダワラがスクリューにあたる。ドカンという音とともに、速度が一瞬落ちてしまう。艇の方向をかえて除去するも、幸いにして巻き付いてはなかったようだ。

結局は大洗マリーナへ向かうことになり、電話で予約する。アウトレットモールが横にあるとかで、賑やかなところのようだ。然し先ずは、燃料給油、給水などをやらねばならない。マリーナ利用は小樽以来だ。

小雨の中、16時に着く。燃料は90リットル入れる。この航海で最高量だ。
明日は雨模様なので沈殿することにした。コインランドリー利用などヤルことはある。

シャワーのあと、夕食をあてにしてたアウトレットモールは閉まっていた。夕食場所を探すのに大変だった。

2016年6月21日火曜日

leg49相馬松川浦〜四倉

相馬松川浦を6時に出港した。
朝のうちは濃霧があり、数百メールの視界の場面もあった。近くにいるルナが薄っすらとしか確認できない。うねりも多少残っていた。
その後は波も無い状態で福島原発の沖を通過して、四倉港へ向かった。原発沖では、ルナは3海哩、愚艇は4.5海哩離れての航行だった。

16時に四倉港に入港した。釣りをやっていた若い人が、係留場を案内してくれる。
着岸の準備中に、ルナが浅瀬につかまり動けなくなった。レスキューに行こうとしたら、いや、もう出れそうだ、との無線。

そうこうしてたら、堤防工事のボートがレスキューに向かった。船外機のボートなので、うまく脱出できない。愚艇も舫を解いてレスキューに向かう。然し、ロープを巻き込んだとの無線があり、最終的には工事船の100mm近いロープをウインチで巻いて脱出することになる。曳航されて狭あいな場所に着岸する。そのあと、点検孔でロープを切り取るのは、とても無理とわかり、潜水をお願いする。

ドライスーツに本格的な潜水具の出で立ちに、コンプレッサーから空気を送り込んだ潜水士が、ドボンと飛び込む。そしてスクリューに完全に巻き付いたロープを切り刻んでくれた。併せて愚艇のスクリューも点検してくれた。

ルナ艇長はバタバタしてるので、その間、船長や手伝ってくださる船員さん達にお礼を申し上げると、いいよ、いいよとの返答。
船を持っている地元の人達も集まってきて、お互いさまだと言って、何かと手伝ってくれる。四倉の皆さんの親切な対応、本当にありがたかった。

船長も潜水士の方も誰もお礼は要らないと。でも、と言うと、潜水士の方が帰り際に、ウヰスキーが好きだと云われたので、ルナ艇長に伝える。
艇にバランタインがあったので、それとワインをお渡しした。皆さん大変、恐縮される。
輪島の喜多組の皆さん、本当にありがとうございます。

ホッとして、夕食を摂り、戻ったところだ。明日は早起きして大洗の予定。

2016年6月20日月曜日

leg48鮎川〜相馬松川浦漁港

風警報、濃霧警報が出ていたが、鮎川を出港した。8時45分頃の出港となる。
うねりは高い時は4m以上はある。
風13m吹いている箇所もあったので、メイン2ポイント、ゼノア50/150%くらいにリーフして帆走、それでも速度は7.5ノットは出る。勿論、プロペラはニュートラル、遊転させてのこと。1時間半ほど、セーリングを楽しむ。その間はホンダワラも気にせず、所謂、セーリング・スポーツを楽しんだ。

松川浦漁港には16時入港、ホンダワラ除去、エンジン冷却水フィルター点検を済ませて、栄荘の風呂にいく。そこで、夕食も摂る。

明日は、四倉まで進むので少し長いlegになる。途中、沖出しで福島原発を通過する。



2016年6月19日日曜日

leg47気仙沼〜鮎川

気仙沼を6時出港、約5海哩進んでやっと気仙沼港を出る。濃霧警報が三陸沖に発令されていたが、影響はなかった。

航行はうねりはあり、また、潮流の反流などから速度が出ない。おまけにホンダワラ群があちらこちらにあり、それを避けるのが大変だった。
どうしても、海面下のものは避けられないので、細かな物が巻き付いているのがわかる。微妙な振動があるので分かる。それを気仙沼でチェックするのを失念した。

うねりの中で、昼食の準備が大変、2回に分けて完成させる。海の色はインクブルー、それもディープカラー。深度計はずっとDeepと表示されている。

金華山灯台を回り込むと鮎川。停泊場所がなく、結局、防波堤に舫をとる。艇の乗り降りが大変だ。
真っ先にホンダワラを除去する。次に燃料の補給をやって、エンジンの冷却水フィルターの掃除をやる。ここにも海藻の類が入っている。

大方を済ませて、食事するところを探す。夕食を摂ったみさき食堂のマスターは外航船の船乗りだったとのこと。また鮎川は昔は捕鯨漁業が盛んだったそうだ。今は調査捕鯨で日帰りでミンククジラを捕っているとのことだった。

今、30ノットを超える強風が吹いている。

2016年6月18日土曜日

leg46釜石〜気仙沼

6時に釜石を出港した。釜石海域は波浪注意報が出ていた。確かにうねりはあった。
殆ど気仙沼までうねりはあった。少し離れたルナが波間に消えて見えなくなるのが何度かあった。
先に進んだYさんの艇も波間に消える。無線交信してお別れした。あちらは大船渡へ、こちらは気仙沼へ。

気仙沼の沖合では14mの東寄りが吹いてきたので、暫くセイリングしたが、うねりとブローが強くなるのでやめた。吹き過ぎも如何なものか、だ。

気仙沼港は沖合から7海哩ほどある、狭い水路をひたすら進んだ。
港は広く流石に漁業基地だ。大型漁船がいっぱい係留されている。ヨットを留めるようなところはない。漁協の人がいたので、何処か留めるところはないかとうかがうと、工事中の小型船舶の係留場を教えてくれた。

