2020年8月21日金曜日

無駄・・・rev-1

先日、無駄が無いことは美しいと記して、一方、道楽ではその無駄が美しいとも。
でも、なにごとも、言い切ることはできないなーと・・・。

例え話か、どうか。
昔から日本家屋には、ぬれ縁があり、下屋からはみ出たところにしつらえている。一般家屋のそれは、大工さんが考案したのか、施主さんの要望だったのかなど、知る由も無い。ただ歴史的には奈良時代の法隆寺の建造まで遡るような・・・。ぬれ縁の名前の由来は、雨に濡れるから。
外と屋内をつなぐ縁側の更に外側にある濡縁をなぜ設えるか・・・。
春風にあたる、梅雨時は乾く暇がない、夏日の夕涼み、秋のお月見、冬の日なたぼっこなどなど、四季折々に腰をおろして、ちょいと外で、ひとときを過ごす。
無くてもいいものであるが、庭先にあると美しくみえる。
西洋建築にもウッドデッキとかテラスとか広々としたものがある。洋の東西を問わず、人々の求めるものは大なり小なり同じ。

キールボートをみると、レース仕様とクルージング仕様とでは、あるものないもの様々。レースセーラーから見れば、なんだあれはと、無駄をみつける。ブルーウォーターセーラーからは、それはなんだとか、あれで大丈夫かと・・・。お互いの知見から、無駄か否かが異なる。言い切れるものではない。

では愚生のはと云えば、いやはや無駄ばかり。唯一、シングルハンドでの帆走中、その時ばかりは、意外と無駄は排除されているのではなかろうか。だからといって、その所作に無駄はないか、美しいかどうかなど、これは別である。

今日は2府で仕事、それも朝早くから・・・。昼間の通りには熱風が吹き抜けていた。
少々ながめ、ダラダラ駄文。

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