日本列島が揺れた日である。もう、なんとも・・・。
その5年後か、北前船航路を辿る旅をする。日本海小樽までの航海を終え、戻りは太平洋側の各地へ寄港する。当時、被災の傷跡がまだ手つかずのまま残っている港もあった。
鎮魂の海、港みなとへの入出港の折には、コックピットから黙祷。
函館から本州へのfirst legは青森下北半島の端、下風呂。
ここから西南下しながら被災地に寄港するので、伸びた髭を剃り落としたのが、室町時代からある下風呂温泉だった。
そのひなびた湯屋の湯床木は青森ヒバだったように記憶する。その湯床に座り込んで漁師さんたちと談話したのを憶えている。
入港舫いを取る際に地元の漁師さんからイカをいただく。老漁師曰く、このイカ受け取れねば係留まかりならぬ、のような話・・・。確かイカそうめんにして食べたのではなかったかな。
それから10日くらあとだったか、福島沖を航行する。未だ海哩規制があったので、沖に出て西南へ針路をとった。
ちびギャンは、今日のお昼ごはんには、おかずがなかったと言ってた。理由は10年前を忘れないようにするため。
朝、先生のお話で園児たちにその説明があり、お食事当番の子は食事の前にそのことを再び説明・・。1月と3月はそうしていると。
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