時間を考えると、本屋で棚から本を見つけ出すのを怠ってしまう。
昨日もそうであった。時間はあるが、既定の電車に乗りたくて、チョット道を外れて本屋の方へは足を向けずに、何時もの電車の中で、ついついAmazonの検索に頼る。
検索して驚くのは、本を買うか、一方、本を買うんだがKindleのデータで買うかの選択がでてくることだ。この場合の本を表現するのは、実物の、と注釈がいるのかなと思ってしまう。いや、本は本だから、一方の方にいるのだろう。年をとると変なところに拘る、Kindleが固有名詞化されるような雰囲気。
ヨットの部品や装備、これも世界中から手に入れることが出来る、それも瞬時に注文して。ただ少々小心者の愚生、この注文にいきつくまで、時間がかかる。今もその対象品が数点ある。その中のひとつは1000円か1500円かの人感センサースイッチ。これは3ヶ月は迷っている、いやもう少しかな。それもAmazonである。
Amazonでの自身の購買履歴をみると、いろいろな物を買っている。
10数年前、年上のある方が、これからはパソコンが使えないと、生活できなくなるとオフィスでつぶやいていた。その人は極論で、食材すら手に入らなくなると。
当然、そこまでにはいかないが、ネットで物を買う時にそのことを思い出すことがある。
確かに同じ物を安く買うことは出来る。情報を比較して、それもお店に足を運ぶことなく、ソファに座ってである。
次の世界、それはわからない。しかし、Amazonは何かを示唆している。
で、一年の計の為の本について、それは、またの機会にでも。
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