突然iPadが作動しなくなったのでAppleへ連絡した。
Appleの女性へiPadの状態を説明したら、それはご不自由でしょう、では今から修復を試みましょうと語りかけ、先ずserial numberを見てくれと言われる。
ではと、本体の裏の刻印を読むも1ポイント前後の小さな文字は愚生のメガネでは読みづらい、正確に読めない。よってデスク近くの若い人に来てもらい、読んで貰って、なんとか電話の女性に伝えることができた。
ではつぎに復旧操作に入りますといわれ、その指示に従って対処するとナント、白色のAppleマークが画面に出てきた。
作動しなかった要因はフリーズ、iPadでもフリーズがあるのかと初めて知る。あとは電話で、ああすれば、こうすればとの助言で、フリーズ防止処理をする。これで万全だ。
復旧操作については、本体にはいくつかのボタンしかないので、複数のボタンを同時に押すことは大方想像していたが、その通りだった。
前の晩にその操作を一応試してみた。ただこちらとしては電池の損耗と思い込んでいるものだから操作を中途半端で終わらせた。もう少しスイッチを長押しておけば作動したわけだ。
でもその場で作動してもフリーズが原因であることが解らなかったので、電話でのアドバイスは効果大であった。
実は電池損耗の思い込みには、ひとつの流れがあった。親子訓練セーリング行事の終盤に艇のバッテリーが少々トラブルに見舞われる。もうひとつ、ルナ艇長の無線機がいつものよう充電忘れで交信不能など、電池の不具合が絡んだ日だった。よってiPadもそうであると思い込んでしまっていた。
このiPad騒動の間、いつもあるものが使えない不自由さを味わうが、昔はこんなものはなかったと言いきかせた。表現は少々爺さま的だがよくよく考ると愚生もその域。
iPad修復後、それでblogを書く画面文字はパソコンのword文字なら5ポイント以下だ。それでも不自由なく作成しているのだから、その域なるものは、あっちのほうへ置いておこう。
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