処暑、朝夕は 少しは凌ぎやすくなるとあるけど、どうなんだろう。
そもそも暦にズレがあるので一概に云々はないけど、このような言葉があったんだ、なんて世の中にならないように・・・。
今日は穏やかにデスクで仕事?、Oさんにお客様のプレゼンテーションとは、なん〜て偉そうに説き、隣のデスクのFさんと意見交換などやってると某役所のMさんから午後から彼の担当の会議のことで相談を受ける、そのあとは諸々・・・。
夕刊にメタバースの記事が掲載されていた。
先日テレビのチャンネルボタンを押してたら、ある放送局でメタバースの特集番組をやってるのにあたる。
古代の人から仮想空間を求めるDNAが備わっていたなど、学者先生の解説に観入ってしまう。
で、処暑とメタバースはどう繋がるか・・・。
インフォメーションを明治の鴎外は情報と翻訳する、つまり情けに報いるものとされた。
ではメタバースを仮想空間とした人は誰だろうか。
VRも仮想空間と・・・となるとやはり仮想空間の定義が要るような、など書いてると、今年の処暑も終わる時刻になる。
そのメタバース記事の下、よみうり寸評には処暑のことが記されてて、古今集の一首引用があxった。「夏と秋を行きかふ空のかよいぢはかたへすずしき風やふくらむ」。
筆者の解説に、平安の歌人には、空に季節の通り道がみえたのだろうとあった。
これで処暑とメタバースが繋がった・・・。チョイ無理ありか。
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