そこへ何とか停泊することができた。今日の舫取りは完璧にちかかった。その後、ルナが接岸した。丁度、地元のヨット乗りの方が見えら、東などに港はいくつかあり、留めるところはいろいろあるとのことだった。

40海哩少々を8時間かけた。
この係留地は、目の前に気仙沼温泉の看板がある。ゆっくり温泉にでも浸かろう。
今日はこれでアップする。

2016年6月17日金曜日

ルナ艇長の料理

今日も朝から雨が強く降り強風警報も出ているので、出港を諦める。

お昼頃から曇り空から青空となる。Yさんは地元の方の案内で、湾奥のホテル近くの桟橋へ移動された。その地元の方からTシャツを頂いた。

今朝、Yさんから海象ソフトなどを教わったので、早速、契約した。ルナ艇長にも勧めたら同じように契約された。英語版だが、いろいろなデータがあるので便利そうだ。残りのlegで役にたつだろう。

お昼にルナをのぞくと、艇長が野菜を切り、焼きそばを作っていた。先日のイカの皮むきといい、今日の包丁捌きといい、料理は出来ないというのはどうも、そうではないようだ。

15時過ぎに、鶴の湯まで自転車でいき、夕食を買って帰り今日はルナで食事をする。このイオンもよく通った。

明日は気仙沼。

2016年6月16日木曜日

ボートピープル

今日も朝から雨。書きたくないが、沈殿。

よって朝のバスでイオン通いとなる。ルナ艇長は、もう歩くのはいいと、午後の戻りバスまでイオンにいた。艇長は本屋で舵の立ち読みをされ、その中に掲載されていた海象予報ソフトwind guruにアクセスされていた。

戻って来ても何もすることがないので、お茶を飲んで、クッキーを食べて、本を読みながらラジオを聴いて、少し昼寝をしようとしたら、函館で地震との報道。函館のMさん、大丈夫だっただろうか、と気になる。
酒田のIさんからメールをいただいていたので返信した。Iさん、酒田市の女性学芸員で、あることを調べてくださってて、その連絡だった。ケルンのことも思い出した。

夕食を愚艇で摂りながら、明日も出港できんかもなーと話した。明後日は回復するので、それを待つしかないかも知れない。
その後、YさんがTシャツを持って来られた。知人の知人が釜石におられ、その方がトライアスロンの役員とかで、Tシャツを頂いたと、ルナ艇長と愚生におすそ分けくださる。

そう言えば昨日夕食の際、Yさんの奥様がボートピープルと言われていたが、まさにその通りだ。

雨読用に昨日買った文藝春秋七月号を、また隅からすみまで読んでいる。

2016年6月15日水曜日

沈殿と再びヤンマー

今朝早起きしたが、天候おもわしくなく沈殿となった。
地元の商業船の船長さんとも仲良くなり、いろいろな話をする。

バスの時間に合わせて、釜石イオンへ出向き、ソフトバンクで用事を済ませ、昼食を摂りまたもや買い物をする。
その間、ヤンマー大船渡へ昨日のお礼とちょっとアドバイスを受けようと電話する。HさんもSさんも留守だった。

買物から帰る途中、艇近くでヤンマーのHさんから電話を頂いたので、お礼を申し上げ、助言いただきたい旨申し上げる。その内容について的確な回答を頂く。

ほどなく艇に着くと、なんと、HさんとSさんが係留場におられるではないか。近くで仕事をやっておられたとのことで、わざわざ艇に立ち寄ってくださっていたのだ。つまり電話はそこからされていたわけだ。

早速、艇に乗り込みチェックをやってくださる。愚生の疑問点やら問題箇所の全てがクリアになった。ディゼルエンジンの回転数などを含めて、メーカーの経験深いプロ技術者のアドバイスは理論と実際が両立し大変解り易い。エンジンについて、本当にスッキリした。価値ある沈殿日を実感した。

その後、Yさんの奥様が料理を作るので、一緒に夕食しましょうとお誘いを受ける。
ルナ艇長とでおよばれになる。野菜と魚と肉の手料理をいただきながらワインを飲む。大変美味しい料理に舌鼓。ワインも料理に合い旨い。いろいろなお話は大変参考になる。

食事の後、ブランデーを飲みながらチョコレートを食べると、話題は多岐に亘る。
ルナ艇長、Yさん、根っからのヨット好きであることが、話題のあちこちで垣間見える。その経験談は深い。奥様は提督と呼ばれている。

今日の沈殿は価値あるものだった。

2016年6月14日火曜日

ヤンマー大船渡の人たち

ヤンマー大船渡のHさんとSさんが、午後、部品やオイル、またVベルトを購入して持って来艇くださった。今から営業所を出ますとか、釜石市内に入ったとか、何度も電話をくださる。

到着したら直ぐさま、エンジンルームに入り込み、折れ込んでいる部品の取り外しにかかってくださる。
逆タップは相手の材質が軟性なので上手くいかないようで、細かく砕きながら外された。ギヤボックスに砕いた材が入らないよう慎重に作業をやってくださる。

無事に作業が終了したので、コーヒーでもと思ったが、お二方とも、寡黙な方々で、次の仕事の場所へ移動された。
お見送りして、何度も頭をさげた。勿論、お礼のメールを差し上げた。
ヤンマー舶用システム株式会社東北営業部大船渡営業所の顧客サティスファクション、本当に素晴らしいです。

その後、ルナ艇長と話した、この旅のなか、逢う人、会う人、本当に親切な方々。これって本当になんだろう・・・と、今日も深く思った。今日は本当にありがたかった。
ご親切は忘れません。

