2014年11月10日月曜日

金刀比羅宮クルージング

多度津まで、66nm、ホームポートから11時間ほどで到着した。
既に相生からの艇が到着しており、そのあと、北木島や日生、それに赤穂と続き入港してきた。
早々に風呂行きツアーの募集があるも、我々はスキップした。

写真のカタマランの横に舫われている艇はニュージーランドから南アフリカ、マダガスカル、マレーシア、インドネシア等を経て日本にやってきた、Fさん、勿論、ニュージーランド人です。自作艇で、更に驚くのは、自身の山から木を伐りだし、それを製材しての作であること。マストから、シートブロック類に至る迄、木製である。

また、キャビンはチーク材などを使い、窓枠など要所にはブラス材も。クラッシックな趣きは、仔細に至る部品迄、全てがセーラー達の理想の艇といっても過言でない。そうと感じたのは私だけではない。バラストまでも自身で鋳込んだ由。

10年の月日をかけての造船、その技術と技能たるや、それはそれは、驚くばかりであった。
宴のあと、PATEKEのキャビンへお邪魔して、造船過程の写真アルバムを見せて貰いながら、夜更けまで、会話?を楽しんだ。

翌朝は多度津のヨットクラブの皆さまの車で、金刀比羅宮への参拝、それも普段は通ることの出来ない車道を利用、殆ど上まで車で連れてっていただく。
本宮の拝殿にあがり、荘厳な雰囲気のなか、宮司さんのお祓いをうけ、お神酒と撤饌を頂戴する。いつもながら、気が引き締まるひと時であった。

帰りの参道で、灸まんを買い求め、その後、釜揚げうどんを食べに行こうということになり、1品メニューしかない有名店に立ち寄るも、なんと20人位が並んで待っている。出航の時間もあり、残念ながら諦める。

係留場所に戻り、出航準備を整えて、エンジンをかけると、ウンともすんともいわない。ルナから電源供給をうけると共に、原因を調べると、バッテリーの充電ケーブルの緩みを発見。夏の小豆島アンカーレッジランデブーの時と同じようなこと。今回はミッキーマウスナットの緩み、小生の気の緩みと同じかと猛省。

予定より遅れての出航、今日は小豆島草壁か池田かのいづれかへ入港、停泊すべく、針路を東にとる。風は北西や西から吹くので、殆どがクウォータリ、小艇の風力計は回りが悪いが、それでも最高で15mを表示していたと、Kさんが言ってた。当然波も立ち、艇の安定は悪く、ワイルドジャイブを何度かやっていた。小生は睡眠不足もあり、コックピットで足を伸ばし、うたた寝。

目覚めて、ジャイブ防止のプリペンダーをつけようと思いきや、Kさんの大声とともに突然、艇が180度反転して、上り角になる。咄嗟にエンジンの回転をあげて強制タックをかけ、元のルートに戻す。

夕暮れ前、なんとか草壁のポンツーンに舫を取るも、今度は、逆に南方向の風を受け、ピッチングが激しい。そうこうしてるとルナも到着、その頃はどっぷりと日は暮れていた。

ルナの着岸を済ませ、片付けを終え、早々にオリーブ温泉へ向かい、3日振りの風呂にありつく。
桟橋食堂で夕食を思っていたが、女将さん曰く、20時で閉店ガラガラと。では、そのオリーブ温泉の食堂で夕食とビールを、と云うことになり、軍師官兵衛を横目でみながら、夕宴。

戻りの車中で、ルナ艇長に係留場横のカラオケ屋にでも行きましょか、ってお誘いすると、なんと快諾。ではと、意気揚々戻ってみると、店は休みだった。そうか、今日は日曜か・・・。おとなしく寝ることにする。

翌朝は8時出航、ホームポートへ一路。この日も強風波浪注意報が出ている。ヘルムをKさんに委ね、またもうたた寝。そうこうしてると、ルナ艇長の無線で起こされる。どの方位にコースを取ってるのか?とcall。よく見るとルナは南の方を航行中、その距離、1マイルくらいはあるだろうか。要はコース平行にお互いホームを目指している状態です。

ルナは既にジブを揚げスピードアップしているので、こちらも遅ればせながらと、70%ほど展開すると、すぐさまスピード、1ノットはあがる。

14時過ぎにホームポートに戻る。港にはIさんがいて、舫いの世話などやって貰う。大方の片づけを済ませ当艇でコーヒータイム。キャビンでの雑談はいろいろ。まあ3連休、よく遊んだ。

真ん中の艇がニュージーランド船籍のPATEKE
Kurenai and Luna

讃岐富士が遠くにみえる
金刀比羅宮の本宮拝殿の待合室にて
帰りの海域、先を航行するは僚艇ルナ
ハンドレールの濡れ雑巾、この横流れが風速をあらわす


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