2016年6月13日月曜日

釜石沈殿エピソード

海上は強風注意報が出ている。予定通り、沈殿となる。外は雨。
朝一、ルナのほうを見ると、Iさんが起きてる。どうした?と聞くと、漁師さんから魚貰ったと言うではないか。見ると、ハマチ1本、7〜80cmはあるかな。 まあ、朝から驚かせてくれる。
で、お礼と天気のことをうかがいにいく。そこでとても活気あるシーンを見せてもらう。若い漁師さん達が活き活き働いている姿を見てるとなんか嬉しくなってきた。
ハマチのお礼を申して、天気の具合を聞くと、ヨットを見て、今日、明日は出るのは止めた方がいいと、若い船長がいう。

その旨、ルナ艇長に報告する。一方、Iさんはハマチに格闘しようとしてたら漁師さんが来られて、さばいてやるよと。そうこうしてたら、別の若い漁師さんが氷を沢山持ってきてくれる。
さばく漁師さん、氷を運ぶ漁師さん、指示する漁師さんと若い船長、まあ、皆さん、親切この上ない。指示する漁師さん曰く、うちは社長が良いから、社員皆んなも人が良い。泉佐野水産の青いユニックを見たら、何処でも声を掛けてくれと・・・。

サクにおろしてくれた4身をいただき、Iさんの手料理である、カレイの煮付け、カブ、キャベツ、人参、胡瓜の一夜漬け、グリーンピース茹でサラダ、キャベツと玉葱の味噌汁、それにハマチの刺身、これで土鍋炊きごはんをいただく。料理も味付けもプロ級、それに手早い。まあ、美味いのなんのって、久しぶりにゆったりとした朝食を摂った。写真に写したのはもちろんのこと、blog掲載できないのが残念。
ラジオで、政府が若い農業従事者と漁業従事者に農業士、漁業士認定をするとか、報道している。さっきの若い漁師さん達に、もっと目を向けないとならないと更に感じた。

そのあと、ヤンマーへ電話する。ここもいろいろ対応くださる。
エンジンの部品交換をせねばならない、厄介な壊れかたをしている。それを外さねばならないが、本来の道具があればいいけど・・・、贅沢は言えない。今この艇にある道具で解決せねばならない。部品は明日、東京の部品センターから届くようだ。また、この部品の受け取り方も解決していない。

一応やれることをやったので、Iさんを見送りに街までバスで行く。ルナ艇長は所用があるので、そこで皆バラバラになる。Iさんは電車と新幹線を乗り継ぎ戻ると釜石をあとにした。別れは少々感傷的になる。

と、このあと、大船渡ヤンマーのHさんが、大船渡から釜石まで部品を持ってきてくださるとの連絡がある。よってオイルもお願いする。また、ヤンマーの部品でないVベルトまで手配くださる、それも自動車屋にあるベルトがいいからとそれを買って持っていくと。上記の本来道具である、逆タップまで持参くださる。大船渡ヤンマーのHさんの対応、本当にありがたい。

夕食の際に、ルナ艇長が、この旅では、いろいろなことがあったが、それを対処してきたなーと、ポツリといった。自然相手プラスに、このようにハード部分の修理やメンテナンスが付いてくる。なんでもセルフハンドで対処せねばならないが、そこもまた楽しいところかな。

それにIさんの話になり、その中で、ルナ艇長が、昨日の時化と濃霧のセーリング中、Iさんは、こわがりもせずだったと、感心していた。

明日も沈殿。エンジンの修理を終えたら、風呂でも入り、Iさんの作り置きしてくれてる料理をまたいただくことにする。

2016年6月12日日曜日

leg45宮古〜釜石

宮古を6時に出港した。ルナにはIさんが乗艇している。
途中で、漁船が大漁旗を揚げて連なって航行していた。何かのお祭りだろか、お互いの手を振り合う。

本州最東端のトドケ崎灯台を越えるのに、向かい風と波と潮も影響してか、対地速度で2ノットしかでない。FM岩手を聴きながら、我慢する。
そこを越えると東の風が少し強くなり霧も出てきた。所謂、小規模なやませなんだろうか。波の強さに翻弄される、速度は相変わらずでない。

瞬く間に、四方八方、濃霧で視界300mあるかないかの状況になる。
風は南南東15m位はあったかな、それものぼりだ。波は変な三角波がたって打ち付けてくる。ドジャーにはスプレーではなく波が直接あたる。先日、クリンビューを塗布してたのが効いてか、水玉になる。
エンジンはいつもようなご機嫌さが少々欠けるので、ルナに交信すると、ルナの無線は電池切れ、携帯電話は圏外とまあ・・・、こんなもんだ。

然し、太平洋、東北の海も手ごわい、手ごわい。

釜石港に入港すると、今度はタグボートが近づいてくる。危ないから反転するも追っかけてくる、それも3隻。そのうちの1隻が数10メートルまで近づき、乗組員が大型船が入港することを伝へてくる。VHFチャンネル16で会話出来る旨を伝えて、あと諸々話し合い、ついでに係留場所を聞くと、親切に教えてくれた。ルナにもそれを中継する。

舫を取った後は、遅めの昼食、Iさんお手製の焼きそばを頂く。その後、エンジンのチェックを行い、オイルの補充、冷却水用フィルターの掃除など行う。フィルター内は言わずと知れた、海産物が入っている。明日、ヤンマーへ連絡せねばならないことがある。

その後、街まで歩き、鶴の湯の風呂に浸かり、食事をして、タクシーで戻る。途中で係留場所が判らなくなる。挙句果てに、タクシーを降りて周囲を見渡している愚生を置いてけぼりにしてタクシーは出発してしまった。車中のドライバーを含めた3人は気付かないのか?まあ、不思議な出来事であった。

本日の濃霧、強風、三角波対応の機帆走訓練の後は、このお笑いでしめる1日となった。
明日は天候不順もあって沈殿。


2016年6月11日土曜日

leg44久慈〜宮古

久慈を6時に出港した。出港準備してると、地元の人たちが来られて、お話をされる。
天気が崩れるようで、宮古では沈殿の可能性が出てきた。
皆さん、舫を手伝おうかとか、気を付けて航海するようなど、言ってくださる。今日曇り少々寒い。然し、北海道を思えば、どうってことはない。
それから宮古には、Iさんが来られるので、楽しみだ。
10マイルを過ぎる頃は、東の風、ポートサイドアビームだが、まあ安定しないだろう。

ドジャーの中に入り込んいる。ステアリング操作、メインシートとゼノアシートのウインチ操作、ファーラーの巻取操作など、殆ど、ドジャーの中で出来る。
愚生作のベンチもなかなかいい。そこに座って、ニューペック海図を外付けモニターで確認しながら、である。

エンジン操作はステアリングのところでしかできないが、一度回転数を決めると、あまり行く必要がない。
函館でお会いした39ftをシングルハンドで操船されるMさんも一度セットしたら、ドジャーの中に入りステアリング場所にはいかないと仰っていた。シングルハンダーは皆さん同じだ。

但し、ワッチは重要だ。ドジャーのフロントをクリンビューで処理したのもその為である。

Mさんは自作のハードドジャーにガラスをはめ込んでおられ、それにUVシートを数枚貼り付け、更に水を弾く溶剤を塗布しているそうだ。
皆さん、快適性を求めていろんな工夫をなさっている。ただ天気のいい日はポカポカしてウトウトするので、注意が要る。

丁度、右舷に北山崎の景勝地、断崖絶壁が見える。やませの発生場所でもあるようだ。確かに霧がかかっているのでは。現在、9時過ぎ。

13時過ぎに宮古へ着岸した。岸壁にいた方が舫を手伝ってくれる。艇の固定を済ませ、落ち着いて黙祷する。
Iさんも丁度来たので、取り敢えず、軽く乾杯をする。道の駅の横の岸壁なので、そこで魚や野菜を購入する。安いのなんのって、と云っても主婦でないから・・・、然し安い。

そうこうしてると、工事船が入港して来て、舫っている場所を譲ってくれと言われてこられたので、50mほど移動させる。
愚艇は重いと引っ張るルナ艇長が言われる、確かに重たい。

それを済ませて、バスで風呂へ行こうと歩いていたら、工事関係者に車で送って貰うことになった。これ、Iさんの折衝。
風呂に入り、買い物を済ませ、食事をした後、タクシーをと思うが、つかまらない。そうしてたら、またもやIさんの折衝で、送って貰えることになった。

明日は釜石だ。

2016年6月10日金曜日

leg43八戸〜久慈

八戸を6時30分頃出港、Yご夫妻とブルくんのお見送り受ける。
12 マイルほど航行したところで、八戸のMさんへお礼の電話を差し上げた。その折、久慈の情報などいただく、本当にありがたいことだ。

今日は天気もよく、気持ちがいい。海上はうねり、不規則に沢山の漁具が浮いている。然し、海ではこれは当たり前、漁具は避け、うねりには翻弄され航行する。
海上で、昨夜やっと購入できたクリンビューでドジャーをクリンアップした。透明度が増したので、気分がいい。

久慈には13時15分頃着岸した。丁度干潮時、デッキと岸壁は2m以上はあるので舫を取るのが大変だ。ポートサイド係留はプロペラの逆転利用と、愚生の運動神経?で、ヒョイとよじ登り、舫を取った。我ながら・・・(笑)

T海事の船員の方が船にいらしたので、先ずは係留をお願いすると、いいですよと快く言われたので安心した。
暫くしたら、同社のT社長が見えられたので、係留のお礼を申し上げ、少々お話した。
津波でヨットを失ったとのこと。また、その後、長崎でクルーザーを買われ、ご自身で操船、持ち帰ったとのことだった。
また、以前、超有名俳優の故Iさんの船を買われたとのこと、小樽のI記念館には何度も足を運んだと申されたので、ルナ艇長が同館で帽子を買われたことなど雑談した。

岸壁とデッキの乗り降りのため、吊り梯子を取り付けた。ルナはアルミ梯子をサイドステイにセットした。デッキに立つ、目の前はコンクリートの壁。
今日は事情から食事は夫々の艇で済ます休養日とした。港内で黙祷。

明日は宮古、Iさんが乗艇される、お会いするのは佐渡島以来だ。
最近は目が覚めて、準備が整えば出港するというスタイルにしている、明日もそれ。










2016年6月9日木曜日

leg42白糠〜八戸

昨夜、6時時点で雨模様だったら、沈殿しようか、と話していた。今朝早くに漁師さん達が出港する。横抱きさせて貰ってる漁船も出港し始めたので挨拶して天候を聞くと、波静か、風はないよ、と。よって5時30分過ぎに出港した。

港口でイルカが見送りをしてくれた。
2ポイントの機帆走で航行してると、漁具が見えたので、注意してたら、なんと、海面下にもブイが沈んでいて、急旋回した。それも白色などのブイだった。ルナに無線で知らせる。勿論、ニューペックには記載のない漁具だ。
八戸の8マイル前で南東の風が吹き始めたのでジブを出すといい具合にコースにも乗った。

港は何処も初めての入港のところなので、ワクワク感とドキドキ感が入り交じる。今日の八戸港は八戸大橋をくぐり、酒造メーカーの近くに停めさせて頂く予定。ここまでは正午の記述。

14時頃に八戸港へ入港、後方にフェリーが来たので、針路確認等をVHFで交信する。
で、八戸大橋をくぐり、その位置へ向おうとしたら、陸から大きな声が聞こえる。見ると、案内するよという合図が見える。

で、指定場所にいき係留してホッとしてると、漁師さんが、ここは駄目、と云いに来られた。燃料を注文していたので、その対応をやりながら、お世話いただいたMさんへ連絡すると、早速お見えになり、折衝するも移動をせざるを得なくなった。雨も強くなってきたところだったが、移動した。
案内いただいたMさんのプライベートバースへ行くと、Yさんもそこに係留されておられ、舫を手伝って頂いた。皆さんずぶ濡れになっていた。

ここは、風呂、ショッピングセンター、コインランドリーなど、必要なものは全てあるので、大変便利だ。
然し、もしMさんとお会いしてなければ、先ず、はじめに停めた場所すらわからなかったし、多分、港内をウロウロしていたことだろう。本当にお世話になり、申し訳けなくおもった。
立ち話で、Mさんは函館のMさんを真似てると仰っていた。
個人でバースまで持つとは・・・。

洗濯、買い物、食事、一度艇に戻り風呂で終了。明日は少しゆっくりめで久慈港を目指す。








2016年6月8日水曜日

leg41下風呂〜白糠

朝、5時30分過ぎに出港する。その前に我々の艇の間にある漁船の漁師さんから、白糠の情報をうかがうと、イカ釣り船が多いので係留し辛いかもなー、とのこと。
また、今日は風が無いから、海上はいいよ、気をつけてと青森弁で申された。風、あり過ぎも困るが、なさすぎも困るなーと。案の定、殆ど無い。下北半島を回り込むとうねりだけは、しっかりとある。

白糠港の入港について、未だ、どうするか、と無線で話している。7時過ぎに函館でお会いしたMさんに電話して参考情報を得ると、八戸から白糠を飛ばして、下風呂へ入港されたとのこと、理由は霧で白糠へ入港出来なかった由。なお、今日、沈殿されていると申されていた。
そんな、こんなをルナと無線でやり取りをやってたら、プツリと切れる。電話すると、電池切れだと。暫くしてコールすると、まだ通じない。今度は充電のケーブルが抜けていたと・・・。

diana krall のボサノバを聴きながら、日本茶にぬれおかきを食べ、この部分のblogを書いている。音楽は洋物、たべもは和物、和洋折中。ルナでは大きな音量で多分、昭和のなんとかを聴いておられるのでは。いや、好きなクラッシックか。途中の風景は最高だ。下北半島の端はなかなか見応えがある。
然し、ワッチは徹底的にやる。ホンダワラが本当に多い。潮目に集中してプカプカ浮いているのはわかるが、海面下に漂っているのには、どうもこうもない、参ってしまう。

そんな海域、お昼頃には先行してたfree spiritになんとか追いつき、同時に白糠港へ入る。この港口、聞きしに勝る狭さに驚いた。

入港してたら、漁師さんが手招きされるので、そちら方向に行く。そしてここへ舫を取ればいいと、案内してくれる。着岸寸前に、漁協の若い職員が来られて、別の場所へ留めてくれとのことで、仕方なく移動した。然し、lそこへいくと、底がつかえて、係留は無理。

困惑してると、先ほどの漁師さんが迎えに来てくれ、元の場所で大丈夫と。再び移動すると、先ほどの若い職員もおられ、舫をみんなで取ってくれる。但し、ルナと横抱きとなる。ひと段落して、お礼にうかがった。厚かましく、トイレと水、それに電気までをお願いすると、快く、いいですよと。トイレは一晩中開けておきますと云ってくれた。一瞬にして白糠マリーナと化した。荷捌き場の上屋に係留しているから、夜はナトリウム灯で足元も明るく、安全この上ない。

但し、ここ白糠港は風呂も食事するところも無いと言われたが、先ほどの漁師さんが、食事の場所まで車で送ってくださるとわざわざ艇まで来られた。
本当に親切な方たちだ。
free spiritは、既に別の場所に係留されていた。3艇も無事に停泊できよかった。

今晩はくれない亭で、舞茸入り湯豆腐とちらし寿司を作る。ご飯はルナ艇長作。お腹を一杯にして、二次会は、ルナ亭でテレビを見ながら、既にスコッチ炭酸割りを飲み始めた。
明日は白糠も八戸も、どうも雨模様、沈殿の可能性大。それはそれで、やることはいろいろある。



2016年6月7日火曜日

leg40函館〜下風呂

いよいよ、北海道を離れる。北海道の皆さんには大変お世話になり、ありがとうございました。

先月松前へ入港して、函館を離れる迄の不稼働率、つまり沈殿率は50%くらいあったのではとおもう、その分、皆さんとお付き合い出来たことになる。
今朝は6時30分出港、予定より30分早くなった。既に、2艇は出港していて、Mさんは松前へ、Yさんは、下風呂に向かう。天気は晴れ、波もさほどない。

出港2時間、やっと津軽海峡の潮流に乗ったようだ。この潮流は対馬海流の流れ込みだとか。7Knは出ていた。潮の流れ、自然現象とはいえ、凄いなーとおもう。

風は毎度のことだが、のぼり、南東。のぼりとは、むかえ風で、ジブセイルは出せない、風の抵抗はあるはで、いいことない。この比率も50%を越えているとおもう。

下風呂には12時15分に入港した。漁師さんに係留のお願いにいくと、お疲れさん、よう来たなー、早よ温泉へ浸かれ。イカも持ってけ、と6杯も貰った。
早速、イカ刺し、卵でイカそうめん、下足はオリーブオイルと中華香味で炒めて、箱入り白ワインを飲むと、イカした味となった。
ルナ艇長もイカの皮むきを手伝われたが、手つきは板前さんだった。

片付けして、大湯へ行く。
源泉かけ流しで、熱い湯舟と普通の湯舟とあるが、普通の湯舟も熱いのなんのって・・・。風呂場の床はヒバの木が敷き詰められ風情がある。そこに座り込んでいろいろな話をした。旅の話や次の港情報などなど、ひととき、社交場なった。
この温泉、室町時代からあるとのことだった。

函館をひと足早く出られた、Yさん艇は我々と離れた場所で係留されている。
明日は白糠港を予定しているが、イカ釣船が多くいるとのこと。これも、温泉臨時社交場での情報。

下風呂は温泉は勿論、食品店なども近くにある。また港の前には風間浦郵便局があったので、ハガキに風景印を押印して貰いいながら雑談をする。女性局員は地元、男性は大間から転勤してきたそうだ。

下風呂港、静かで大変いい港だ。

2016年6月6日月曜日

函館で一日過ごす

函館で工楽松右衛門の足跡を探してみたが、残念ながら見当たらなかった。
高田屋嘉兵衛の資料館で海の総合商社北前船と云う本があり、それには工楽松右衛門の名前が記されていた。ルナ艇長は市の図書館にこの本があるかどうか、戻ったら調べてみるとのこと。

坂の上の旧英国領事館などをポタリングした。泊地はウイークデーにも関わらず観光客は大変多い。ポタリングから戻り、Yさんのメンテナンスの重しのお手伝いをする。スターンを浮かすための重りだ。

ひと休みしていたら、艇にセーラーの方がいらして、コックピットでコーヒーを飲みながらお話した。いろいろな経験の持ち主で話題豊富の方だった。
K山さんとでホンダワラの除去作業をする。除去チェーンに何度か擦ると付着してくる。

その後、泊地で愛媛から北海道を一周するMさんもフラリとお見えになったので、いろいろお話する。ジャヌー39をほぼシングルで操っておられる。自作のハードドジャーはガラス張りで、UVカットシートを貼り付けているそうで、とても手作りとは思えない。舫には一部ステンレスチェーンを使うなど、あちら此方に工夫が施されている。九州から北海道を半年近くで周航なさっている最中、我々の活動海域にも来られたことがあるとのことだった。
そうしてたら、函館のMさんもお見えになり、引き続きの立話をする。当然、ヨット談義。ルナ艇長にMさんをご紹介する。万灯祭の案内を差し上げるので、是非、お越しくださいとルナ艇長が申すと、以前、そのエリアで仕事をなさったことがあるとのことだった。

折角、函館に来たから、急遽夕方、函館山にケーブルカーで登ることにした。その途中にある五島軒に立ち寄ったら、1時間半待ちとのことだったので予約した。
函館山からの夕暮れ風景を観て、花より団子、早々に帰りのケーブルカーに乗り込み、レストランに直行した。
待つことなくテーブルに案内され、久しぶりの西洋料理を頂く。ここはカレーも美味しいので迷ったが、今月のお勧め料理を頂く。老舗のそれは、やはり美味しい。

明日は北海道を離れて青森の下風呂へ向かう。ここもいい温泉があると、両Mさん談。
潮流を利用しながら津軽海峡を再横断する。


2016年6月5日日曜日

leg39松前〜函館

松前を6時30分に出港した。やっと函館を目指すことができる。
津軽海峡の本流に乗ろうと、8海哩沖出しする。途中、ホンダワラに捕まり、もたもたした。その後、立ち直り対地速度で9ノットまで出てた。気象庁のリアル潮流をみると3ノットくらいだったとおもう。

9時半過ぎに函館金森レンガ倉庫洋物館のMさんへお電話を差し上げ、係留お願いをする。快く大丈夫ですよとご了解を頂く。これで安心だ。
14時過ぎに函館港金森倉庫前に舫をとった。やっと函館だ、はるばる来たぜ函館♬🎶
Free Spiritは30分早く出港して、白神岬の沖を凄いスピードで進んでいた。
我々より50分位早く接岸されたとのこと。

Mさんも出迎えてくださり、舫のお手伝いまでやっていただいた。そのあと、ルナ艇長、Y艇長と3人でMさんのジュエリー・ショップ チャートハウスへ伺い、ご夫妻にご挨拶して、入港手続きをする。そこで周辺情報、ゴミ、水等について事細かく、お教え頂く。Mさんは長距離航海をするセーラーの間では有名な方だ。勿論、海外から来日するセーラーとヨットの面倒をみられているので、海外にも知られている。

丁度、この函館が北海道最後の寄港地、そこでMさんのご親切などをblog投稿していたら、愚艇にお見えになられたので、ルナ艇長とでお話しする。白神岬の回流潮のことやら、ロシア艇を交えた親善レース、津軽海峡横断レースの歴史、クラブレースの第1回が今日行われたことなどうかがう。函館ならではのお話だった。

横浜タモリカップにも参加する艇があるとうかがったので、JSAF外洋内海のパーティでの仕掛け人、Yさんのスピーチ内容をお話して、函館に誘致されては、など雑談した。
短い時間だったが、コックピットが楽しいコミュニケーションの場に変わった。

愚生からは、北海道へ到着後、小樽往復の寄港地で、地元の皆さんに親切を受けたこと、それを意図的にblogに事実を一部始終を記述した理由などをご説明した。

係留ロケーションは函館山の麓、レンガ倉庫の岸壁、絶好の場所をそうなったのは、長い時間、行政との折衝をおこない、今に至ったとうかがうと、本当に凄いなー、と思った。ハードもソフトも全て揃っている。
そのご努力の結果、内外のセーラー達がMさんを頼って来函する。世界のセーラー達へのおもてなしが、北海道玄関の函館のここにある。

明日もこの係留地で楽しい時間を過ごせることおもうと、嬉しくなってくる。徒歩1分にスターバックスがある、朝食はそこで・・・。


2016年6月4日土曜日

松前沈殿中にYさん入港(再)

今日は予定通り沈殿。寒いのでベッドの布団に包まって過ごしている。家庭では当然ストーブに火が入っていることだろう。建物は殆ど暖房がきいている。

函館海上保安部の沿岸域情報提供システム(MICS)の風速情報は、竜飛崎灯台で南西16mを超え、北海道側の恵山岬灯台も同じ風向風速なので、津軽海峡は南西の風が吹き抜けている。この風がおさまらない限り出港はできない。津軽海峡もやはり厳しい。

函館へは津軽海峡の潮流に乗るといいと、小樽のK地さんが言われてた。松前からだと、海峡に沖出しして潮に乗る。気象庁の潮流シュミレーターでは、5ノット流れもこともあるようだ。勿論、天候回復後、天候変化のない時を狙う。愚生もルナ艇長も、昨日のような目には出来るだけあいたくない。愚生は元来臆病である。では何でこんな自然相手の旅に出かけたか・・・、自身もよく解らない。

6月号の文藝春秋、残り少ないページ、ペースを落としながら読んでいる。外は風雨が強まったりで、町の温泉も行けない。

外に気配を感じたので出てみると、Yさんご夫妻の乗った艇が入港してきた。早速、ルナ艇長に連絡、お迎えした。何処かであるだろうと、話していたので、松前とはとびっくりした。小泊から来られとのこと。青森は天気良く出港、途中雨にあったが、快適に津軽海峡を渡ったとのこと。わんちゃんを連れての航海だそうで、舫を取ると奥さんと散歩に出かけていた。まあ、世間は狭い。

午後、岸壁前の松前鉄工さんから水を頂く。気のいい鉄工所の方が、ニコニコしながら、使っていいよと。約90リットル運んだ。昨日の打撲が痛むが、なんとか入れた。

明日の函館へは、津軽海峡の中間海域まで行き潮に乗る算段だ。松前鉄工であった漁師さんもそれがいいとのアドバイスだった。ルートの概要まで教えてくれた。
また、昨日の波は潮流と強風がぶつかりあい、変形した複雑な三角波を起こしている。漁師さん曰く、潮波と云うと。
彼は漁協のトイレにまで案内してくださり、その福祉施設の畳で寝るといいとまで言ってくれた。俺も船で旅したいなー、とポツリと言われてた。小樽から松前まで結構時間を要した分、各地でいろいろな人にお世話になったと話すと、北海道の人間は濃いからなー、と言われてた。話をしてるうち、この人もその濃い人のひとりだろうな、とおもう。

その漁師さんと別れて、ルナ艇長とで徒歩で温泉へ行き夕食した。セーコーマートで好きな物を買い、帰りはタクシーで帰ろうと申されたので、昨日のタクシーに電話して迎えに来て貰った。

Yさんご夫妻も明日は津軽海峡の中間海域まで行き、函館へ向かうとのこと。また、あちらで会うことになる。

明日は天気は良さそうだ。



2016年6月3日金曜日

leg38江差〜松前

いよいよ、江差を出港した。6時出港だが、なんとなく早い方がいいのではと思い、5時30分過ぎに出港した。
27海哩くらいまでは海面もさほどではないかったが、そのうち荒れ始めて、ドジャーにスプレーではなく、波そのもがあたってくる。スターンの右舷にどでかい波が当たり大きく振れるなど、あまり経験したくない変形波だった。然し反面いい訓練になる。室津下から萩に向かう時もそうだったが、今日の場合はみるみるうちに雨風が強まり、空は濃い鉛色になってくるので、気分のいいもではなかった。今日もシングルハンドだったが、ラストの5海哩は値打ちがあった。まあ北海道の海は手ごわい。

12時40分位に入港したが、港内も風が強く、着岸に手間取った。理由は以前、写真掲載した雨避けシートが後ろ風をはらみ、エンジンの後進がきかないくらい行き足がついてしまう。そんな状況から着岸の際に左腕をスターンパルピットと岸壁ゴムフェンダーとの間に挟まり、打撲と擦過傷をうけた。

この先がまだあるので、念のためドクターの診察を受けることにした。松前町立病院に電話して事情を話すと午後の診察はなかったようだが、配慮くださる。2人のドクターが診てくださり、そのうちの外科長は小学生の頃からOPなどのヨットに乗っていたとのこと。また、愚生の住んでるところもよくご存知で、少々話し込んだ。金沢のドクターに続き、松前のドクターとも不思議な出会いだ。診察中、いい旅をされてますねと言われたので、このようなお世話になると、どうも年寄りの冷水を感じますとかえしたらお二人とも笑っておられた。他に何かないかと問われたので、右の手のひらの凸を診て貰うと、腱が切れた跡形だと。

打撲の薬を処方すると言われ、何か他の薬を持っているかと聞かれたので、ホームドクターにいろいろ貰ってきたと伝え、持っていない鎮痛剤を処方して貰った。
別れ際、二人のドクターから、いい航海をと激励され、とても嬉しくなった。
精算時に松前町立病院の診察カードを貰ったので記念にしますよと云うと、事務所のみなさん大笑いされた。

艇に戻りルナ艇長にドクターの話をすると、まあ、世間は狭いなーと。
昨日もその前も何度かルナ艇長に、この旅で多くの人と知り合い、都度親切を受けたこと、これだけで愚生はこの旅をやった甲斐がありましたと話してたので、今日のドクターの話をすると、流石に、ヘーッて感じだった。

外は凄い風と波だ、港の中も風と波がすごく揺さぶられているが、その中、丘の上の漁師の店という食堂に夕食を食べにいく。

食堂へ行く道道、ルナ艇長が、今日のあの複雑且つ複数の三角波はなんだ、下からも突き上げていたよ、と。またその影響からオートヘルムのコネクターのネジが緩んで外れたよ、とも。あの波の中、どんなことがあったとしても、デッキにいく気になれなかったなー、あれがもし数時間続いたらどうなってただろうと。ロングクルージング経験が長く、また少々の波風のことには寡黙なルナ艇長にそう言わしめる松前沖の荒れた海域だった。

明日は間違いなく沈殿。このところ稼働率の悪いことこの上ない。小樽への航行、行きは良い良い帰りは・・・、だった。
北海道を離れるにはあと2leg、そろそろ、どなたか、我々にチャンスをくだされませ。

2016年6月2日木曜日

さと水で食べたメニューと空の現象

やはり、さと水に行った、昨日今日で食べたメニュー、全部の5%くらいかな。

青つぶの味噌たたき、手造りしめサバ、本マグロ中落ちたたき、ウニ磯辺揚げ、和牛のトマト煮込み、がさ海老の天ぷら、牡蠣の磯辺揚げ、天然磯のりの棒飯、松前漬けの棒飯、こだわり卵のだし巻き、いぶりがっこのチーズ、チリ産アルパカラベルのシャルドネ白ワイン、喜多里芋焼酎、生ビール。

いやはや、美味いのなんのって、ルナ艇長も大満足だ。

帰り道、丘をくだりながら、ふと、西の空をみるとまだ薄青く、水平線は赤みが残っている。8時30分を過ぎているのに、空の現象、北の大地にいることを再認識した。

江差のさと水

松前までの海域は19mの風が吹き抜けており、流石に出港は諦めた。今も風は凄い、唸っている。
燃料の給油をしたあと、コインランドリーでの洗濯などで時間を費やす。その洗濯場にはバスを使わねばならない。

さて、昨日のさと水の話だが、カウンター席に座るなり、マスターは、私は口下手なので、あまり話はできませんと。そう言われつつもカクカクシカジカと話すと、このシーズンまだヨットの人は見えませんね、との話になる。

お店を保安官に紹介されたこと、役場のM女史やO課長とお会いした話もする。前回、女史に、さと水を教わったが探せなかったことも伝え、北前船のことなどを話題にすると、カウンターに座っていたIさんも一緒に話すとことになる。マスターも勿論話の中にいる。皆で名刺を交換すると更に話は盛り上がった。カウンターのコミュニケーションはとてもいい。その頃には中心はマスターになっていた。

lさんは仕事で定期的に江差に来られさと水を利用するようだ。また、姫路にもちょくちょく行かれるとか。ルナ艇長がl市長の話などする。
歴史のことから司馬遼太郎の小説のことや、オリンピックに至るまで、まあ多岐に亘った話になった。

料理は評判通り、いやそれ以上だった。
素材は江差と周辺の地のものが中心、マスターの料理は抜群だ。出される品品はシンプルなんだが、かなり下準備をされている。
ウニの海苔挟み揚げ、これは奇数だったので、先輩に1個多めに譲ったが、ひと皿づつ注文すべきだったと後悔した。
全て、大変美味しく、白ワインを1本空けてしまった。〆に磯のりの棒飯を頼んだが、これまた実に美味い。そうそう、女性の生ビールのサーバーからの注ぎ方も大変丁寧だ。
全てが行き届いているプロのお店だ。さと水は女将さんの名前からつけたそうだ。

この秋に江差で開催される北前船の寄港地フォーラムにN市長を誘い、空路で来たいものだとルナ艇長と話した。もちろん、夕食はさと水。今夜?多分、出向くな。

江差のさと水は素晴らしい。



2016年6月1日水曜日

江差沈殿

江差は天気不順で沈殿となった。4mの波があるとの予報、確かに風が強く寒い。前回の江差寄港時は北前船の調べが中途半端だったのでその対応も丁度出来る。

この江差、古い街並みでは民家外観も同じ色で統一されている。昨夜、ルナ艇長と夕食の帰りにその通りを歩いたが、街灯のオレンジ色が趣きを増していた。電柱がない電線地中埋設がより街並みを綺麗にしている、いにしえ街道という。

沈殿では、北海道クルージング旅のリスクは天気がひとつ挙げられる。特に山背という東風もその中のひとつ。春から秋にかけてオホーツク海気団から吹く冷気を山背というらしく、特に梅雨明けのそれは冷害などをおこして作物にも影響を及ぼすと解説されている。東北では霧を生むとも。昨夜、ルナ艇長と夕食の際にここまでの沈殿率を計算してみると30%近くあった。艇長曰く、戻り比率がその数値を下げるかな、と。愚生はその分の飲食も結構なものですねと笑った。

朝一番に江差海上保安署に伺い、お礼と明日の海域情報をうかがう。また食事処も紹介して貰う。そのあと、江差役所へ行き、M女史にお会いして先日のお礼を申し上げる。追分観光課長のOさんを紹介して頂き、北前船の情報や資料など頂く。お話はとても参考になる。帰り際、N先生へも宜しくと申して辞す。

役場のまん前の江差追分会館へ出向き、江差追分の実演を聴く。三味線、尺八の音色に江差追分を聴くと、とてもいい気分になれた。心にしみるものはなんだろう。
そのあと、演者の御三方と交流する。ここでもいろいろな話題が出る。それに歌手の方は北前船の模型を作るとのことで、そこでもおおいに話が弾んだ。演者のみなさんとで記念撮影をする。ルナ艇長に江差追分教室に参加しないかと声がかかっていた。

それと保安官に紹介されたニシンそば屋の1軒目は定休日、ここも紹介の2軒目に行きデカイ身欠きニシンの入ったそばを食べる。満足度100%だった。
その後、艇に戻りひと休みして開陽丸記念へ行ってみた。実物大の開陽丸は迫力満点だ。船の中が資料館になっており、当時の独国クルップ社の大砲や当時の様々なものが展示されていた。特にシアターをみると、全てが解る。
また、デッキには巨大マストがそびえ、更に勇壮さを増している。江戸末期の海の歴史、人間模様に触れた時間だった。

16時半に松の湯へ行き熱い湯船に浸かる。それから地元の和菓子屋に立ち寄り、保安官紹介のさと水で夕食を頂く。ここででの一期一会は大変に濃い出会いだったので、明日のblogでご紹介します。

江差の沈殿、何処も彼処も大変有意義に過すした。江差は本当にいいところです。